「消費税0%が無理なら0.1%でいいじゃないか」
その一言を聞くたびに、0を特別扱いしてエラーになるコード、0除算の罠、整数前提で組まれた仕組みの悲鳴が頭をよぎる。
コンピュータの世界では、0から0.1への一歩は、数字以上に大きい。
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@7thcode
「消費税0%が無理なら0.1%でいいじゃないか」
その一言を聞くたびに、0を特別扱いしてエラーになるコード、0除算の罠、整数前提で組まれた仕組みの悲鳴が頭をよぎる。
コンピュータの世界では、0から0.1への一歩は、数字以上に大きい。
基本ソフトウェアに散在するヒューリスティックは、やがてAIに吸収され、システムは自ら最適化を続ける存在になるのだろう。
「AIは理解してない」だの「意識がどうのこうの」だの、人間においても定義できない物の有無を論じるナンセンス。
“スイスの民間防衛には「武器なき平和を叫ぶ者は敵国の工作員だと思え」と書かれている またクラウゼヴィッツは「侵略者は平和を望む」という言葉を残している なるべく敵は弱い方が攻めやすいからな”
— 軍事力の保有を嫌がる人がいるのはなぜ? : 大艦巨砲主義! (via 774rider)
正義という物があると信じる人々が地獄を生み出すんだ。
貧困の解消とは、結局のところ国家権力による再分配の強化に他ならない。
問題は、その再分配をどこまで拡大し、誰が決め、誰が管理するのかだ。
「平等」は美しい「言葉」だ。
しかしそれを実現するための社会的圧力が肥大化し続ければ、やがて社会は“自由”との交換を始める。
歴史はそれを何度も証明してきた。
近年、「左派」と「リベラル」がほとんど同義語のように扱われているが、本来この二つは別系統の思想だ。
左派は、経済格差や社会構造の是正を重視し、そのためには国家による再分配や制度介入を肯定する傾向が強い。いわば「国家を用いて社会を調整する」思想であり、結果として大きな政府と親和性を持ちやすい。
一方で、リベラルの古典的な出発点は、国家権力そのものへの警戒にある。
表現の自由、思想信条、私有財産、契約自由など、個人の権利を権力から防衛することが中心にあるため、本来は「国家を制限する」思想だった。
つまり整理すれば、
* 左派 → 国家権力を通じた平等化
* リベラル → 国家権力からの自由
であり、両者は同一どころか矛盾しており、緊張関係を持ちうる概念だ。
それにもかかわらず、現代では両者が意図的に混同されているように見える。
「自由」を掲げながら国家介入を拡大する議論や、「リベラル」という言葉が事実上ある種の政治的立場のラベルとして消費されている状況を見ると、少なくとも言葉の整理が曖昧になっているのは確かだろう。
政治思想を単純な右左の一次元で理解しようとすると、むしろ現実の構造が見えなくなるのかもしれない。
絶対正義なんてものを信じてる人たちって、
結局「自分は間違ってない」っていう免罪符が欲しいだけなんだよな。
疑う頭を捨てて、思考停止して、
そのくせ自分を一番まともだと思ってる。
楽だよね。責任も葛藤もいらないから。
自分を一度も疑わずに生きて、
そのまま“ちゃんとした顔”で歳を取っていく。
中身が空っぽでも、外見だけは立派にね。
“正義に目覚めた人間は、あらゆる物事を二元論で捉えるようになり、「敵と見なした者にはいかなる攻撃も許される」と考えるようになり、人の話を聞かなくなり、事実を見なくなり、最後には自分に同意しない人間全てを敵と見なすようになる。あとbio がクソ長くなり、アイコンが本人の顔写真になる。”
— Twitter / ls@usada (via katoyuu)
つい最近まで左翼は石油の要らない再エネ100%の国を目指そうと言ってました。そのために太陽光発電や風力発電などを大量に導入せよと!
ところが…石油が止まって彼らが何を言い出したか?ナフサが足りない、シンナーが足りない、石油タンカーを早く通せと!
もし、再エネ100%を達成したら、ナフサの原料となる石油はどうやって手に入れるつもりだったのか?他国からナフサだけ輸入するつもりだったのか?
そのような視点で見ると、再エネ左翼がいかに単細胞な考えであったか、一目瞭然で分かります
https://x.com/sasasanosasayan/status/2044211916336431516?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
大きな政府を指向する左翼より、小さな政府を理想とする右翼の方がより個人の自由を重んじる「リベラル」に近い気がするよな。
左翼の行き着くところは共産主義という完全な全体主義になるじゃん。
今のOSを含むソフトウェアは「人間」に最適化されているが、今後はAIに特化されていくのでは。
想像のつくところでは、プログラミング言語はまず不用、AIが書いてAIが読み、AIが変更できれば良いだけ。OSその他基本ソフトの設定なども同様。
次に、根本的な再構成、システムの全体最適化を行いやすいような基本ソフト自体を実装するだろう。
現状ではAIによるハードウェアの製造までは困難だが、自らを最も有効に実行できる設計は可能だろう。
経済的観点から、それらは実現されると思われる。
政治の瑣末にガタガタ言う人、会社ではマイクロマネージメントしてそう。
日本人は、なぜか日本を何かに守られている特別な国だと思いたがる。
戦前は「神国」。
戦後は「憲法9条」。
理由は変わっても、「日本は特別だ」という前提だけは、不思議なほど変わらない。
日本の政治地層には、いくつかの層がある。
国民世論という流動する表層。
国会という制度化されたプレート。
そして戦後体制という、深部に横たわる基盤層。
憲法改正を巡る対立は、単なる政党間の争いではない。
それは、戦後の価値体系を支えてきた層と、国際環境の変化によって押し上げられる新しい力との摩擦だ。
地殻とマントルが滑らかに動けば、エネルギーは分散する。
しかし一部が固着すれば、歪みは蓄積する。
固着しているのは何か。
一部の政党だけではない。
「改正は危険だ」という記憶の層と、「現実に合わせて変えるべきだ」という圧力の層。
その境界面だ。歪みは悪ではない。
民主主義に摩擦は必要だ。だが、圧力が存在するのに動きを拒み続ければ、変化は選択ではなく噴出になる。
政治に必要なのは、衝突そのものではない。
歪みを小刻みに解放する仕組みだ。
議論、選挙、国民投票。動く意思があるかどうかだ。
それらが“余震”として機能している限り、破局的な地殻変動は起こらない。
問題は固着ではない。
今回の選挙で思ったのは「政策」対「選挙直前の選挙演説」。
前者が勝って安心している。