[アンドラーシュ・シフ 平均律クラヴィーア曲集 全曲演奏]
アンドラーシュ・シフは今年は2日間のスケジュールで、8月12日と本日の16日、バッハの平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏を披露した。 12日に第1曲集、16日に第二曲集を弾く。 平均律クラヴィーア曲集は、第1集と第2集、それぞれ、24の調すべてを使った24の前奏曲とフーガからなっている。なかなか演奏会で全曲演奏の機会はないと思うので平均的な演奏時間はわからないが、CDにすればだいたい4枚組になるので、これを一気に弾いてしまうというのは、なかなかチャレンジングな試みだと思う。 どのホールも、普通にしていると最新のスタインウェイ・ピアノが用意されているザルツブルク音楽祭だが、シフは楽器にこだわり、ベーゼンドルファーや、私物のベヒシュタインを持ち込んだこともあった。今年はバッハの平均律という、原点に帰るようなプログラムをぶつけてきたシフ、楽器の方はあたかもふふと何かのこだわりを手放したかのように、舞台には普通のスタインウェイがポツンと乗っていた。 バッハの作品に関しても多くの演奏を残しているアンドラーシュ・シフ。古楽を聴く人の中には、作曲家が生きた時代の楽器と奏法にとにかくこだわる人も多いので、そういう立場からいえばスタインウェイでバッハを演奏することそのものが邪道なのかもしれないが、まあ、細かいこだわりはおくとして、シフのバッハのこれまでの録音は、非常にオーセンティックな演奏が多かった。今回の連続演奏会での演奏も、特に何か冒険をするというわけではないのだが、よく聞いていると、バッハが「すべての調を網羅する」意図で書いたこの曲集、ひとつひとつの調に色をつけながら、まるで24ページの美しい絵本のように仕上げていく。演奏しながら、曲に抱く自分なりのイメージをていねいに伝えようとする意図がとてもよくわかった。フーガもけっして構築的に表すのではなく、右手と左手で入れ替わるパートが時に絡み合い、揺らいで、意外な音を作り出すようなこともある。高音部はキラキラさせたまま、中〜低音部を、わりと粘りのある濃い音に作っているせいもあるのかもしれない。見ていると、ペダルを、けっして踏み込まず、だがごく微細に使って、綿密に音の感じを計算しているようだった。しかし、こんな仕掛けをいろいろ盛り込みながらも、全体としてオーソドキシーという領域からはけっして足を踏み出さず、きわどい演奏にならないところは、さすがシフである。
1日目のシフは、もう鬼気迫る雰囲気だった。きちんとチョッキ付きのスーツに蝶ネクタイで、昨年までより随分フォーマルな出で立ちだ。そしてこの日は、24の前奏曲とフーガを、ほとんど曲間も取らず、2時間足らずで一気に弾ききった。これは大変にタフである。この日は客席もすごく良かった。シフが好きで毎年聴きに来ている人も多かったし、こんな、彼のピアノを「聞きたくてたまらない」聴衆をかぶりつきにぞろっと揃えて、この人たちが息もつかないで聴き入る中のことであった。最後、ロ短調のフーガを弾き終わるとすぐに会場は総立ちになる。この日のシフは、魂が演奏に入りきってしまったような顔つきで、何度か呼び出されるとおもむろにもう一度ビアノの前に座り、「ゴルトベルク変奏曲」のアリアを弾き始めた。シフファンらしき一列目の若い日本人の女性はもう頬を上気させて笑顔で聴いていたが、私は、ひょっとしてシフは、休憩なしで2時間の平均律で消耗しきった聴衆を尻目に、このまま変奏部分に突入するのではないかと、本気で密かに心配してしまったほどだった。さすがにそれはなかったが、そのくらいハイテンションだったということだ。 2日目の今日は少し雰囲気が違っていて、恐ろしいようなところがなくなり、若干落ち着いている感じだった。それだけに、演奏もぐいぐい引っ張っていく部分が少なく、より繊細になっているように思えた。 1日目が相当疲れたのか、プログラムに告知無く、今日は13集まで弾いたところで、ふと舞台を下がってしまった。あとで隣席の人に聴いたら、2日分を一冊に綴った販売プログラムではなく、ウェブで印刷する最新の演奏曲目一覧のページでは、「途中休憩あり」と注意書きされていたようなので、やはり急に決まったことなのだろう。 それにしても驚いたのは、7時半開演で9時前に休憩が入ったら、多くのお客さんは終演と勘違いして帰路についてしまったことだ。特に私が座っていた一階前方ではこの誤解帰宅の傾向が著しく、一列目などはほとんど人が残っていなかった。隣席の婦人と顔を見合わせ、肩をすくめるしかなかった。そういえば、13まで弾いてシフが中間アプローズに答えていた時、一列目のお客さんたちはやたらシャッターを押しまくっていたが、本当に終わりだと勘違いしたのだろう。 悲しいことだが、ザルツブルクのセレブ風観客のレベルの低さがここに如実である。バッハの平均律!!! 24の調があるから24の前奏曲とフーガがあるんじゃないのか!? だいたいみんな曲を知らないし、その成り立ちも知らないということだ。毎年ここに来て、客席に座っていて、時たま、周囲に座っているヤツは全員バカなんじゃないんですか??とふっと思うことがあるのだが、今日のようなことがあると、その予感がバッチリ的中していることが、言い訳の余地もなく明証されたことになるわけだ。 そして、今日は私の横の座席6席と後列7席くらいを、アメリカ人の観光客が占領していて、この人たちがもうありえなかった。平均律クラヴィーア曲集は、作品として聴き手にとってもかなり忍耐力を要する。聴いていて、メロディが楽しめるというわけではないし、むしろ、実験風な音の迷路に迷い込むような部分が多い。普段、バッハや鍵盤楽器の演奏を全く聞かない人にはついていけないところが大きいだろう。このグルーブ、前半で十分飽きていたのに、不運にも休憩を認識して帰ってきて、後半はもう退屈仕切っていた。しかも、9時くらいに始まって10時20分に弾き終わっているから、もう帰りたくてたまらない。22集のフーガのラストで、真ん中に座っていた初老のおじさんが「終われ終われ、ここで終われ!」と小声で変な魔法をかけていて、もうこれは犯罪じゃないのかと思えてきた。最後に大ブラヴォーの中、アプローズを受けるシフを、このグループはみんなで拍手もせずに憎々しげな憎悪の眼差しで睨んでいた様子が脳裏を離れない。 音楽祭もそろそろ終わりの日程に入ってきて、週が明けてから、これまで会場で見かけたり言葉を交わしたいわゆる音楽通の人々がそろそろ引き上げ始めていることも確かである。これほどまでの聴衆ミスマッチはさすがにあまりないと思うが、シフさんが本当にお気の毒である。平均律の全曲演奏の機会そのものにあまりめぐり合うことはないだろうし、しかもシフとなるとかなり贅沢な経験で、演奏も渾身のものだっただけに、この最後はとても残念だった。













