現在形を操る技術は,今の自分を支えるもので,過去形を操る技術は回想を,回顧を,思い出を,歴史を司る技術であり,未来形はそのまま希望をほしいままにする。
円城塔『プロローグ』
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@32hketq
現在形を操る技術は,今の自分を支えるもので,過去形を操る技術は回想を,回顧を,思い出を,歴史を司る技術であり,未来形はそのまま希望をほしいままにする。
円城塔『プロローグ』
もし現実なるものが確固としてどこかにあるとして,それは絶えず食い違い,修正されつつ忘れられつつ,糊塗されながら進行していく現象なのではないか
円城塔『プロローグ』
もしも小説がどんどん長大化していったなら [...] 検索を駆使しなければ作者も読者も一歩も進めなくなる日がくるはずで,むしろそういうものを書く工夫をするべきではないかと思う。
円城塔『プロローグ』
一冊の本の命脈を考えるとき,わたしは翻訳書がうらやましくなる。その母国語における,定本,底本に対してではなく,数多生み出されては改訂されて誰かに読まれて新たな並びに置き換えられ続けていく文字の連なりが。翻訳は転生じみている。別の国に何度も生まれ直す小説がある。ただ固定した化石であることと,次々と変異を繰り返しつつ,広がっていくことのどちらがより生物らしく見えるだろうか。その姿は灰から飛び立つ鳥のようにわたしには見え,子孫を増やしていくように見え,バージョンを切り替えながら変化していく生き物に見える。
円城塔『プロローグ』
「たちの悪いフィクションだ。自分たちの物覚えが悪かったせいで作り出さざるを得なかったフィクションであり、フィクションだと自覚してさえいないフィクションだ。かつて本当に起こったことを忘れてしまったおかげで、どれだけのフィクションを、フィクションを破るために積み重ねる羽目になったとおもう。忘れてしまってはいけないのだ」
円城塔『プロローグ』
「アフリカで生じた人類は陸地を伝い水を渡って、南アメリカの先端までたどり着くことを得た。しかしその後、『新大陸』は忘却に沈むことになる。自分たちで歩いて行った道なのにだ。海の向こうに自分たちと似た人間がいたということさえ、陸地があったということさえ忘れ去られる。」
円城塔『プロローグ』
「これはわれわれにとって、自分がきちんとした登場人物でい続けられるかどうかの瀬戸際なのです。人間が読んで面白いお話になるかどうかの。」
円城塔『プロローグ』
十万人の架空の街の話を書くために,十万人の名前を決めた小説家はいるのだろうか。
円城塔『プロローグ』
「重要な点を指摘しておくと、おそらく電話帳での名字の頻度分布と、小説に出てくる名字の頻度分布は異なると思うね。つまり、現実の世界と小説の世界では、その内に存在する名字の割合が違うわけだ。」
円城塔『プロローグ』
なるほど漢字というものは,少なくとも一冊の本ができるくらいの分量を手書きしないと,ものにならない代物だったわけだ。
円城塔『プロローグ』
この「ぬ」と「め」というのは違う文字かね。「ね」と「れ」と「わ」というのはどうなのか。ひとつ,光学文字認識氏,OCRさんの気持ちにもなってあげてみてほしい。「は」と「よ」と「す」あたりもなんとかして欲しい。「り」だとか「い」だとか「し」だとか並び,一体どんな種類の嫌がらせか。こんな書記体系を学習する羽目になる日本人の子供の頭に無用な負荷がかかったりはしないのか。
円城塔『プロローグ』
「僕が書いているのは日本語で、君は今そこへ通りかかったところだ」[...] 「日本語というと」訊いてみる。「あの謎の書記体系を持つという伝説の」
円城塔『プロローグ』
科学啓蒙書というものは,本来乗り越えられるものである。科学といえど学説は古びるものであり,逆を言うなら,乗り越えられるまでは古びない。通り一遍,納得したような気分になって読み終えるようなものではない。その意味で,ある科学啓蒙書が読まれ続けることは,書き手のある種の敗北ということになる。充分に理解がされたなら,その対象は近々乗り越えられて古びたものになるはずだからだ。
円城塔 金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』巻末解説より
ただ考え続けること,考えながら自分が考えたものを考え直すこと,何かを考えたことで,それまで見ていた風景が一気に変わり,またその変化の様式について考えること。そんな過程を続けるうちに見えてくる,当面きっとたしかな言明。新たな発見が行われるまで命脈を繋ぐ思考方法。伝えられるべきものは,ある特定の式ではなくて,ある特定のモノではなくて,ひたすら続く新たな発見の運動なのだ。そんな行いについての教科書はない。ただ態度があるだけであり,本書はそれを差し出している。
円城塔 金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』巻末解説より
ひとつ,ゲームをしてみましょうか。お互いにさっきのトランプの山から一枚ずつ引いて見せ合うわけです。数字の大きな方が勝ちとしますか。ただ,もろもろの事情を考え,引いたカードは自分では確認せずに相手だけに見せるとします。いいですか。いきますよ。はい,わたしが引いたカードは「6」です。カードに書かれたこの数字は,わたしは見ていませんからね。あなたの引いたカードは,ふむ「8」ですか。どうです。どちらの勝ちでしょうか。わたしには,自分のカードが見えていないので,勝敗はあなたにしかわかりません。ああ,そうですね。あなたが引いたカードがほんとうに「8」だったかどうか。それはわたしを信用してもらうより他ないわけです。
円城塔『店開き』 『kaze no tanbun 特別ではない一日』所収
文章は見栄えが何割,とか申しましょう。どんな見かけをしているのか,行間,文字サイズ,一行文字数によってそりゃ,他人の反応は変わりますよ。反応が変わるんだから,それはわたしの本質が変化するといったって構わないんじゃないでしょうか。わたしの本質は変わらないのに,周囲の反応が変わる,不当だと言ってみたって始まらないんで。他人からすれば,その印象からわたしの本質ってやつが組み立てられることになるわけですし。
円城塔『店開き』 『kaze no tanbun 特別ではない一日』所収
んん。ちょっと待ってくださいよ。やっぱり身づくろいくらいはね。ゴシック体を明朝体に変更したりね。一行文字数を整えたりさ。一応,人前に出るわけだから。はい,どうですか。どうですかっていうのはあれですよ。わたしたちみたいな文章には,自分を見る能力はないわけでね。自分がどんな色や形をしているのかは,本来あずかり知らぬことなんですよ。
円城塔『店開き』 『kaze no tanbun 特別ではない一日』所収