くすぐりというもの、これはどうしても噺にはなくちゃならないもので、言ってみれば噺の薬味というか、とんがらし、わさび、しょうが……そういったものです。適材適所にぱッと入れた時に、これァ非常に効くものなんで。ところが近頃の若い人の話を聞きますと、やたらにくすぐりをいれたがる。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生

Product Placement
2025 on Tumblr: Trends That Defined the Year
Today's Document
cherry valley forever

Andulka
Three Goblin Art
Sade Olutola

if i look back, i am lost
tumblr dot com

Kiana Khansmith
hello vonnie
Mike Driver
Claire Keane
YOU ARE THE REASON
No title available
he wasn't even looking at me and he found me

pixel skylines
d e v o n
Not today Justin
Cosmic Funnies
seen from Belgium

seen from Italy
seen from India

seen from United States
seen from United States

seen from United States

seen from United States

seen from Finland
seen from Canada

seen from Germany

seen from Philippines

seen from Malaysia
seen from United States
seen from Sweden

seen from France
seen from Malaysia
seen from United Kingdom
seen from Vietnam
seen from United States
seen from Germany
@acetylcoyei-blog
くすぐりというもの、これはどうしても噺にはなくちゃならないもので、言ってみれば噺の薬味というか、とんがらし、わさび、しょうが……そういったものです。適材適所にぱッと入れた時に、これァ非常に効くものなんで。ところが近頃の若い人の話を聞きますと、やたらにくすぐりをいれたがる。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
それから、甲の噺のくすぐりを乙の噺へ持ってきて演る、これを<つかみこみ>と言いましてね、非常にこれもやかましかった。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
昔は芸の行儀ってことを非常にやかましく言われました。たとえば旅のマクラを振ってたなと思うと、旅の噺をしないで女郎買いの噺になっちまうというように、ひとつの噺のマクラをほかの噺のマクラにつかうなんてことは大変うるさかった。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
あたくしは弟子に申しましたが「批評する人は、聞く人の立場としていろいろな意見を言うが、演る方には、また演る方としての立場があるから、批評というものを全部そのまま受け入れるわけにはいかないことがある。とんでもない所へつッ走って、邪道へおちてしまってから、批評した人にその責任を取ってもらうわけにはいかない。批評というものは、用いていいこともたくさんあるが、時には用いて害になることもあるということをよく考えておかなければいけない」、と言いました。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
本当にお客様が聞いて下さって、自分でも本当にやれたという時は、ま、これだけは芸人でなければ味わえない愉快さです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
あたくしという人間は非常に不器用だと思うんですね。子供の時からやっているんですし、芸の中で育って生涯を終るというような人間ですが、そのくせ本業の一番大事なものをつかむのが非常におそかったんです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
金はもちろん大事です。あたくしだってそれァ金は欲しい、誰だって欲はありますからね。だがそう金にばかりこだわっていたら、芸人はあんまり上手くならないんじゃないかと思います。芸人馬鹿という言葉がありますが、この人ァ頭がどうかしているのかな、という所が、一応は、なければ、芸は上手くならない。そう算盤ばかりはじいてやれる商売じゃァない。それならほかにもっといい商売がいくらでもあると思います。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
師匠(橘家圓蔵)の曰く「落語研究会というものは大切な会であって、これを休んでは先生がたに申し訳がない」……先生がたてえのは、岡鬼太郎、森暁紅、石谷華堤、今村次郎。落語が頽廃して、もういけないという時に、研究会をやって盛り返したといういわれがありますし、また唯一の道場でもあり、師匠としては本当に敬虔な気持ちで勤めていたわけなんでしょう。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
TBS専属の落語家たち(1954年以前に撮影) 後列左から6代目三遊亭圓生、5代目柳家小さん。 前列左から昔々亭桃太郎、5代目古今亭志ん生、8代目桂文楽
株式会社東京放送 - TBS『東京放送のあゆみ』
あたくしは、志ん生の芸について、やたらに大きい声を出したりして、噺そのものは大してうまくもないのに、どうして客に受けるんだろうと考えたことがありましたが、あの人は決してがむしゃらにそういう演り方をしていたわけじゃァない、大人(おおびと)といって、大勢のお客を前にした時は、そういう演出法が一番効果があるから、そういう手段を用いていたのだということが判ったのです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
満州へ行く前と帰ってからとでは、あたくしの、ひとの芸に対する見方も大分変わりました。志ん生という人の本当の値うちを理解できるようになったのもそのためです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
『妾馬』の(下)を始めたところが、以外に初演から受けました(二十二年十二月十日新宿末広昼席にて初演)。二、三度演っているうちに「あァ、こういう噺の方がいいのか」と思った。つまり、ただ笑わせるだけでなく、笑いあり涙ありという噺があたくしに一番向いているようだと悟ったわけなんです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
『妾馬』は、品川の師匠が、八五郎が門番のところへ来てべらべらッとしゃべる所でサゲていた。あたくしもそこまでで奥は演ったことがなかったが、これもしきりに演りたくなって、いろんな本を引っぱり出して調べました。幸いに落語の本は防空壕へ入れて助かっていたんです。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
「圓生さんは、満州へ行く前よりうまくなった」……仲間うち、また定連というようなお客様がそういったんです。これは、なんてんですか、満州へ行ってあたくしは今までにない経験をした。人間的な苦労ですね。なんといってもあたくしは親の庇護を受け、師匠の庇護を受け、苦労したとは言い条、やはりまだ本当の苦労が足りなかった。それが満州では食うや食わずの苦労をした。これがまァ、人間的に成長したというんですか、芸の足しになったのかもしれません。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
そういう人間としてのなんともやりきれない孤独感は、実地にそういう境遇にあっていない人には判らないでしょうが、外地のこういう状況で、心のささえというものが欲しくなって、引き揚げるまでとおたがいが承知の上で、そういう夫婦がたくさんできたものです
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
あたくしが満州で家内を持ったというお話があります。もちろん東京には家内があるんですから、二重結婚で法律上の大問題……いや別にそういうやかましいことじゃァないんです。しかし内地にいた人には所詮わからないことですが、敗戦当時、外地にいて誰一人頼る者はなし、生活の不安と生命の不安……おもてを歩いていても、いつどんなことで殺されてしまうかもしれず、死んだところで「あァ、あすこで日本人が死んでいた」でおしまいなんですよ。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生
ある時、四谷の喜よしで『子別れ』を演って楽屋へおりてきましたら、伊藤金三の圓遊さん(三代目)がいて、「失礼ながらお前さんうまくなりましたね」と言うから「いえ、どういたしまして」「いや、今前で聞いていて、本当にうまくなったのにびっくりした。これでこそ亡くなったお父ッつァんもきっと地下で喜んでいるでしょう。あァ結構だった」と涙をこぼして喜んでくれました。あたくしもその時は、嬉しいやら、ほろりとするやら、なんとも言えない心持ちがしました。
新版「寄席育ち」六代目三遊亭圓生