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Blue Dawn Rooftops II, Nakano 中野
答えは簡単です。「正社員と非正規の仕事は違う」からです。 (中略) では、この「正社員制度」は日本型経営の美徳だから「仕方がない」のでしょうか? とんでもありません。その会社の正社員という「タコツボ」に閉じこもる発想が、企業全体、日本経済全体のガラパゴス化を生むと同時に、その「正社員を育成して管理職にする」という制度が「膨大なコスト負担」になっているのです。 儀式を通じて忠誠心が生まれても、それで高度な業務スキルや管理能力が身につくわけではなく、「プロ管理職」が育つわけではありません。日本の事務仕事の生産性が低い理由の1つはこのためです。また、ワーク・ライフ・バランスを著しく損ねて、日本を少子化に追い込んでいるのもこのカルチャーです。専門職へのリスペクトと報酬が欠けているために、例えばITの競争力が崩壊しているのも同じ理由です。
冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 「同一労働・同一賃金」はどうして難しいのか?
松本圭二『R/F 5つの断片 より 1の断片』
雨が降っていた 雨はまだ降っている 緑が濃くなった 博物館の芝生の それを取り囲む木立の 緑、ありきたりな もう夏なのだ 私はそれを七階のベランダから見ている ハドソン河の岸辺から釣り糸を投げ込むように 光は物静かな放物線を描いていた 灰色の光だ 人々は傘をさして歩いている 私も外出すべきなのか わからない たぶん、わからないままこの一日は終わる 友人からの葉書には あいかわらず何も良いことがないと書いてある もう若くはないと思うが それでも苛立ちはする あたりまえだ 壁にはりつけた葉書の表面が プラスチックのように鈍く濡れている そいつが風に捲れると 今度は壁全体が溶け始めるのだろう 異邦人の怯えにはつきものの幻想か そんなものは子供に返すべきだ その壁を垂直に折れると 夜のような箱がある 箱のなかで 私の本は未だ少年のように不死を信じている 今日 たとえば 何を覚えておくべきか 風は吹かない 雨は降っている
谷川俊太郎『この人はもう』
この人はもう死んだのか嘘みたい 話しかけても返事をしないがそんなことは何度もあった なんだか知らないが考えこんでいて じっと草ぼうぼうの庭を見ていたこともあったが あのときは生きていた
でも黒い塊みたいな後姿ははっきりぼくの目に残っていて ちらっと見た仮面のように無表情な顔も忘れることが出来ない それに比べれば今の死顔のほうがまだ生きているようにも見える
生きてるのに死んでることが人にはある だとすれば死んでるのに生きてることもあるんじゃないか もしかするとそれは動物にはない人間だけの特権だ
この人が朗らかに笑っていた姿をもちろんぼくは覚えている そのときの腕の振りかたや おでこのしわの 思い出
けれど死んではいないのに返事をしなかったあの時のこの人と 草ぼうぼうの庭は 思い出ではないから 今でもぼくはこの人が何か言ってくれるのを待っている
「一人は賑やか」 一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな森だよ 夢がぱちぱち はぜてくる よからぬ思いも 湧いてくる エーデルワイスも 毒の茸も 一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな海だよ 水平線もかたむいて 荒れに荒れっちまう夜もある なぎの日生まれる馬鹿貝もある 一人でいるのは賑やかだ 誓って負けおしみなんかじゃない 一人でいるとき寂しいやつが 二人寄ったら なお淋しい おおぜい寄ったなら だ だ だ だ だっと 堕落だな 恋人よ まだどこにいるのかもわからない 君 一人でいるとき 一番賑やかなヤツで あってくれ
茨木のり子(詩人)作品集・2 (via ta3jpn)
大人になるというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始るのね 墜ちてゆくのを 隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました 私はどきんとし そして深く悟りました 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく 外にむかってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと…… わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました たちかえり 今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです
遺言 : 茨木のり子/詩「汲む」 (via kazukij) (via jinakanishi) (via kml) (via jacony) (via vmconverter) 2009-02-24 (via gkojay, hanemimi) (via suyhnc)
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった だから決めた できれば長生きすることに 年取ってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね
わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子 (via hanemimi) (via ginzuna) (via hirai) (via pinto) (via iyoupapa) (via biccchi) (via wrigley) 2009-02-25 (via gkojay) (via suyhnc)
田村隆一『毎朝 数千の天使を殺してから』
1
「毎朝 数千の天使を殺してから」 という少年の詩を読んだ 詩の言葉は忘れてしまったが その題名だけはおぼえている さわやかな 題じゃないか おれはコーヒーを飲み 人間の悲惨も 世界の破滅的要素も 月並な見出しとうたい文句でしか伝えられない 数百万部発行の新聞を読む おれが信用しているのは 株式欄だけだ 総資本のメカニズムと投機的思惑だけが支配する 空白の一頁
2
少年の朝と おれの朝とは どこがちがうのか?
