BICISPORT6月号のジロst15でのアル君の勝利を語るティラロンゴさんのインタビューを読んで面白かったのでついでに(というには超がんばって)日本語化しました。 超訳、誤訳満載。日本語すらおかしい部分あるかと思うけども! 重要そうな情報は注釈つけてみました。
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モンテカンピオーネ。 彼らにとって計り知れない程に静かに見えたその山の頂に来た4月の終わりのある日、途中冗談半分でパオロはまっすぐアルの目を見て、考える上でのポイントを言い残した。 「もし足が残ってたらトンネルを過ぎた後に一気に駆け上がれ。 パンターニもそうやって勝ったし、お前も勝てるよ」 笑ってはいたが、ジョークにしては真剣に見えた。
その日はとても晴れていて、歓声と騒音の響く中、彼がしてのけた事の感動を胸の中に刻んだ。パオロが頂上に到着したのはファビオよりも5分16秒後だった。乾いたジャージに着替えて、下りへのバスへ歩いてる間に「全く凄いやつだ」パオロは口の中でつい、呟いた。 下りのバスの中で、ファビオと過ごした訓練の思い出が光って目の前に浮かんで来た。それは子供が質問しては老兵が答えるという語らいの日々だった。
「私は成長をずっと見守っていたよ。 彼は私を第二の父親と呼び、私も息子のように思っている。 私にとってVal d'Aosta(*1)は自慢の戦歴だったのだけど(*2) 彼はそれを二回勝っている。(*3) 私は彼がとても強いと感じ、ベルガモに越して来た時から一緒にトレーニングをするようになった。 私達には多くの共通点があってね、島生まれ、クライマー、そしてロカッテリ(*4)のスクール。 とてもか細い子供だったけど、バイクに乗った時に可能性をとても感じた。 そして私はヴィノクロフとマルティネッリ(*5)に知らせ、彼をアスタナで監督する事となった。 ずっと一緒に居て、質問をされては答えている。彼は私の言葉から大事な事は学んでいる。 成長し、変化をしてるのはよく分かる。 彼は数年に一人の得難いタフな選手だ。」
ベルガモのシチリア人とサルディーニャ人は、ロカッテリ監督の指導を受けた二人だった。 パオロは考えて、また語り始めた。
「もし、君の頭が付いていけないなら、それは優秀なスクールだ。続けろ。当然、基本的に一人で、ここでどんな問題でもやってのけるべきだ。そう言った。 そして彼はロカッテリの様な指導者から最高の教えを受けた。 彼は素直な子で、静かに地に足がついている。 ニバリとは違う個性を持っているけど、どちらも勝てる能力を持っている。 本当の事を言うと、アルの中に”若いティラロンゴ”がいるんだ。 あの頃は登りが本当に強かった、背中に傷を負う前は。(*6) 彼がトップに踊りでたのは私の喜びであり、私の経験が活かせて嬉しい。 時々ベストを尽くせず遅れてしまうのは背中が痛み出すからだ。 私は彼の中に自分を見て、彼が自立するのを願っている。 私は彼にトンネルを抜けた後仕掛ける様に指示し、そして理解したよ、彼がちゃんとやってのけたのを。
私達は何度もこの話をした。 ”頂上へ登るクライマーにはとりわけ苦しみは無いものだ。 最高である為にその感覚など持たない”というパンターニの言葉。 彼は全てを引き離して、疲労困憊のゴールライン上でそれを理解した。 これは勝利ではなく通過点だ。 常に全てを倒せる訳でもないが、ファビオはもっとはつらつと三週間を過ごせる様になると思う。 率直に言わせてもらえば、それはずっと昔に知っていたね・・・」
*1…Val d'Aostaとはイタリア北部ダオスタ州のU23の6日間のステージレース *2…総合98年3位、99年2位 *3…2011、12年総合優勝 *4…オリヴァーノ・ロカッテリ。現在アル君出身チームパラッツァーゴ監督。ジュニアの頃のアル君を見出し、サルディーニャ島から父親を時間をかけて説き伏せてて引っ張りだした凄腕。かつてティラロンゴさんが在籍したU23のチームの監督でもあった。 *5…ジュセッペ・マルティネッリ。(通称ベッペ)11年~現在アスタナのゼネラルマネジャーやチームマネージャー。アル君のジロの3位で首の皮一枚つながったとコメント。 *6…2003年の事故で脊椎を骨折。これを機にエースの道を目指さずアシストのエキスパートになることを決意。












