祝祭空間について、パーティの極意
昨日友人の結婚式にゆきました。その結婚式は都心から離れた場所で開催されたんですが、新郎新婦の多くの友人たちが手伝い、参加し、とても素晴らしい会でした。
以下そのFBへのポストから引用。
とても素晴らしいパーティ、集会、あつまり、フェス、 なんていうかとにかく祝祭空間でした。 こんなに真剣な祝祭空間は久々でした。
若者に広く、とか街、国をあげて、のお祭りじゃなくて、来てる人、関係者100人もいないぐらいのスモールサークルの人間が、二日かけてマジで高い高度にぶち上がりつつ、”ケ”にもバンバンからみつく粘度、つまり”日常のための、日常とフィードバックのある”会でした。
「”ケ”にもバンバンからみつく粘度」って自分で書いてて、自分でも意味がわからなかったんですが、引き戻す力なんですよ。 薄くてのびる膜が水平に張ってあって、その下からボール発射されると、膜がビヨーンとのびる、ボールの推進力が0になった瞬間から今度はその膜がボールを下に押し出す、引き戻す具合です。膜は我々の生活、日常です。(図1) 我々は常に地をはっている、という意識であれば、それはハイ、hightつまり高さでそのエネルギーが表現されるわけです。ぶち上がる、とかいう表現はこの世界把握です。 次に膜を垂直にたててみてください。(図2) 同じエネルギー量でも印象違って見えますね。 で、その引き戻す力、粘度があるとのなにが良いか、というと次の反対側の膜も強く押し出せるわけですよ。次の盛り上がりに向けて。(図3) 素晴らしい祝祭空間とは高い粘度をも強く強くかき分け、とにかくいた場所から遠く離れる。しかし猛スピード、強いエネルギーでまた日常を駆け抜けられる、そんなうごきだと思うんです。 素晴らしい祝祭空間は次の祝祭空間へのトリガーなわけです。 素晴らしい祝祭空間は次の祝祭をリンクし、結果膜、日常、生活は大きく膨らんでゆく、日常は振幅、振動、揺れで書ききることができるということです。 逆に引き戻す力のない祝祭空間は次の最高地点をトリガーしません。 よく、”この時間がずっと続けばいいのに”と思うことがありますが、それではその場所に留まるのみで膜の作る形の総体は大きくなりませんし、エネルギーも低いです。だんだん振動は小さくなり、最後は静かなもんです。(図4) 日常を意識し、現実からいかに離れ、いかに地続きとするか。 ただ到達地点の高さではなく、どのくらの熱量があるか、 この辺がパーティ道の秘訣なのでは、と思いました。











