「夢のなかの赤い旗──アーシア探索」(PDF)
クラヴェルの恋人だったアーシアに関する探索の過程をエッセイに書きました。雑誌『UP』に掲載されたものです。
田中純「夢のなかの赤い旗──アーシア探索」、『UP』488号(2013年6月号)、東京大学出版会、2013年、49〜55頁(PDF 2.2M)。
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「夢のなかの赤い旗──アーシア探索」(PDF)
クラヴェルの恋人だったアーシアに関する探索の過程をエッセイに書きました。雑誌『UP』に掲載されたものです。
田中純「夢のなかの赤い旗──アーシア探索」、『UP』488号(2013年6月号)、東京大学出版会、2013年、49〜55頁(PDF 2.2M)。
Ein Brief von Frau Antoinette Frey-Clavel(アントワネット・フライ=クラヴェルさんからの手紙))
ジルベール・クラヴェルの姪(弟ルネの娘)であるアントワネット・フライ=クラヴェルさんからお手紙を頂戴する。ドイツ語の手紙を添えて、拙著をお送りしたことへの返信。「代父(Pate)」であるジルベールについての本を喜んでくださっている。ポジターノの塔を訪れるときにいつも感じたという興奮や、そこで泳いだり船に乗ったりした思い出など。もう93歳とご高齢にもかかわらず、自筆の書簡でわざわざご返事いただいたことをありがたく思う。お会いする機会がいつかもてればいいのだけれど。
ジルベール・クラヴェル生誕130周年
今日はクラヴェルの誕生日です(1883年5月29日生まれ)。
1913年5月29日にクラヴェルは30歳になった。しかし、彼自身はこうした数字を個人的な経験に対してはあまりに非現実的な関係しかもたぬものと感じていた。「ぼくは信じられぬほど多くのことを──他人が数年間で経験することをしばしば一日で──経験してきたのだし、明日死んだとしても、自分の墓石のうえの数字など、些細なものに思えることだろう」(6月3日付ルネ宛の手紙より)。病気との闘いが人生をより価値あるものにしていた。病を乗り越えることを通じて、むしろ自分が若返ったようだとクラヴェルは言う。そこにあるのは「数えきれぬ始まりと可能性の感覚」であって、その終わりは見えない。それゆえに彼は「何も無駄ではなかった」と書く──病気も幻滅も、いかなる種類のものであれ、喪失もまた。
『冥府の建築家』より。
「何も無駄ではなかっ──病気も幻滅も、いかなる種類のものであれ、喪失もまた」と語ることができるような境地に自分はたどり着けるだろうか・・・
【映像公開】「ジルベール・クラヴェルを探す旅」(2013.4.16@ジュンク堂)
トークセッションが動画配信されています。全体で1時間半ほど。朗読は55分過ぎ、「アーシアを捜して」は1時間5分過ぎからです。
YouTube http://youtu.be/1wO801DiJLY
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/1368142767
アーシア探索
4月16日のトークセッションでお話ししたアーシア探索過程のスライドです。
アーシアについて拙著では本名もわからない正体不明の女性と記しました。トークセッションでは、つい最近になって、ひとつの手がかりから彼女の素性が明らかになった経緯を紹介しました。
詳細はさらに調査のうえで、いずれまとめて何らかのかたちで発表します。ここでは概要のみを記しておきたいと思います。
発端は、クラヴェルの親友であった画家ハンス・パウレ(Hans Paule)について、その遺稿や作品の情報はないものかとネット検索をしていて見つけた、ある書物のページ画像です。そこにはPaule の名とともに「Die schöne Asia」、つまり「美しいアーシア」という一節がありました。「マクシム・ゴーリキーの取り巻きの一員としてカプリにやって来て、友人たちのサークル全体から崇拝されていた美しいアーシアを、彼[パウレ]は倦むことなく繰り返し描いた」──これはあのアーシアに違いありません。
これはWaldemar Bonselsという作家の作品を解説した文章中の記述です。このボンゼルスは日本でアニメ化された『蜜蜂マーヤの冒険』の原作者で、パウレの友人でした。彼は1910〜11年頃の複数の作品に、Asja, Anata, Afraといった、いずれもAsiaをモデルにしたと思われる女性を登場させています。同じ作品にはパウレがモデルと思われる男性も現われます。
