何故ひとは昔の自分を失ってそれでいて平気なんだろ?
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@mik1ta
何故ひとは昔の自分を失ってそれでいて平気なんだろ?
私の送った曲はまだ海をただよっているようだ。
それは本当に大きく。この時代の人々は純粋で野性的で激しくまっすぐ生きていたのかもと思いました。ファラオという存在があったからだろうけど。
東京をあるいて、楽しかった思い出。
仕事があってもなくても鬱ならあったほうがいいのか
何でつねに鬱ぎみなんだろう?
自分の時間がほしいから?あるやん多少
なんかいつも全く楽しくない笑えねえ
他に気になることがある
考えることは無限にある
それは仕事の種類の問題ではない気がする
独立した方がいいのだろうか
こんな甘えはなくなるやろうからな
モロッコで得たとても素敵なものは音楽かもしれない。
曲・2011年・時間:5:41
掘ったらおもしろそう
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笹井宏之の短歌
『えーえんとくちから』を再読して通読して、通話中の友人達に何度も「笹井宏之って天才で…」と発話してしまった気がする。本当に天才だったのかはわからない。ものすごい秀才という可能性もある。かれの歌集は2冊なので、それで天才かどうかはなかなか計り知れない。でも読んでいるとやっぱり「笹井宏之って天才で……」が出てきてしまう。短歌というみじかい詩を書いています、とはっきり言い切っているその姿勢にしびれる。そうか!短歌って詩でもいいんだ!という純粋なおどろきと喜びに溢れる。短歌って情景、つまり感情と光景がなければいけないみたいなことをどこかで聞いた気がするのだけど(私は短歌の教育を誰かから受けたことがない)、その情景は自分が感じたり見たりしたものでなければいけないのだろうかと疑問に思っていた。でも、笹井宏之はどう考えても見えないものを見、感じれないことを感じている。それは詩の仕事であって、短歌もそれでいいんだ、といつも大きく勇気をもらう。今1日に10首(以上)短歌を作っていて、今日で6日目?くらいになる。短歌を作っていると(私の作るものが短歌と呼べるとは思えないが)、どんどん手狭になってくる。部屋の壁が迫ってきて、どんどん狭い場所に追い込まれてゆく。作りたい短歌がどんどんなくなってゆく。最初の数日は調子がよかったが、4日目あたりからもう地獄だ。投げやりで荒れている歌ばかり。これでは幾ら作っても意味がないなと思い、『えーえんとくちから』を通読し直した。笹井宏之は基本的に優しくて、誰かに何かをしてあげる歌が多くて、ですます調が多い。比喩もわかりやすくて、よく分からない歌も結局は心のどこかでわかる。比喩がとにかく巧みだし、色んな方面の名詞がどんどん沸いてくる。それでも海とか水とか音楽とか、偏りはあるけれども。私はものを知らなさすぎる。知識が少ない。色んな方面の名詞を自由に使って比喩を練り上げることができていない。まず笹井宏之との違いはここ。笹井宏之と私は違う人間なので、かれの、人に「してあげる」歌はわたしには歌えない。これも違うところ。でも共通しているところもたぶんあって、それは「死ぬな。生きろ」と他人や自分に言い続けたところであると思う。私の「死ぬな。生きろ」はまだまだ恨み節が多く、純粋な応援となっていない。人間としての成熟度が笹井宏之と比べると著しく低いと感じられる。もっとすべてを許せたらいいのに。もっとすべてを慈しめたらいいのに。と思うが、これも生育環境の違いによりどうしようもない。なぜこんなに笹井宏之と自分を較べているのかというと、やはり私は笹井宏之の短歌しか好きではないし、笹井宏之の短歌しか現代短歌だと思っていないのであろう。しかし、誰もがみんな笹井宏之とは違う人間なので、笹井宏之のような短歌が作れるわけではない。私も当然そう。でも、笹井宏之と同じ方向を向いていなければならない。そうじゃないと、私の中では「短歌」にならない、と感じている。7月15日に笹井宏之賞の締切があるよ、と教わって「1日10首作ったら行けるんじゃないですか」と言われ、言われるがまま1日10首(+α)作っている。この営為に意味があるのかないのかわからないが、日本語には五音と七音の単語が本当にたくさんあるなあと感じている。瀬戸夏子の『そのなかに心臓をつくって住みなさい』も引き続き読んでいる。手紙魔まみのところまで来て、ゆゆの存在に心が痛くなっている。なんてせつない連作なんだ。手紙魔まみ(穂村弘)の二次創作(?)ということなのだと思うが、こんなに血を流しながら二次創作をする人を見てすごい心積りだなと思う。二次創作ってハッピーなものじゃなかったのか。瀬戸夏子にとっては全然ハッピーなものじゃなく、そもそも手紙魔まみが暴力なのだから、それに正しく傷ついてみせようという気概を感じる。とにかくゆゆが可哀想である。
笹井宏之賞に応募するのかどうか、私のこの1日10首が続くのかどうかわからないが、きっと達成できたら嬉しいなと思う。笹井宏之賞に箸にも棒にもかからないくせに10年以上応募してくる変人枠(困った人枠)みたいなところに入りたい。10年も短歌を作っていたら、どんどん駄になるか、さすがに少しは上手くなるかの、どっちかだと思う。
2025.6.27
不協和音の曲が大好きなので聞いてみますトニン
ペーソス
セロトニンという薬を箱で買いたい
戦争には反対 そらそう
しかし、世界で起きている/起こりうる戦争すら知り得ない、考える余裕などない、明日の糧を探す人々がいることも知った
だからと言ってどうすることもないけれど、何にも翻弄されずに生き抜く力が必要だと教わった
そんな当たり前のこと頭では分かっていた筈なのに、目の当たりにしないと本当に知ることはできなかった
殺し屋1のサントラがボアダムスだったとは。
https://koroshiya1.jp/
2026年5月15日(金)公開『殺し屋1 4K』公式サイト。伝説のヴァイオレンス・アクションが4Kリマスターにより、あざやかにスクリーンに甦る!
信仰は人の能力を拡大して引き出す
経済が発展した国では当時のような深い信仰は薄い
だから豊かなのに見失いがち
貧しい人が多い国にはまだ信仰がある、遺されたものへの敬意がある
信仰を生活の中心において生きている
だから迷うことが少ない
それが資本主義観点からすると非効率に見えても、すぐに行動する
そして彼らは生き生きとしている
知らない方がいいこともあるが、知った方がいいこともお互いにある
人らしく生きていくには、個人ではない、大いなる何かへの深い敬意が常に必要
自然にはかなわない
星の王子さまに会えなかった
真夜中のサハラ砂漠で粒子となりましょう