忘れてしまった思い出がどこに行くのかということをずっと考えているのだけど、身体を抜け出した思い出が感情という形であちこちに漂っているのではないかと思うようになってきた。
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@kazuma-yoshiga
忘れてしまった思い出がどこに行くのかということをずっと考えているのだけど、身体を抜け出した思い出が感情という形であちこちに漂っているのではないかと思うようになってきた。
やっぱり作品というのは、人の気持ちを動かしたいのなら軽い気持ちでつくっていては駄目だろうと自分で思い直した。 産みの苦しみというのがなければ長くは続かない気がする。
僕の撮る写真を信じてくれる友達と出会えたこと、その友達の大切な日を一番近い場所から撮れたこと、どちらもこの上ない幸福。
毎日暑い暑いとうなだれていた夏が終わってしまって、今はそんなに暑かったかなと懐疑的になるほど記憶が曖昧だ。 目に見えるものだけじゃなくて肌で感じたものの記憶も写真に遺せないかな。
夢で昔のことを追体験すると当時の感情がそのまま湧き上がってくるけど、起きている時に思い返すと「あの時は怒っていた」「この時は悲しかった」という情報だけになって、どこか他人のことのようになる(特に古い記憶であるほど)のが不思議だなと思う。
最近の作品は記憶を写したいという願望です。
自己表現のためのツールとして写真を考えた時、自分は「写真」であることに拘り過ぎて「写真を撮る」という行為に囚われていたのではないかなと思う。 自己の内を表現したいと思った結果、たまたまその表現形態が写真だった。というくらいが良い気がする。
名刺を新調した。 今まではデザインから印刷まで全部自分一人でやってたけど、自分以外の人のアイデアを取り入れたいなと思って写真と大まかな枠組みだけ決めて使用する写真・紙の選定とか配置とか重要なところは全部依頼した。 返ってきたパターンにはどれも僕では思いつかないアイデアが盛り込んであってすごく面白かったし、自分の作品の見せ方について改めて考え直す良いきっかけになったと思う。 今はこの名刺をたくさんの人に渡したくてウズウズしてる。
今のところインスタと殆ど投稿内容が一緒なので、今後こっちはブログ的に文字も添えていくことにしました。 頭の中で考えてることはきちんと言語化してアウトプットできるようにならないと駄目だなと思ったので。