そこでボンゼルスの遺稿について調べてみると、ミュンヘンのアーカイヴに保管された資料のリストのなかに、Asia Tannenbaum(アーシア・タンネンバウム)という女性がローマやカプリからボンゼルスに宛てた書簡が見つかります。そこにはFelix Tannenbaumからの書簡2通も含まれていることがわかりました。また、同じアーカイヴにはパウレがこのアーシアに宛てた書簡1通も所蔵されています。
フェリックス・タンネンバウムは恐らくアーシアの夫であろうと推測できます。彼について検索してみると、グスタフ・ルネ・ホッケの自伝中にその名が見つかります。ローマ在住の友人と記されているところから、同一人物であることはまず間違いありません。さらに、フェリックス・タンネンバウムのローマとカプリ島の屋敷を建築家Konrad Wachsmanが設計したという情報が得られ、この建築家を扱った書物の謝辞にMya Tannenbaumという女性の名が見出されました。屋敷を相続した人物だとすれば、アーシアとフェリックスのあいだに生まれた娘に違いないでしょう。
そこでこのミーア・タンネンバウムについて調べたところ、イタリアの新聞「コリエーレ・デラ・セラ」に彼女の夫(ポーランド人)の逝去に際して書かれた記事がありました。ピアニスト出身のミーアは同紙に寄稿する批評家でもあります。亡くなった夫はポーランド文学のイタリア語への翻訳者として著名でした。
この新聞記事には次のように記されていました。(イタリア語の訳文は池野絢子さんにチェックしていただきました。)
彼女の名はMya Tannenbaumであり、ウクライナ人の女性革命家Assja Solovejcicの娘である。この女性はロシア帝国によってシベリアに流刑にされたが、党の同志による列車への劇的な襲撃のおかげで、その運命から救われた。自由になったのち、Assjaは国境を非合法に越境することに成功し、カプリにたどり着いた。そこでは偉大な作家ゴーリキーが亡命者、知識人、革命家の卵、そしてイタリア人の賛美者たちからなる小さな共同体に君臨していた。
Assja Solovejcic──これがミーアの母の名です。クラヴェルの恋人だったアーシアはときに「女性革命家」とも呼ばれていましたから、その点とも一致します。
しかし、Solovejcicという名のロシア人名はどうやっても見つかりません。そこでスラブ系の言語に詳しい亀田真澄さんにうかがったところ、「「Assja Solovejcic」と書かれた名前としてありうるのは、「アーシャ・ソロヴェイチク Ассія Соловейчик」(そのまま翻字するとAssia Soloveichik)」であるということが判明しました。ソロヴェイチクは著名なラビも輩出しているユダヤ系の姓です。クラヴェルはアーシアとの別れを予感した夢を記した日記で次のように書いていました。
ぼくは侯爵夫人のほうを向いて小さな声で言った。「以前彼女の名はソロヴェイ・・・(Solovei…)」侯爵夫人は最初よりももっと鋭くさえぎった。
彼は「ソロヴェイチク」と言おうとしていたのではないでしょうか。
アーシア・ソロヴェイチク──それがクラヴェルの恋人だった女性の名であると確定して差し支えないように思われます。こうして彼女の名にはたどり着くことができました。しかし、パウレが繰り返し描いた彼女の肖像画はどこに行ったのか。多くの男性たちから崇拝され、ボンゼルスが名を変えて幾度も小説中に登場させたほどの彼女の魅力とは何だったのか。ファム・ファタル──運命の女という言葉を思わせる何かがそこには感じられます。だからこそ、アーシアを探索したいと願う背景には、クラヴェルやパウレの恋愛といった私生活への興味を越えたものがあるように思われます。
以上がトークセッションの最後にお話しした内容です。ミーアさんには外交官だった夫とともに1950年代のスターリン主義的なポーランドから脱出した経緯を中心にした自伝の著書があり、「コリエーレ・デラ・セラ」の記事はその内容にもとづいています。トークセッション終了後に入手したその書物には、母アーシアの思い出も記されていました。その内容については、いずれ別の記事として書きたいと思います。
