[マウロ・ペーター 歌曲の夕べ]
マウロ・ペーターの歌曲の夕べ、伴奏はヘルムート・ドイチュ。
いまやドイツ語圏の若手テノールを代表する存在といっていいマウロ・ペーター、先週末のモーツァルト・マチネでも、突出した歌唱で観客を魅了した。
本日のプログラムの主題は、「シューベルトとゲーテ」。歌曲王シューベルトと文豪ゲーテ。この二人の名前なくしてドイツ文化史は語れないが、この両人、現実にはなんとも切ない出逢い方をしている。ゲーテの詩にかねてから感銘を受けていたシューベルトは、1816年、その詩をもとに作曲した歌曲集を献辞とともにヴァイマールの詩人のもとに送付した。作曲家19歳の春のことであった。ところが、ライヒャルトやツェルターのような古典的な歌曲に音楽の理想を見出していたゲーテは、譜面に一瞥すると、即座に差出人に返送させたのだという。シューベルトの音楽は、当時の基準からすればそれほどまでに革新的だったということだろう。
そんなエピソードを添えて、プログラムの前半は、「ガニュメード」から「いこいなき愛」、「海の静寂」、「漁夫」、「トゥーレの王」から「魔王」まで、ゲーテの詩による13曲の歌曲が並べられた。
マウロ・ペーター、リリカルでただただ美しい声である。そして、シューベルトの歌曲を音にするときに、ありがちな深刻さや暗い影をあえて忍ばせることをしないので、ペーターのシューベルトは、いってみれば作品のライトサイドがさっと浮かび上がるような、独特の雰囲気をまとうことになる。
しかし、その一方で、言葉への思いと解釈も非常に深い。どの曲も、ゲーテの詩が内包する文学性をくっきりと浮かび上がらせているのが見事だった。冒頭の「ガニュメード」は、ギリシャ神話の一節で、美少年ガニュメードがゼウスに召されて天上へと昇るさまを歌った詩だが、途中、何度かの転調を挟んで、まるで本当に雲の間に間に歌い手が浮遊し、上昇していくような、なんとも言えない幻惑感があった。「海の静けさ」は凪を見るように、そして、「トゥーレの王」では、中世吟遊詩人の物語を語りかけるように、それぞれの詩が持つ格調と世界観を丁寧に歌にこめていくので、聴いていて本当にぐいぐい引き込まれるような気がした。そして、ちょうど真ん中の8曲目に有名な「魔王」が置かれていた。この曲では、ペーターは、父と子、そして子の命を拐おうとする魔王という、三人の登場人物のキャラクターを自然に、なおかつはっきりと、みごとに歌い分けた。短い歌曲の中に、まるでオペラを観るような迫力が生まれて素晴らしかった。
休憩を挟んで、後半はリヒャルト・シュトラウスの歌曲がずらりと並んだ。プログラムの展開としては、「こうしてあまりにつれなく歌曲集を送り返したゲーテでしたが、半世紀あまりのち、結局ドイツ音楽のトレンドは、シューベルトが切り拓いた方向へと確実に進んでいったのでありました」、というような話になっている。…なるほど。
「ひそやかな誘い」、「娘よ、何のために」、「僕の頭上に広げておくれ」、「黄昏の夢」、「おとめの花」、など、こちらも14曲構成である。今日は上に書いたようなストーリーのこじつけ?でふたりの作曲家が対比されているのだが、リヒャルト・シュトラウスの歌曲には、シューベルトとはまったく違った魅力がある。ピアノの伴奏にしても、語りの拍子を取るように鋭く刻み込むのではなく、歌のパートと溶け合って陶然とさせるような、そしてときにはオーケストラを思わせるようなダイナミックな役割を負うようになる。名手ヘルムート・ドイチュ、もちろん前半も素晴らしかったが、シュトラウスでは、実に聴き手が身を乗り出すような瞬間が何度もあった。
歌の作り方も、そもそも言葉の音への落とし方、切り方もシューベルトとシュトラウスではまったく違う。ペーターも、作品によっては文学的どころかあまりに他愛ない歌詞を、ゲーテの時のようにもはや前に押し出さず、むしろ美しいメロディの表現にシフトして歌っていて、これがとても良かった。半音展開で揺らぐ美しい旋律を、ディミヌエンドで消え入らせるところなどは、客席から拍手の前にふっ、と深いため息がもれたほど感動的だった。
この歌い分けは、大歓声の中、アンコールで「野ばら」が歌われたときに、また鮮明なコントラストとして浮かび上がった。誰もが知る有名曲だが、ペーターは詩としてのプロットの面白さを鮮やかに歌い出していて、シューベルトとシュトラウスが、どちらもこの上なく魅力的な、ただしまったく別の世界であることを、改めて思い知らされた。
週末には極上のモーツァルトを堪能させてくれたマウロ・ペーター。昨年はザルツブルクの『魔笛』でタミーノを演じたが、現在、世界中の歌劇場でモーツァルトのテノール役を中心に幅広く歌っているようだ。この声の美しさ、声量、安定性、表現力をもってして、それこそ各地のオペラハウスが放っておかないというのはよくわかる。ただ、リートや歌曲はまたオペラとは違ったジャンルであり、歌曲演奏はオペラのキャラクターを巧みに作り込むのとは少し違った作業になるだろう。歌手自身による詩や言語に関する理解と研究も必須になるので、うまいオペラ歌手であれば全員が2時間近くの「歌曲の夕べ」を歌い倒せるというものでもないと思う。マウロ・ペーターのような、若く、華やかな声質の歌手が、こうしてしっかりと素晴らしい歌曲演奏を聴かせてくれることは、リートファンにとっては何とも嬉しい限りである。
















