孤独って200種類あんねんという認識の人としか仲良くなれない。
Xユーザーのかぽさん
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孤独って200種類あんねんという認識の人としか仲良くなれない。
Xユーザーのかぽさん
まあ、そりゃそうか。 自分が子供の頃なんてドラマでも漫画でも 「高学歴なんて勉強しかできないバカ。 低学歴は学校では学べない生きた真の知恵を持っている」 的な価値観が年がら年中垂れ流されてたんだから。 それが作品の顧客に対するただの「媚び」でしかないと気づかなければ、一生そのままか
Xユーザーのかじめ焼きさん
人は自分の意思で生きているようで、実はまわりの人から大きな影響を受けています。前向きな人といれば希望が生まれ、努力する人といれば自分も頑張ろうと思えるものです。反対に、後ろ向きな言葉ばかり聞いていると、知らないうちに後ろ向きに引っ張られてしまいます。人生を良い方向に変えためには、何か特別なことを始めるのではなく、まずは「誰と過ごすか」を見直してみてください。
Xユーザーのわびさん
これは全ての職業に通じるかもしれんけど、思ったより皆自分の直にやってる仕事以外については知らないので「〇〇は世間知らず」とか揶揄するより「俺も案外知らん事多いな」と謙虚に構えてた方がよい
Xユーザーの射的屋(つぶあん派)さん
これはマジな話ですが、脳は騙されやすいので「セルフイメージ」がめちゃくちゃ大切です。「自分はほとんど落ち込まない人」「自分はさっさと仕事をやる人」「いつも明るくて優しい人」と口に出していると脳がだんだん騙されて、そういう人になっていきます。他人の評価は「うるせー」でいいんですよ。
Xユーザーのぱやぱやくんさん
知性のある人は「あなたには分からないでしょうね」という閉じ方をしない。人には人の地獄があると分かっているから、自分の痛みを特権化しないし、他人の痛みを軽くも見ない。分からなさを盾にするのではなく、分からなさを前提にしながらも、なお理解に近づこうとする態度を捨てないし、同じではないことを認めたうえで、それでもどこまでなら伝えられるか、どこからは伝わらないのかを丁寧に分ける。
Xユーザーのかぽさん
人が他人に自分の抱えているものを打ち明けることで、悩みが相対化されて少し楽になるというのはたしかに嘘ではないのだが、少なくとも本人がまだ話したがっていない段階で、人の悩みをやたらと掘りたがるような境界の薄い人間に対して、人は安心して自己開示したくはならない。 人が何かを話したくなるのは、無理にこじ開けようとせず、聞き出すことに欲がなく、踏み込めるところと踏み込めないところの線を勝手に越えてこない、侵襲性のない相手に対してだけであって、自己開示とは質問のうまさで引き出されるものではなく、この人は無理に奪ってこないという信頼感と安全感の中でしか自然には起きない。
Xユーザーのかぽさん
表現活動をしている人から表現の場や手段を奪うことは、その人の魂の行き場を奪うことにほとんど等しい。もともと過剰なエネルギーを抱えている人ほど、それを作品や創作のほうへ流せているあいだはまだ均衡が保たれるが、その出口を塞がれると矛先は周囲の人間へ向かいやすくなり、結局は本人も周りも誰も幸せにならない。 あと、表現活動をしている人に向かって自己満足の表現をするなと言うのもかなり的外れで、そもそも表現は最初からある程度自己を処理し、自分の中の過剰さや混乱や衝動を外へ逃がすためのセーフティネットでもあるのだから、そこにまず自己満足が含まれること自体は何も悪いことではないし、自己処理の蓄積が結果として他人にも届く表現になることはあっても、最初からそこだけを目的にする必要はない。
Xユーザーのかぽさん
他人に自分の価値を証明してもらおうとしない人は、自分個人をどれだけ好いてもらえるかよりも、その場の居心地のよさや調和が濁らないことのほうに重きを置いている。 もちろん承認欲求がまったくないわけではないのだが、自分の承認欲求のせいで場に圧や濁りが生まれることのほうがよほど嫌なので、承認されたい気持ちがあってもそれをそのまま相手にぶつけず、場のやわらかさを壊さないかたちで持っていられる。 そうすると、自分自身が無理に前へ出なくても、場の空気とのあいだに相乗効果が生まれて、その人といるときの心地よさごと好かれていく。自分だけを好かせようとしないからこそ、その人の在り方と場の質が自然に結びついて、結果として個人の魅力までいっそう深く伝わっていく。 ここで言う場を重んじるとは他人の機嫌や暗黙のルールを先回りして読み、波風を立てないよう自分を調整するという意味での空気が読める話ではなく、自分の不安や欲求を場に撒き散らさない境界感覚で、自分を好いてもらえるかの査定に場を変えない、重要人物として扱われるかの確認をしないのは自他境界があるから成立するもの。
Xユーザーのかぽさん
もちろん頑張ったからと言って絶対に結果が出るとは限りませんが、世の中のだいたいの事は頑張らないよりも頑張った方が良いのです。つまり「頑張ってるか、頑張ってないか」を成功するしないの判断軸にするのはけっこう良い方針だったりするんじゃいないかと思った次第です。 そしてもうひとつ、「がんばる」ことのメリットがあります。それは、「頑張ってる人は二打席目に立てる」ということです。今回の事業が上手く行くかどうか、前述の通り正直僕にもよくわかりません。 でもこの事業がもし失敗したとしても、彼がまた何かを思いついて前を向き始めたら、きっとまた僕は応援しちゃうだろうな、と思っています。恐らく彼の周囲にいる人達もそうではないでしょうか。何故なら彼が頑張っているからです。「あそこまでやってくれた人なら、今度は上手くいくかもしれない」と思わせてくれるからです。 頑張っていない人は、すぐに周囲から人がいなくなります。そして周囲に人が集まるような人は、いつかきっと上手く行きます。