旅の続き(セッション質疑応答への補足)
会場からのご質問に十分にお答えできなかった部分がありましたので、この場で補足します。
ヨーロッパを東西軸ではなく南北軸でとらえるという、中谷礼仁さんからのコメントについてですが、ナポリ、カプリ、ポジターノの一帯に残存したセイレーン神話を伏線とした拙著が扱うヨーロッパ古層の神話的想像力は確かに、イタリア半島南端やシチリアを経由してチュニジアやエジプトにつながる伝播の系譜を内包しています。スフィンクスとセイレーンの関係からもそれはうかがえます。そして、この象徴的イメージの旅路をクラヴェルは、それと意図することなく、みずから旅人としてたどってもいました。彼の裡には、神話的であると同時に地理学的な想像力によって紡がれた一種の地図が存在していたように思われます。クラヴェル城という建築複合体には、大地を穿って居住空間を造り上げてきた、原始時代以来のこの一帯における人間の営みの歴史もまた反映しているでしょう。
ナポリ、カプリ、ポジターノにおける古代文明の残滓を問題にすることは、言うまでもなく、古代ギリシアの植民地域である「マグナ・グラエキア」全体に関わってきます。この地域を1930年代に旅した紀行文を青年時代に『失われた面影』として出版し、のちに改稿して『マグナ・グラエキア』という書物としたのがグスタフ・ルネ・ホッケでした。うえに述べたアーシア探索の途上でホッケの名に行き当たったこと、『マグナ・グラエキア』邦訳の解題を執筆する予定であることも奇遇と言うべきでしょうか。
いまではさらに、ヨーロッパ中心部から地中海を挟んでアフリカにいたるラインとは別に、内陸へ、中央アジアへと向かう進路もまた視野に入れる必要を感じています。クラヴェル伝との関連で言えば、アーシアがステップ地帯出身のロシア系ユダヤ人であったことがひとつのきっかけですが、クラヴェルの生きた時代のカプリ島やポジターノに亡命ロシア人たちの共同体があったことを思えば、中央アジアやシベリアにまで拡がるロシア=ソ連の広大な大地とロシア革命期の大規模な人びとの移動についてさらに知る作業が不可欠だからです。
ここには、米国でベストセラーになったTom Reissの著書The Orientalistで広く知られることになったLev Nussimbaum(またの名をEssad BeyあるいはKurban Saidとも)のような存在も関わります。彼はアゼルバイジャンのバクーの油田を所有する富豪の家に生まれたユダヤ人で、革命期に中央アジアを転々としたのち、ドイツを中心とする欧米で作家として成功を収め、しかし、最晩年はほかならぬポジターノで貧窮のうちに亡くなりました。出自を詐称ないし神話化し、ナチズム下のドイツで高貴な家柄のムスリムを演じた彼が、華麗な経歴ののちにポジターノに流れ着いたところに、因縁めいたものも感じてしまいます。
トークセッションでは私家版のテクスト集とフォルニッロの塔の自家製絵葉書を配付しました。
「ジルベール・クラヴェルを探す旅」と題したトークセッションを、4月16日にジュンク堂池袋本店で行ないました。ご来場いただいた方々に感謝します。
当日は『冥府の建築家』を執筆するための調査で訪れた、バーゼル、ポジターノ、カプリ、ローマ、マッジャなどの街への旅について、スライドをお見せしながらお話しました。バーゼルのアーカイヴやクラヴェル家の墓、あるいはジルベールの生家、ポジターノの塔や洞窟住居、そして管理人のエスポジトさんによる歓待、カプリのフェルセン邸「ヴィラ・リュシス」の美しさ、ローマのボルゲーゼ宮殿内にある図書室を訪れることができた僥倖、マッジャで見つけた驚くべき資料とハラルト・ゼーマンの娘ウナさんのこと・・・。
スライドを終えたあとには、儀式のようにして一度は行なっておきたかった拙著の一部の朗読にお付き合いいただきました。朗読したのは、今回会場で配付した小冊子に改訳を収めたアーシアへのある手紙と、アーシアとの別れを告げる夢について記された日記の一節です。
そのうえで最後に、この正体不明だった「アーシア」という女性について、ごく最近明らかになった事実を報告しました。その過程で所在のわかった資料を実見し、存命であると判明したアーシアの親族に会うためにも、またふたたびヨーロッパに行かなければなりません。それゆえ、幕切れのスライドには「そして、旅は続く・・・」と記しました。
