話せないと開き直る、または話せるフリをする効果について
多くの人が英語を話すし、通じなくても商売であれば何とかしてコミュニケーションを取ろうとしてくれるから、お腹が空いて死に絶えるなどということはないのだけれど、この肩身の狭さ、申し訳なさ、負けた感は、ドイツにいる外国人には共通らしい。
もうだいぶドイツ語話せるのに、という人は「あなたがドイツ語よりわたしが英語で話した方がスムーズで理にかなっている」という扱われ方に悔しい思いをするらしいし、わたしのような初心者は、分かるはずのことが分からないことに嫌気が差して、好き勝手に落ち込む。もう来てから7ヶ月経つのに。まだダメ。何もできない。
仕事やら学校の混み具合やら数ヶ月後の予定を立てたいやらで、語学学校に申し込みをするタイミングがなかなか掴めなくて、何だかヤケになってドイツ語で話そうとするのを諦めることにしてから数回目の外出(何か言われたら即英語で「わかりません」と伝える作戦)。
わからなかったらまた落ち込むと構えていないし、むしろ理解して会話を続ける予定がないから肩の力が抜けてリラックスしているからか、今日、とても簡単な会話ができたことに気付いた。質問されて答えるだけだから、会話とも呼べないかもしれないけれど。
コーヒー屋に行って注文して、サイズを聞かれて答えて、持ち帰り用カップに入れてもらうことを主張するだけ。いくつかの単語(それももう学習済で覚えている)で済むはずのやり取りが、今までどうしても英語なしにやり遂げることができなかった。いや、今日だって英語で助けてもらったけども。
思わず英語で答えてしまったりドイツ語でおどおど「ごめんなさいわかりません」と言ってしまうことなしに、わかるはずのことをドイツ語の単語で答えられたというだけの話だ(はいお願いします、だけでもそれは回答に数える)。ドイツ語が話せる風にふるまうことができるようになってきたというか。
若い頃、英語が話せなくてあっぷあっぷしていたとき「英語を話せる風にふるまう」ことで何とかなり始めることを学んだ。
「何ですって?」「もう一度言ってくださる?」を言えるようになるだけで、あとは上達する一方である。言われてわからなければ何度も聞き直せばいい。会話をする準備ができているということを、相手と自分自身にも知らせる。あとは何とかなると信じる(相手は何とかするしかないと覚悟する)。たぶんその度胸がついたという印なんだと思った。
今日だって、カップのサイズを「大か小か」と聞かれて「なんだっけ、聞いたことある」と考え込んだり「あ、今なんて言ったかわかった!」と閃光が走って固まったりすることなしに「小ください」と言えただけの話だ。とは言っても「コーヒー屋に行ったらこれとこれを質問される」と心構えをして暖簾をくぐったわけでもない。なんか、考えずにできた。という感じ。
英語が話せるようになりたいという人に質問をされてわたしの経験ややり方を話すことがたまにあるんだけど、そもそも考えるメソッドが人とは違うんじゃなかろうかとか、遠い昔すぎてわたしのでっちあげが含まれているんじゃないかとか思うこともなくはなかった。だからパッションを込めて説明してもあまり人の役には立たないのだろうな、という気持ちだった(後に話せるようになった人に「今ならあなたの言っていたことがわかります」などと言われることもないからだろうけど)。
でもこの「きた」という感覚を久しぶりに味わって、思い出した。ああ、ここから大丈夫になるんだなと。たぶん。いやわからない。なんとも言えないけれど、わたしはとりあえず何とかなる気がするところまでたどり着いた。だから、英語の生活で苦労している人に「きた」を味わって欲しいなどと考える。
わたしがそれを体験したタイミングのせいかもしれないけれど、英語わからないどうしようどうしようとビクビクして過ごすよりは「わからなかったら日本語で」くらいの勢いで良いのじゃないかしらと今日は思う。ビクビクしていると、そもそも会話になるものが始まらないわけで。
わからないから日本語で話したら何とかなった、という話も聞いたことがある。例えば「それっぽい感じ」で何でもやり遂げてしまうある友人は、よく仕事でパリやロンドンに行くけれど、話せるとは聞いたことがないにせよ「英語・フランス語が話せない」などと口にするのは聞いたことが無い。変わらず堂々としていて、頻繁に会うロンドンでは見ると問題なくタクシーの運転手などと会話をしているし、欲しいもの、情報は必要であればちゃっちゃとコミュニケーションをして自分で手に入れている。やっぱり何とかなっている。
わたしは、老婦人が多く住む今の建物に出入りするとき「お願い誰も話しかけないで」と念じながら早足で歩く。見かけたら挨拶はするけれど、それ以上は止めて、と思っている。なるべく人とすれ違わないことを祈るし、建物の入口に誰かがいるのが見えたら速度を落として接触しなくて済むタイミングで入り口に向かうことだって厭わない。
でも明日からは、そんなところに気を回すのは止められる気がする。
ちっとも役に立たないかもしれない。でも、あれもしかして、などと言って明日からちょっと話せる気になって人生の問題がひとつ減る人もいるかもしれない。