生きた実体こそ、真に主体的な、いいかえれば、真に現実的な存在だが、そういえるのは、実体が自分自身を確立すべく運動するからであり、自分の外に出ていきつつ自分のもとにとどまるからである。実体が主体であるということは、そこに純粋で単純な否定の力が働き、まさしくそれゆえに、単一のものが分裂するということである。が、対立の動きはもういちど起こって、分裂したそれぞれが相手と関係なくただむかいあって立つ、という状態が否定される。こうして再建される統一、いいかえれば、そとに出ていきながら自分をふりかえるという動きこそが──最初にあった直接の統一とはちがう、この第二の統一こそが──真理なのだ。真理はみずから生成するものであり、自分の終点を前もって目的に設定し、はじまりの地点ですでに目の前にもち、中間の展開過程を経て終点に達するとき、はじめて現実的なものとなる円環なのである。
── ヘーゲル『精神現象学』「まえがき」(長谷川訳)[p.11]