【再掲】4月16日、ジュンク堂書店池袋本店でトークセッション
『冥府の建築家──ジルベール・クラヴェル伝』の刊行を記念し、下記の日取りで「ジルベール・クラヴェルを探す旅」と題したトークセッションを行ないます。
クラヴェルや彼にゆかりのある人物の足跡をたどった旅を、豊富な映像とともに著者が紹介します。「クラヴェル城」の内部など、評伝には盛り込めなかった部分も詳しく解説。来場者には著者があらたに作成した小冊子を限定頒布する予定です。
■日時:2013年4月16日(火)19時30分〜 ■会場 ジュンク堂書店池袋本店 4階カフェにて ■定員 40名(電話又は来店にて申し込み先着順) ■入場料 1000円 (ドリンク付) ■受付 電話又は来店(1Fサービスカウンター)にて先着順に受付。 ■イベントに関する問い合わせ、予約先: ジュンク堂書店池袋本店 TEL 03-5956-6111 東京都豊島区南池袋2-15-5
詳しくは次のサイトで。 http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk.html#20130416_talk
カタログ代わりの書物に掲載された、チュルヒャー氏の撮影による洞窟の画像(中央)は、《8つ川》の映像と同じく、海上から撮られている。右手の階段を室内から降りていく過程を撮影した写真(2010年3月に田中が撮影)でわかるように、この空間は非常に狭く、波が押し寄せてくるため、撮影に非常な困難のともなったことが予想される。チュルヒャー氏によれば、鳩の糞を除ける覆いもカメラに必要だったという。
レナートゥス・チュルヒャー《8つ川》展示に会わせた出版物。ISBNはなく、市販はされていない模様。書誌情報は、Renatus Zürcher, Simon Baur und Ruedi Ankli (Hg.): Gilbert Clavel. [n.p.] stalker editions, 2013.
表紙から裏表紙にかけての串刺しにされたカエルの図像は、クラヴェル家の紋章から採られている。内容は次の通り。
Renatus Zürcher, Simon Baur und Ruedi Ankli: Vorwort der Herausgeber(編者序文) Simon Baur: Editorische Notizen(編集上のメモ) Sabine Schaschl: Gilbert Clavels Erbe im Werk von Renatus Zürcher(レナートゥス・チュルヒャーの作品におけるジルベール・クラヴェルの遺産) Ruedi Ankli: Gilbert Clavel. Biographische Anmerkungen(伝記的注釈) Harald Szeemann: Gilbert Clavel (Basel 1883-1927 Kleinhüningen) (ジルベール・クラヴェル、バーゼル、1883年〜クラインヒューニンゲン、1927年)
Szeemannの文章は「幻視のスイス」展のカタログに書かれたクラヴェル略歴の再録である。
いずれも比較的短い文章ながら、この書物は全体で400頁ほどの厚みがある。これは白紙ページが異様に多いためだ。本を上から見て朱色の部分のみにテクストが印刷されている。編者達によれば、こうした造本は将来作られるべき、クラヴェルのテクストなどの資料を集大成した書物の先触れという意図からである。
この意図はわからないではないし、カエルの図像の使い方は洒落ている。ただ、資料的価値はほとんどないため、五年以内(2017年を目標にする由)に出版されるという資料集に期待したい。
展覧会サイトより、《3 Vievvs》の会場風景。
展覧会サイトより、《8つ川》の一場面、性的快楽の死の場面の映像。
展覧会サイトより、《8つ川》の一場面、海に面した洞窟と外部の光景とが融合された映像。画面右上の植物は洞窟外のもの。右手の白い着衣の人物は作者。
展覧会サイトより、《8つ川》の一場面(部分拡大)、フォルニッロの塔外観。
展覧会サイトより、《8つ川》の一場面、「自殺協会」の自己紹介文。右手に投影される壁面の角があり、映像が屈曲している。
展覧会サイトより、展示会場写真。手前左は《Positano Peak》。右手の暗い入口の奥が《8つ川》上映会場。