絵は後ろのベッドの上で幽霊の女の子がスマホを見ながら笑っているのと、手前に何も気づいていないおじさんが熱弁を振るっているのを汗をかきながら見るプラベンドゥ。
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爽やかでやがてちょっと悲しくて、面白かったです〜。
主人公はバラモンで祈祷を代々担っているような家系だが、それを疎んでギタリストとして暮らしていて、そんな彼の目の前に若くして亡くなった幽霊の女性が現れることで巻き起こるドタバタコメディ。
ニヴィンくんの普通っぽいキャラクターがこの主人公にはとても合っていたな。まぁやっぱり無双シーンがあるのはインド映画の主人公らしいがw
幽霊の女の子愛称デルルもシャキシャキしていて良いキャラだった。
デルルは前向きでSNS大好きの今時の女の子だけど、生きていた頃の記憶を忘れている。主人公プラベンドゥ(インドゥ)は母親が亡くなった際に家族は儀式の最中だったことが原因で、儀式や父親を疎んで遠ざかっているのだけど、それに対してデルルが関係の修復を促す、というのはなんか若い子にしては聞き分けが良すぎるような気もしていたんだけど、後半になるにつれその理由が明らかになり、なぜインドゥの元にデルルがやってきたのかに繋がるのもよくできているし切なさも高まった。
まぁ、もうちょっと捻りとか、デルルの音楽的趣味やもっとSNSとかKpopとかの若者的要素が入っても良かったかなと思う〜。
結構売れたみたいだけど、納得の面白さand爽やかさでした。気軽に見れる(マノラマックスでの英語字幕配信だけど!)!
主人公のインドゥはビッグバンドのエレキギタリスト担当としてイギリスにツアー遠征に行くはずであったが、手違いでビザが取れず、すでにアパートは引き払ってしまったため、バンドがツアーの間は随分帰ってなかった故郷へ帰省することになる。
父親の70歳の誕生祝いの最中だったが、インドゥは母親が亡くなった時も父親が祈祷をしていたため、それをずっと恨みに思い無神論者になり、祈祷も行っていない。しかし金銭的な必要のため、いとこのルペの助手を仕方なくすることになる。
ある日ルペが怪我をしたため、代わりに、裕福な弁護士のもとで悪魔祓いの儀式をしたところ、そこから幽霊がインドゥの元に移ってきてしまう。
それからインドゥの元には、インスタのプロフィール写真がKpopアイドルの写真になっていたり、女性もののクルタが注文されてきたり、インドゥを脅してきた男のバイクが暴走するといった不思議な現象が起こるようになり、ついに20歳そこそこくらいの若い女性の幽霊が目の前に出現する。
とはいえ幽霊の女性はインドゥのスマホを見たくてついてきただけであり、取り憑いて悪さをするなどのことは起きない。女性はスマホや音楽好きであることは身についているものの、生前の記憶は無くなっているため、妄想、幻想のスラングであるデルル(delusion)を女性が口にすると、インドゥはそれが名前だと勘違いし、女性もそれを採用する。また、死に際して自分が死ぬことを「許可する」ような声が聞こえたことは覚えている。
かねてからインドゥは映画音楽関係の知り合いから、ボリウッド映画のオーディションを紹介されていた。オーディションではアコースティックギターを弾いていたインドゥは、音楽監督から力不足を指摘されオーディションに落ちそうになるが、デルルのアドバイスを聞いて演奏をすると状況が好転し、採用されることになる。
そこからインドゥはムンバイに行き仕事を得て、音楽監督のマネージャー・サーディヤという素敵な女性と知り合い、父親との関係も好転していく。
最初はサーディヤとの関係を応援していたし、インドゥの人生が上向きになっていくのを喜んでいたデルルだが、インドゥが父親との関係を修復しようとしていたところで自分にも何かそれが関係あるのではと思い始める。
サーディヤの友人の結婚式に車で出かけたインドゥとデルルだが、デルルは帰りの車中でインドゥに「あなたを愛している」と告白する。インドゥはその言葉を受け入れず、サーディヤの電話に出るため外に出たところ、トラックがそばを通りかかって轢かれかける。デルルはそれを見て自分はマヤ・マテュー・マンジューランという名前だと思い出し、抱擁されたインドゥにも過去のデルルの思い出が体内に流れ込んでくる。
マヤは結婚をするつもりであった。恋人は少し年上でヒンドゥ教徒とのことだったが、自分に批判的な母親を説得するため、彼を紹介することにする。しかし彼は彼女の意図を察し、その場には現れない。マヤは彼に連絡するため車から外に出たところ、トラックに轢かれてしまう。脳死状態のところを知らせを受けた弟がやってきて、父親が弟に「お前がいいというまでは私は生命維持装置を外す許可は出さない」と言うが、弟はマヤを苦しみから解放するために、生命維持装置を外す許可を出すのであった。
全てを思い出したマヤは、自分はずっと「デルル」だったのだ(マヤはマラヤーラム語で「幻想」)と言い、満足した表情で消えていく。
インドゥは叔父に今までのことを話し、叔父の「彼女の家族は、彼女は愛されたという記憶が残ることで満たされるのではないか」という言葉を聞き、マヤの家族に会いにいく。
インドゥはマヤの友人であると話すが、マヤの写真をじっと見ているインドゥのことを、母親は彼がマヤの恋人だった人ではないのかと感じる。それをインドゥに聞くと、インドゥは「私がその人です」と伝えたのだった。
いくらちょっと若い設定とはいえ、デルルとインドゥとでは年が離れすぎてるわなと思ったが、最初はデルルもインドゥの恋路を応援していたので、やっぱり後から愛しているというのは、インドゥと自分とを重ね合わせてるんだわな、と思った。という恋愛とは少し違うんだよ(愛かもしれないけど)っていう表現は、この映画はうまいなぁと思ったのでありました。
あと、Sarvam Maya(全ては幻想)というタイトルは最初はなんか爽やかな映画な割には後ろ向き!と思ったけど、最後まで聞くと「やっぱり爽やか!」となったw