3
少年には数千の天使の顔が見えるというのに
4
殺してから きみはどうするんだ?
歩いて行くんです
どこへ?
とても大きな橋がかかっている河のそばへ
毎朝?
ええ 毎朝 手が血で汚れているうちに
5
おれには数千の天使が殺せないから 煙草を吸いながら 海岸まで乾いた道を歩いて行く 台風が過ぎさったばかりだから空には 積乱雲 それでいて海の色は秋 夏と冬が水平線によって分割されている 不透明な空間を 細い川がながれている おれの痩せた手に浮きあがっている弱々しい毛細血管 大きな橋がかかっているはずはない
6
大きな橋のこちら側は 真昼のような世界なんです どんなものでも光っている シャツのボタン 虫歯 空気銃 サングラスの破片 桜貝 あらめの匂い そう 河は海に流れこんでいて海の水と河の水が混合していて 砂 それに むろん ぼくの足跡まで
7
よし それではきみにかわって 大きな橋のむこう側の世界については おれが説明しよう 影の部分 事物も観念も影だけでできている まるで癌細胞のように 影は影を養分としながら放射線状に増殖する世界 腐爛した溺死体の内臓 膨張しつづける緑色の思想 淫売婦と僧侶と商人どもで沸騰している古代市場 猫 羊 豚 馬 牛 肉という肉が肉屋の店頭に吊されているというのに 血はどこにも流れていない
8
そうか 数千の天使を殺さないと 大きな橋が目に見えてこないのか 真昼の世界と 影の世界を つなぐ 大きな橋
9
ぼくがいちばん性的に興奮する場面を知ってますか? いつのまにか大きな橋が消えると 黒い馬が一頭あらわれる だれも乗っていない 馬だけが光りの世界を横切って 影の世界へゆっくりと歩いて行く 力がつきて 黒い馬は倒れる 獣の 涙をながしながら腐敗もしないで そのまま骨になって 純白の骨になって 土になる すると 夜が明けるんです ぼくは遊びに行かなくちゃ 数千の天使を殺し 数千の天使を殺してから
友部正人『別れの歌』
遊ばないのかとボールが言う 走らないのかと海が言う 眠らないのかと太陽が言う 帰らないのかと夜が聞く
お前は光かと砂が聞く ちがうよ、だから遊ばないのさと波が答える いっそめくらになった方がいいのにと石が言う ふり返ってみてもどこにもぼくはいない
そろそろ行かないかと船が言う もう少しいようよと靴が答える お前はどこから来たのかと空が聞く ただのみなし児さとポケットが答える
まあるいまあるい月がのぼる 砂がカニのように目を閉じる まあるい目の猫がやって来て ぼくの腰にミルク色のタオルをかけてくれる
目の中で波がくだけ散る 夏の中で魚がくだけ散る やがて冬がはがきのようにさし込まれて 世界を銀の耳に変える
光を拒絶する強い意志を見た 世界は勇気のようにお粗末だった 今ぼくはひとり焼け跡のような東京で 棒っ切れのようなコーヒーを飲んでいる
「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いていると ぼくは一生ひとりで暮らす方がよかったんじゃないかと思う そば粉のパンケーキを焼いてメープルシロップをかけて ひとりで食べる自分の姿が目に浮かぶ 友達なんかだあれもいないのだ もちろん妻も恋人も 従兄弟の名前ひとつ覚えていない 両親の墓参りは嫌いじゃないが それはもうふたりとも死んでいるから マスターベーションするんだろうか それとも女を買うんだろうか 朝までしつこくやるんだろうか いろんな体位で 赤ん坊の夜泣きも妻の罵声も知らないぼくが 「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いている だがひとりぼっちのぼくはもうひとつの人生を思い描いたりはしない 忠実な老犬のようについてくる旋律を従え 冬枯れの並木道を歩いてゆく かかわったこともない人間への憐れみに満ちて そうやって精一杯この世を愛してるつもりなのだ 悪意も情熱もなく 谷川俊太郎「ひとりで」
何故これは「詩」なのか - 日曜日の朝の話 hirofmix chronicles(Ver.3) in hatena-diary
