[アントワン・タメスティ+ベルチャ四重奏団 室内楽コンサート]
今日から8月。 こちらは夜になっても30℃を下がらない猛暑が続いていて、演奏会用に持参したシルクドレスが着られないほどになってきた。会場はどこも空調がひどいので、聴くことに集中できる服装を、ということで、コットンのワンピースを現地調達したり、普段着用にスーツケースに入れてきた蚊帳織のマキシドレスに、無理やり光るアクセサリーをプラスしてそれ風に演出?してみたり。しかし、いつまで続くのかこの暑さ。少なくとも地球レベルで異常気象になっていることは確かなようだ。
さて、こちらに到着して4日目のコンサートは、アントワン・タメスティとベルチャ四重奏団がコラボした室内楽演奏会。天才的ヴィオラ奏者のタメスティは日本でも馴染みのあるアーティストだ。個人的には2014年の調布音楽祭にゲスト出演して、バッハコレギウムジャパンと息のあった共演を聴かせてくれたのが印象深い。あの時はバッハ尽くしのプログラムだったが、実際にはバロックからコンテンポラリーまで、広いレパートリーをこなしている。そして、日本にいるとあまり事情のわからない室内楽団だが、ベルチャ・カルテットは1994年にロンドンで結成されたあと、頻繁にメンバーを入れ替えながら、各地で非常に高い評価を得ているアンサンブルとのことだ。 プログラムは、前半がベルチャの四人でバルトークの弦楽四重奏曲第6番、続いてタメスティのソロでベルント・アロイス・ツィンマーマンのヴィオラ・ソナタとバッハのシャコンヌのヴィオラ・バージョン、そして、後半はタメスティを加えた弦楽五重奏でブラームスの五重奏曲第2番。 この作品構成は、プログラムでは「別れを告げる」というタイトルが付いている。すなわち、バルトークの弦楽四重奏曲第6番は、1939年、ナチス支配が確立されるヨーロッパを苦渋の思いであとにした作曲家が大陸で完成させた最後の作品、まさに「古きヨーロッパへの惜別」の曲であるという。さらに、ツィンマーマンのソナタは生後間もなく亡くなった娘のための、また、バッハのシャコンヌも35歳で世を去った最初の夫人、マリア・バルバラに捧げた追悼曲。そしてブラームスの弦楽五重奏曲2番は、偏屈で知られるブラームスがこれで作曲から手を引く決意で書き上げたという経緯があった、と書かれている。つまり、本日の曲目はどれも、音楽家たちが何らかの「別れ」を意識して手がけた作品、ということらしい。 そんな背景は別にして、演奏者の計り知れない実力のほどをコンパクトに聴衆に紹介するという意味でも、よく練り上げられたプログラムだったと思う。難解に思われがちなバルトークも、弦楽四重奏という形式で向き合ってみると、メロディの渡し方、音形のアイデアなど、革新派の作曲家が抱いた意図がより分かりやすく聴き取れる。バルトークはハンガリー生まれで、この作品にも随所にハンガリー音楽のモチーフが埋め込まれている。そして、曲の並べ方として、このマジャール的モチーフが、プログラム最後、チャールダッシュで見事に幕を閉じるブラームスとしっかりと響き合っていて、全体として非常に起承転結が納得できる演奏会になっていた。 ベルチャ・カルテットがやはりうわさに違わずすごい実力派である。チームワークもしっかりとれていていいのだが、他方、四人のメンバーそれぞれの楽器が非常に特徴ある音を奏でて主張してくるようなところがある。とりわけ、チェロのアントワーヌ・レデルランの音色が本当に美しくて、時おりチェロパートだけを耳が追って聴き惚れるような瞬間があった。強くて前に出てくるのとは違う、繊細でこっくりとした、ツヤのある美音で、ピチカートの響きも本当に綺麗だった。 そして、タメスティの演奏ときたら。その一音一音から、彼の豊かな才能が惜しげもなくこぼれ出していく。ツィンマーマンのソナタは曲想としては非常に難解な作品だが、それでもタメスティの人間離れした超絶技巧に客席は息もつかずに集中して聴き入っていた。これにさりげなく続いたシャコンヌは、複雑な現代音楽のカウンターパートとして据えられたのか、バッハの音楽の構築性がより際立ってひしひしと耳に染みるようだった。やはりプログラムの組み方が見事としか言いようがない。 後半に弦楽五重奏としておかれたブラームスは目をみはるほどの完成度だったが、演奏終了後、アンコールの時のタメスティのスピーチによると、タメスティ+ベルチャは現在ツアー中で、演奏プログラムはブラームスとモーツァルトの五重奏ということらしい。アンコールではモーツァルトの弦楽五重奏第3番からアンダンテ。こちらは、技巧を凝らしたバルトークやツィンマーマンの時とは全く違う、しっとりとした独特の音を作り込んでいて、できればモーツァルトをもっと聴きたい、と思ってしまったほどだった。 室内楽、特に弦楽重奏曲は誰もが好んで聴くジャンルではないし、特に日本ではメジャーなレーベルや招聘会社から外れてしまうと、録音の形ですらほとんど聴く機会がなくなってしまうとも聞く。それだけに、長く音楽祭に滞在して、第一線の奏者の演奏に触れ得る機会がますます貴重なものに思えてくる。
さて、最後に、ここに挙げた写真の、舞台に並んだ譜面台をご覧いただきたい。ベルチャ・カルテットのメンバーは平均40歳ほどだが、数人がすでに、紙の譜面ではなく、iPodを使っていたのが印象的だった。音楽の世界でも、間もなくペーパーレスの時代が到来するのだろう。コスト的には歓迎すべきことだろうが、人文科学の業界でもぼちぼち認識されているような「小さな問題」は、譜面の上では起こらないのだろうか。光る楽譜を眺めながら、ふとそんなことを考えた。