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「経営者が頑張るなんて当たり前じゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、実はそんなこともないのです。出資者から集めたお金で高級マンションに住み、夜の六本木に繰り出す経営者はたくさんいます。 口を出すだけで面倒臭いこと、泥臭いことをやらない経営者もたくさんいます。高級車に乗ってハイブランド店で爆買いする経営者もたくさんいます。そしてそういう人は、気付いたら界隈から居なくなります。 社長が最前線で歯を食いしばって頑張るからこそ、お客さんや部下、取引先や出資者の人たちがついてきてくれるわけで、僕も彼のことを「なんというポンコツ」と驚愕しながらも「早くお金を返せ」とせっついて来なかったのは夏の暑い日に汗だくになりながら麻婆豆腐を作り続け、搬入と搬出を繰り返し、試行錯誤する姿を見て「まあ、彼なりに頑張ってるからなぁ」と思ったからにほかなりません。 別に経営者じゃなくとも、フリーランスその他クリエイター的な人は周囲にたくさんいますが、「頑張ってるな~」と思う人はだいたい結果がついてきてるんですよね。
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しかし、彼が麻婆豆腐を作り始めてからずっとそれを横で見ている僕が、「ひょっとしてこれが経営の本質じゃないか」と思ったことがひとつあります。 それは……、 「がんばる」 ということです。非常にシンプルながら、でもこれ以上ないくらいの本質じゃないかと今では思っています。 彼にお金を貸したのは僕だけではありません、色んな人が彼にお金を貸しました。そしてお金を貸す以外に、アドバイスしたり、叱咤激励したり、肉体作業を手伝ったり、足しげく通って食べに来てくれたり、たくさんの人が彼を応援しております。 じゃあ何故そんなに多くの人が彼を応援するのか? つまり、彼が「頑張ってる」のをみんなが知ってるからです。
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人が理解するかどうかは、説明の上手さや人格の問題で決まるものでもなく、どうやっても誤解されるときは誤解されるし、逆に運よく驚くほど解像度高く理解されることもあるし、もっと言えば、過剰に説明しなくてもある程度は汲み取ってくれて、ズレがあったときにも修正するほうへ動こうとしてくれる人との縁を大事にすればいいのである。毎回ものすごい労力をかけて防がないと維持できない関係は相性の限界があるし、そこで消耗し続けると、自分まで「なんで分かってもらえないんだろう」という感覚に引っぱられてしまう。 説明過剰でもなく、人の受け取り方まで操作しようとしない、自分の内面を安売りしようとしない厚みの奥ゆかしさに触れたときにこの人のことをもっと理解したいと思い始める。理解は押し込まれると閉じ、委ねられると動き始める。
Xユーザーのかぽさん
人に誤解されまいとして過剰に説明し続けるのは「あなたの受け取り方を何一つ信用していません」というメタメッセージにもなるから、先回りして何重にも意図を説明し始めると、相手に解釈の余地を全く渡さない操作感がもともと理解力のある人ですら距離を置いてしまうことがある。 誤解と理解はきれいに対立するものではなく、グラデーションやパーセンテージのあるものだから、少しのずれを許容できる人は、相手の理解が2~3割程度でもそこで止まれるから関係が不自然に重くならない。 説明したからといって受け入れるかどうかは他人が決めることであって、こちらがどれだけ丁寧に補足しても、最終的にどう受け取るかまで管理できるわけではないし、人の受け取り方を操作しようとすればするほど、他人はその操作されそうな感じに反発しやすくなる。理解を求めているつもりが、受け入れ方まで指定しようとしているように見えてしまうからで、そこで相手の自由を奪う圧が生まれたり、なぜそこまでして理解の労力をこちらが背負わなければならないのかという疲弊を相手に生じさせて、理解の入口そのものを閉ざしてしまう。
Xユーザーのかぽさん
深く魅力的な人は早い段階で自分のことを強く印象づければ関係が深まるかもしれない、などという発想自体を持っていない。相手の記憶に残ろうとして力んだり、特別な存在として焼きつこうとしたりしなくても、自然にいるだけで印象には残るし、関係も無理なく育っていく。何かを刻みつけようとする必死さがないからこそ圧がなく、その余白や自然さがかえって何倍にも魅力として伝わる。
Xユーザーのかぽさん
距離感のおかしさは、人と仲良くなるのに裏技や近道があるはずだという発想から生まれてくる。踏み込んだ質問をすれば一気に親しくなれるかもしれない、特別な話を引き出せれば距離が縮まるかもしれない、早い段階で自分のことを強く印象づければ関係が深まるかもしれない、どんなプレゼントでも渡しておけば喜ばれるに決まっているなど。 誰しも仲良くなる過程に最短距離などなく、同じ場に何度か居合わせたり、小さなやり取りを重ねたり、相手の反応を見ながら、ここまでは大丈夫でここから先はまだ早いのだなという感覚を少しずつ覚えていくしかない。その手間を飛ばして距離だけを縮めようとする人は、相手との関係を育てたいのではなく、自分の不安や宙ぶらりんさを早く解消したいからそうしている。 距離感が自然な人は、親しさとは踏み込むことによって作るものではなく、やり取りや時間の蓄積の上に結果として生まれるものだと分かっている。
Xユーザーのかぽさん
ネガティブな作品がネガティブを加速させてひどい結果になるとは限らず、むしろ「自分だけじゃないんだな」と救いの気持ちになる効果もありうるというのは知っておいてほしい。 美辞麗句だけでは救えない心がある。
Xユーザーの洋介犬(ヨウスケン)さん