不安定さに慣れているから、安定に居心地の悪さを感じるような。安定した場所からバランスを崩して落ちるのが怖いから、最初から不安定さを求めてしまうような。
気づけば、いつも綱渡り。
ぐらぐらしている最中ほど、がんばっているだとか、生きているだとか、心が熱くなってしまうから厄介だ。

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@sway38xxx
不安定さに慣れているから、安定に居心地の悪さを感じるような。安定した場所からバランスを崩して落ちるのが怖いから、最初から不安定さを求めてしまうような。
気づけば、いつも綱渡り。
ぐらぐらしている最中ほど、がんばっているだとか、生きているだとか、心が熱くなってしまうから厄介だ。
生まれるときが白で 死ぬときが黒だとすると 間のグラデーションが 濃くなったり薄くなったりするだけで 透明にはならないんだよな、とか 思ったりした
2020.8.15の日記より
生きていてよかった、という言葉は 死を身近に経験した時に重みを増す 生涯付き合う病気ならば いっそ生涯添い遂げよう そう思ったら楽なのか? 今はまだわからないけど 生きていてよかった、と 思えるまで生きてみるか、とか
The world is beautiful, so people reach for it.
悲しませたくない人たちの存在を 考える、という一瞬があったから 仄暗いこの世にとどまれた、とか
見えない敵と鬼ごっこ 昨日までは100戦100勝で生きたけど 明日はわからないな、と思うのです
逃げるが勝ち、と人はいうけれど 逃げることもまた、戦いなのだよ
わたしが見ている世界と、わたし以外が見ている世界は、果たして同じものなのか。同じ色で、同じ温度で、同じ形に見えている保証がなくて、不安になるから、せめて気持ちだけは揃っていると確かめたくなるのかもしれないね。良かったとか、悪かったとか、嫌いだとか、好きだとか。でも本当は同じものを見た、という事実しか真実ではない。
わたしはわたし以外になれないから、誰かの気持ちを正確に理解できない。だけど、それはみんな同じだよって言われるとき、わたしという個が消えて、わたしはわたしである必要もなくなる気がする。人は平均でしかなくて、誰もが普通で、誰もが狂ってるんじゃないかとすら思う。そんなことを考えているわたしと同じ人が目の前にいると思うと、怖くなる。
神様ってやつがいるんなら、少しの間でいいからわたしの脳を取り出して、無を与えてほしい。この脳がある限り、わたしは考えることをやめられないし、動くことをやめられないから。
どうか一旦、真っ白に戻してくれませんか。
暗闇の中でも、目が慣れるとぼんやり見えてくるみたいな。
真っ暗な時代だからこそ、本当に大切な人や場所、守りたいもの、守るべきものが見えるようになった人もいるんじゃないか、と思う。
なぜなら、わたしがそうだから。
話す、の変換を 放す、と打って わたしはわたしの内側の膿を きみに向けて話すのではなく わたしから離す必要があって そうすることがただひとつの 自分を放す方法だと気づいた
心はどこにあるのか?と尋ねると 頭を指差す人と心臓を指差す人がいる という研究があることを、どこかで見かけて 誰かに尋ねてみようと思ったのに 誰にも聞かなかったことを、いま思い出した 誰かっていうけど 本当は想い浮かべる人がいる 誰か誰かってSNSで叫んでるひとたちも 本当は誰でもよくないくせにね、とか 誰でもいい“誰か”になんか 誰もなりたくないだろ、とか
苦しい、って気持ちを吐露したら
吐いてできた空洞に酸素が入って
息がらくに吸えるようになること
人との深いつながりはリハビリみたいだ
白く塗り潰しても透けて見えるものが
大切なものだったと気づいたら
黒く塗り潰して消してしまったものは
忘れてはいけないんだな、とか
命に関わる事件が多かったり、読んだ小説やエッセイのテーマが子供をもつことだったり、友人が出産したりなどして、いろいろ考えてしまう今日この頃。
生きづらい世の中で、夏は暑く、災害も多く、いつか地球は滅亡するのに、わたしが子供が欲しいと思ったら、わたしの一存で産まれてくるであろう子供には選択権がないことが気がかり。
仕事があって、不自由はそれほどなくて、それなりに元気で、好きな人がいて、愛されていて、友達もいるし、楽しいこともあるのに、もしもまだ受精卵になる前に「あなた、産まれたいですか?」って聞かれたら、わたしはたぶん「産まれたくないです」って答えてしまうんじゃないだろうか。
だって世界は喜怒哀楽でまぶしすぎる。
定期的にこんなことを考えて気が滅入る。でも数日すれば笑ったり、怒ったり、泣いたりもする。少しの刺激でこんなことを繰り返す。考え過ぎだと笑われるたびにこんな繊細さはいらないなと思うのに、考えないこともできないらしい。小学生の頃に初めて芽生えた「どうして産まれてくる時には選択肢がなかったのか」という問いについてずっと思い悩む成長のなさ、諦めの悪さ、そろそろうんざりだ。
遊び
加減がわからなくなって初めて 本気になっていることに気づく いつまで経っても自分の感情に不感症
皮膚は溶けないし、ひとつにはなれないし、自分が自分であればあるほど人はひとりぼっちだけど、ふたつに分かれているから、思考に、身体に、触れることができて、わかりあえたような気がして、だけど皮膚は溶けないし、ひとつにはなれないし…以下同文
錯覚と矛盾
七夕の夜にそんなことを考えている
善悪は両方知っているから 区別ができるような 汚れてみないと美しさには 気がつかない、みたいな