阿川 レイチェル・カーソンはこんなことも書いているんですよね。子育てに悩んでいる親たちは、「あの鳥の名前すら知らないのに、どうやって子供にセンス・オブ・ワンダーを刺激するような教育ができるだろうか」と嘆きの声をあげるけれども、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要じゃない。子供たちが成長の過程で出合うことが知識や知恵を生み出す種子だとしたら、情緒や感受性はその種子を育む肥沃な土壌のようなもので、子供時代はその土壌を耕すときなんだって。
(中略)
阿川 「センス・オブ・ワンダー」には、美しさを感じる感覚や未知なるものに触れたときの感激が呼び覚まされると、次はその対象についてもっとよく知りたいと思うようになるし、そこで得た知識はしっかりと身につくと書いてあるんです。でも、私は感動はするけど、そこで終わってしまうからいけないのね。
福岡 いや、まず感動することが大事なんです。
阿川 レイチェル・カーソンもバージニア・リー・バートンも人間としてどう生きていくのかが大事かということと、ものを美しく作るデザイナーとしての見方をバランスよく両立してきた人たちですよね。カーソンは生物学者であるけれど、本当は作家になりたいという希望を持っていたくらいだから大変な空想好きで、子供の目になってみたり科学者の目になってみたりして、多角的にものを見ているでしょう。だけど、今の世の中、そういうことが同時にできる人が少ない気がするんです。昔は政治家でも哲学的な部分も持ち合わせていて、予算をどうしなきゃいけないかという命題とともに、人間はそもそも愚かなものであるという認識も持っていた。今の人たちはそいういう多角的な視点やバランスみたいなものがあまりにも欠けているんじゃないでしょうか。
福岡 筋肉だったら二週間くらいで半分が、血液の細胞でも数ヶ月で入れ替わるので、半年から1年も経てば私たちは分子のレベルでは全く別人になってしまう。だから、久しぶりならお変わりありまくり。別人なんだから約束なんか守らなくてもいい(笑)。けれども、一方では、私は私という状態を保ってもいる。つまり絶え間なく動いているにもかかわらずバランスが取れているのは生命のもっとも大事な側面なんです。その動き方もその時々で適応しながら動いている。もし何か不足があればそれを埋め合わせるように動くし、過剰があればそれをできるだけ少なくするように動く。シェーンハイマーは、新しい平衡状態、バランスを見つけながら絶え間なく動いているのが生命だと、それを「ダイナミック・ステート(動的な状態)」にあると言ったんです。でも、私はバランスが取れているというコンセプトの方も大事だと思ったので、これを「動的平衡」と訳したんですね。あまりに機械論的に傾きすぎた生命感に対するちょっとした解毒剤みたいな意味を込めて。
福岡 私がある高校で講演した時、高校生に「福岡さんが言っている動的平衡はよくわかりました。じゃあ、どうして動的平衡の考え方が主流にならないんですか。どうして福岡さんは異端者なんですかって質問されたんですよ。それは機械論的な考え方が資本主義社会に馴染むからだと。メカニズムとして体を考えるから医学が成り立つし、薬を開発できるし、操作的な最先端医療が可能になってそれを受けられる人が出てくる。動的平衡の立場に立つとアンチエイジングは意味がないし、薬もだましだましに使うべきだとか、飲まずに済むならそれが一番ですとかいうふうにしか言えない。そうすると、儲けられる人がいなくなっちゃう。
阿川 松岡享子さんも「本を読んだ後に何もしない時間がどれほど大切か。昔の子供には本を閉じてからボーッとする時間があったけれど、今の子どもは次のスケジュールが入っているから、その前に読んで脳みそに残るものは知識と情報でしかなくなる。そこから新しい引き出しを作る時間がない」とおっしゃっていた。まさにそうだと思ったんですけど、今の子どもたちはそういう時間がないですよね。






