夜遅くに久しい人からの連絡というものは必ず不幸だ。内容は、同期の訃報を知らせるものだった。
まだ信じられず、何度も何度もLINEを読み直しても理解ができなかった。涙ひとつでてこない、こんなにも言葉が理解できない経験はこれが初めてだった。お通夜、告別式、奥さんの連絡先、実家の住所、ひとつひとつが現実を突きつけるはずなのに、これを書いている今でさえ意味を持たない単語だとすら感じる。
今日が在宅ワークでよかった。いてもたってもいられずに、私は日中母へ電話した。実際に会わせたことはないが母も大変驚き、悲しみ、「そういえば、彼の結婚式でもらった引き出物を、ちょうど先週思い出したのよ。あなたの家に持って行かなきゃと思ってね。」と言っていた。「悪い虫の知らせ、って本当にあるのよね」 と。私が生まれる前に20代で死んだ叔父のことと重ねたようだった。
当たり前に簡単に人が死ぬことを知っているつもりだった。死んだ叔父の話は何度も聞いていたし、この間だって葬式に参加した。目の前で祖母の命が終わる音を聞きたことだってある。私は何もわかっていなかった。
小学生の頃、灰谷健次郎の詩が好きだった。さようならという言葉について書かれたもので、明日のあるさようならはいいけれど、ずっとずっとさようならが辛くて悲しいという内容だったと記憶している。
同じ明日が来ないことを、改めて痛感した。こんなにも悲しいことがあるなんて、知らなかった。まだ信じることができない、手向の言葉も言えない。
追記
最期に会いに行って来た。お母さんとお父さんが何度も「こんな田舎でしょう。遠いのにわざわざ」とコーヒーまで出してくれた。綺麗な客間に置かれている沢山の花と飲み物、お菓子、線香と棺。違和感でしかなかった。リビングには結婚式の時に渡していた時計に、たくさんの幼少期の写真。そして彼の子供の手形まであって、理想の家族まさにそのものだった。
苦しそうな顔をしていた。もう楽になっていいんだよ、とも、ばかなことをしやがって、とも、思った。何もかも言いたかったけど、言えなかった。湯灌が行われると聞いていたので「綺麗にしてもらいな」とだけ伝えた。
リビングには彼の親友がぽつんと座っていた。顔見知りの男だったので、一緒にコーヒーを飲んだ。お母さんとお父さんがずっと話してくれて、それが辛かった。本当に、辛い1日だった。人生でこれ以上辛い日はないだろう。でも、最期に会えてよかった。
あの世で元気にやってほしい。もう何も気負わなくていいんだからさ。