死んだ男 鮎川信夫 たとえば霧や あらゆる階段の足音のなかから、 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 ――これがすべての始まりである。 遠い昨日・・・・・・ ぼくらは暗い酒場のいすのうえで、 ゆがんだ顔をもてあましたり 手紙の封筒を裏返すようなことがあった。 「実際は、影も、形もない?」 ――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。 Mよ、昨日のひややかな青空が 剃刀の刃にいつまでも残っているね。 だがぼくは、何時何処で きみを見失ったのか忘れてしまったよ。 短かった黄金時代―― 活字の置き換えや神様ごっこ―― 「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・・・・ いつも季節は秋だった、昨日も今日も、 「淋しさの中に落葉がふる」 その声は人影へ、そして街へ、 黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。 埋葬の日は、言葉もなく 立ち会う者もなかった 憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。 空にむかって眼をあげ きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」 Mよ、地下に眠るMよ、 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。
声 「非戦」を読む
入江康夫『外出』
緑色の天使の下腹部を 夕映えがぬりつぶしている 水の中で肝臓形の葉が成長する 煙草の火を借して下さい 今日は夏至でしたな 入団式は何時からです? 何もありはしない
河べりには 建設中のビルディングが並び水面で その影が伸縮する あなたもあの大きな鳥が見えますか あの目玉は少くみつもつても 三千五百カラットはあるはずだ それではあれは 天使ではなく鳥かも知れない どうも ありがとうございました
街角でヒルマンかメイフラワーを 呼びとめるように おれは指を立てて 流れていく巻雲を とめようとしたがだめだつた 橋脚ばかりが黒く立つている 捨てたばかりの黄色い夕刊を風が押している 急いで行けば間に合いますよ どうです お伴しましよう あいつは広場で豚のように死ぬだろう
おれが手に持つている木は 根がまだついたままだ それでも いつたい育つだろうか この砂の領土で………… 眼の赤い鳥がこちらを見ている こんなところでおれは何をしているのだ 夕飯を食いに食堂へ行くのだ 八時にはミュージックホールの 木戸番にあいさつして
この木の中に火の種がはいつている やがて消えるだろう 遠くで若い女たちの歌がきこえるが いつもの歌だ めずらしくもなかろう いかがです おいでになるんならもう 歩きださなくつちや 行く
タンバリンが鳴つている 鳴りながら 街の空を廻つている いい夕方ですねえ この木を植えに一日を棒に振つたが また明日もある それからあさつても 月が出ている 三日月ですな 何かねがいごとはありませんか 大きい
おれは昨日はサンマの漁獲高についての ややこしい計算をしてすごした ビルの十一階の事務机で こんな夕方なら誰だってロマンチックに なりますよ 寄生木は収穫の祭にやかれる 夜明けの光の中でやかれるのだ 祈りの声と共に
1975 (comic) Hiroshi Masumura
こういう考え方、発想は日本人がとても弱い部分です。 ビジネスや人生では、「前例がない」ですとか、 「禁止されている」という事態にぶち当たると 真面目にそれに順応してしまうことを考えてしまうのが日本人です。 「ルールを決める」という局面には参加せず、 あくまでも「プレイヤー」として全力を尽くそうとするわけです。
「戦略の階層」徹底解説CD|地政学とリアリズムの視点から日本の情報・戦略を考える|アメリカ通信 (via kotoripiyopiyo)
法事に持っていくお供えは花や食べ物である、食べ物のお供えは、墓に供えかえなければ式のあとに雲水たちが食べる、と耳にしていたので家族のものにもその旨伝えて若い人達が好きそうなものを山のように持っていった。式のあとでお供えの食べ物を片付ける若い僧の顔が見事に喜色満面だったので、あー、よかった、と私もうれしかった。門前の花屋によると、法事の檀家が与える心付けなどが若い僧の唯一の小遣いで、そのなけなしの金でコンビニの鶏唐揚げ弁当などを買ってうまいうまいと食っているそうである。笑えるような話だけど、生きることのどうしようもないバイタリティが垣間見えるような気がして、私には死とよいコントラストをなしているようにさえ思える。生きている、というのは実に愛すべき、滑稽なことなのだ。
三回忌 - kom’s log
theshipthatflew:
Kawase Hasui, Snowstorm at Mukojima, 1931, woodblock print (via)
Milton Friedman のインタビューを見たが、やはり「複雑さ」の問題が 見落されているような気がした。市場原理が本当にうまくいくのは、 どうしても単純な基準ですべてが評価できる場合だけのような気がする。 そもそも、人類がみんな自分にとって何が本当にいいのか判断できるなら苦労しない。
2010年12月