僕はファッションより、「スタイル」に興味がある
毎月のように新しい服を買い、飽きもせずにそれらをコーディネートし、インスタグラムに投稿する。
僕は洋服が好きだし、今後もファッションというものへの興味が尽きることはないだろう。
そんな中、ふと考える。
「僕はなんでファッションが好きなんだろう」
自分なりに捻り出した答えは、
「ファッションは、自分という人間を表現するのに最も適したツールの一つだと思っているから」
イギリス生まれの伝説的なDJ、Don Lettsがカルチャー誌『SILVER』の中で次のように語っている。
「若い頃、イギリスの多くの労働者階級にとって、何かを表現してアイデンティティを持つためには、たった2つの方法しかなかった。それが音楽とファッションだ。」
音楽とファッションは、いつの時代も人々に寄り添うように、当たり前のように存在する日常的なカルチャーである。だからこそ、それら2つの溢れる選択肢の中から「自分は何を選ぶのか」が、他人と「自分」との違いを示すための一つの要素になった。
「個性」を重視する欧米文化の中で、「マジョリティに埋もれて存在感のない自分」になってしまうことを嫌い、絶えず自分を表現しようとする若者達の創意工夫や様々なムーブメントの積み重ねが、カルチャー発信の中心地としての「ロンドン」という風格を、揺るぎないものにしてきたのだ。
そして、Donはさらにこう語る。
「でも、ただのファッションは良くない。ファッションより大事なのがスタイルなんだ。ファッションは過ぎ去っていくけど、スタイルは永遠に残るんだ。ファッションは買えるけど、アティテュードは買えない。」
日々、SNS上では、「何が、誰がカッコ良くて、ダサいのか」、「SUPREMEはこうやって合わせるべきだ」、「スケートブランドを着るならスケートをすべき」、「バンTを着るならそのバンドを聴いたことがないと恥ずかしい」、などというような議論が多く見られるが、それら全ての「答え」になると言っても過言ではないような、本質をついた言葉だと思う。
つまり、上述したような議論は、「ファッション」VS「スタイル」という対立構造になっており、ある意味、極めて不毛な争いなのである。
フィギュアスケートとスピードスケートの選手同士の技術に対して、「どちらが優れているのか」を比較しようとする行為に近いかもしれない。その行為に意味はない。だってそれらは似て非なるものだから。
どんな合わせ方をしようが、何を買おうが、「ファッション」を楽しむ人々はそのままそれを自由に楽しみ続ければ良いし、一方で、「スタイル」を追求する人達は、自分の好きな洋服の背景を好きなだけ掘り下げ、オリジナリティを探す旅を存分に楽しめばよいと思う。オリジナリティは決してお金じゃ買えないからこそ、そこに楽しみがある。
そんな中で、たまたま僕という人間は、「スタイル」を追求することに最も興味があるということに気づいただけ。だから僕は、流行ってるものに無闇やたらに手を出すことに関心がないし、世間から忘れ去られたような、人気のない古いブランドのアーカイブもネットで探して買うし、着る。好きなアーティストや、尊敬する友人が着ているブランドでも、あくまで自分のアンテナに引っかかるものしか買わないし、着ない。
ここでさらに、同誌から、野村訓市氏、西山徹氏、Luke Meier、Thundercatらの印象的な言葉を引用したい。
「ただの流行りの服なら、金さえあれば買える。それより、自分なりのこだわりや、主張を見つけ、それを着こなした時、初めてそれはその人のスタイルになる。流行り廃りではなく、自分という人間に最も似合う服を見つけるために多くの時間と金をかけていくのだ。」(野村)
「自分の"好き"をなぜ好きなのかを追求し続けることが大切だと思う。"好き"を追求することに未来がある」(西山)
「自分にとってスタイルというのは全ての基本であり、一番大切にしていること。スタイルは単にファッションを示す言葉ではなく、哲学であり人生観なんだ。スタイルを考えずして、何も語ることはできない。」(Luke)
「自分自身を表現することを恐れちゃいけない。誰しもがスタイルを持っていると思うけど、努力してそれを伸ばさなきゃいけないよ、その為には自分自身が何者かを見出すことが重要なんだ。スタイルは個人のもので人それぞれなんだから、独立して自分を表現することに価値があるんだ。」(Thundercat)
4人の伝説の生き字引達の言葉を引用してきた訳だが、僕には4人ともが本質的には同じことを主張しているように思える。
僕が全員の主張を要約するのであれば、「自分が何を好きなのか、そしてなぜそれを好きと思うのかを常に考え、それを恐れることなく表現し、追求し続けること。その先に自分だけのスタイルがある。」こんな感じだろうか。
彼らは「ファッション」の世界で生きるアイコンでありながらも、「スタイル」を追求し、自らの表現を世界に発信していく立場にある。
僕個人の考え方だが、なんの世界でも、「発信する側」の人間は、「スタイル」を追求する人間であるべきだと思う。特にそれが「ビジネス」であるなら尚更だ。
ビジネスである以上、その作品に対して、顧客がお金を払うことによってそれは成立し得る。だからこそ、発信者には責任が伴う。お金を払って手に入れるだけの価値がある作品を、ファンに届ける責任がある。それは小手先の、単にトレンドをトレースしたような、背景に確固たる「理由」が存在しない薄っぺらいものではいけない。やはり、スタイルを持った人間が発信をし、「意味のある」作品を世に問うべきだ。
ところで、多くの成功者が、「お金で買えるものには最早興味がない」という趣旨の発言をしているのを聞く。
それは、「お金で買えない、解決することができない価値というものが確かに存在する」ということの表れだと思う。
ここで、もう一度Don Lettsの言葉を引用したい。
「ファッションは買えるけど、アティテュードは買えない」
僕は、物事の「本質」に興味がある。日常のあらゆる出来事や、感情、他人の些細な言動の「意味」を考え、そこから何か学びを得ることが好きだ。
「スタイル」を追求することは正に、「本質」を追求することと同じだと思う。
僕が着る服や、コーディネートにはそれぞれ理由があるし、それを人に語ることが好きだ。
カッコいい人が溢れる世の中で、僕は自分だけのスタイルを追求し、見つけ出し、それを世界に発信することを続けたい。
「スタイル」はお金じゃ買えない。
「カッコいい」は、お金だけじゃ作れない。
だから僕にとってファッションは死ぬまで楽しい対象であり続けるし、価値のあるコンテンツであるし、僕の中にある様々な考え方や感情を表現してくれる最高のパートナーなのである。
その人のファッションは、その人のスタイルを語るのだ。
最後に、今回のブログを書くきっかけになった、新潟は長岡市のセレクトショップ「id」のオーナー兼バイヤーの酒井さんにお礼を申し上げたい。
ネットショップや数えきれないほどのブランドが存在する中で、今日でも「店舗」を構え、お客様に接客を通して洋服を買って頂くことの意味やご自身のアパレル業界での経験などの素晴らしいお話を聞かせて頂き、改めて、「スタイル」を持つことの大切さや、その価値に気づかされました。同時に、時代が移り変わっても、残り続ける価値があるということにも。
またお店に買い物に伺います、ありがとうございました。
















