Pensando en la mortalidad del cangrejo

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Pensando en la mortalidad del cangrejo
こちらは遡ること20年以上前の写真。 おそらく自分は19、20歳のころだったか? 仙台チーム3人で冬のハワイに1カ月半滞在し、その後訪れたメキシカンパイプラインの異名を持つプエルトエスコンディードへ足を運び2~3週間、トータルで2ヶ月近いサーフィン漬けの生活をした。
このころは、まだ自分はアマチュアで地元唯一の先輩プロサーファー、マンタロウさん、トップアマチュアのチャーミーさんとの3人旅だった。 サーフボードは6'6〜8'0までの4本を用意した。
自分はクレジットカードを持っておらず、現場仕事のアルバイトで貯めた所持金だけで生活していた。 当時はレトルトやインスタントの食べ物を用意しながら節約していた記憶がある。 所持金が無くなったら、旅を続けることができないからだ。 今思えばちゃんと料理できるようにしておけば良かったのだが・・・
プエルトにはミホコさんという方が住んでおり、その方を頼るような形で訪れた。 不思議なもので同じプエルトには日本人でTomさんと呼ばれるAUS在住の方がサーフトリップに来ていた。 こんな遠い国、こんな強烈な波を求めてくるなんて、なんとカッコイイサーファーだと記憶している。 するとマンタロウさんが以前AUSでお世話になっていた方らしく、この地で思わぬ再会に皆が驚き Tomさん、ミホコさんにお世話になりながら滞在した。 ローカルのBBQに招待していただいたり、街に買い物に連れていってもらったりもした。
英語もまとも喋る事はできないが、スパニッシュは全く想像すらつかず、買い物、食事は中を開けるまで、運ばれるまでドキドキしたものだ。
私は目が悪く高校を卒業するとき両目の視力が0.01しかなかったのでコンタクトレンズでサーフしていた。 その為かこんな旅先ではよくコンタクトレンズが外れ裸眼になると海から上がることがあった。
個性豊な人々も多くいた。 一人はタイガーマスクのような物を被り、あの強烈な波を乗りこなす人物がいた。 名前は忘れたがインパクトのある個性的なサーファーだ。
プエルトならではの商売があり、当時は珍しくその日の内に写真を購入することができた。 その時代はカメラマンから写真を撮ってもらうなどの機会は皆無でアマチュアサーファーがレンズを向けらることは無かった。 きっとフィルムの時代は枚数が決まっておりプロサーファーのみフォーカスしていたのではないだろうか? 毎朝ビーチでカメラマンが撮影しており昼になるとカフェで撮影した写真が購入でき、よくチェックに行きどんな波に乗っているか? スタイルはどうか?先輩たちはどんな波に乗っているのか?チェックするのが日課で気に入った写真は購入した。 他の写真は残念ながら当時のスポンサーさんが雑誌の広告に使うと発送したが、その写真は行方不明になってしまった・・・
プエルトの強烈なブレイクで何本ものサーフボードが毎日のように餌食になっていた。そんな状況で折れたり、破損したりのサーフボードをリペアする人々がいた。 プエルトは強烈なビーチブレイクなのでローカルはノーリーシュでサーフしていた。 リーシュがあるとボードが折れたり、身体にぶつかると危険とされていた。
一度真剣にローカルからノーリーシュでサーフするように促されたので試したが、 とてもじゃないが毎回のようにボードを流してしまい断念した。
プエルトは波のインパクトが当然強く、通常は波に巻かれるとインサイドへ流されたりするものだが、ここは同じポジションで 波を喰らい続けることになる。 ノーリーシュでサーフした時にそのポジションから抜け出せず恐ろしい思いをしたことがある。 諦めずにノーリーシュでのサーフィンにトライしていれば、何か掴めたかもしれない。
無謀な挑戦をしていたつもりはないが、やはり当時の2人に比べると経験も技術もない自分はコテンパンにされる毎日だった。 日に日に2人はよい写真を残しはじめ成果を残していた。
プエルトのルーティーンは決まって朝一のサーフィンで9時、10時にはオンショアでサーフできない状況になる。 午後はビーチを走ったり、違うビーチへサーフしにいったりと行動範囲がほぼ決まっていた。 波は到着した1R目だけ頭くらいで、帰る日までほとんど4~5ft、8ft、10ftを繰り返しまるでハワイと変わらない状況だったと思う。 毎日それは、それは恐怖だが偶然?良いラインを滑ることができたら1日ストークだった。
そんな日々を過ごし帰国することになり、一旦トランジット先のハワイへ戻る。 しかし、恐れていた所持金¥0になった。 2人の先輩もクレジットカードの限度額を超え、所持金もなく、ハワイに到着した日は移動、食事が出来ずその日はボードケースからサーフボードを引っ張り出し、ケースに包まり空港野宿するなんてことに。 もちろん空港警備員にも呆れたような、怒っていたような気もするが・・・ 今じゃ考えられない出来事だが最高の経験を積み、一枚の写真を観るだけでこれだけのことを思い出せる旅だった。
Circa 2003 O.C. Dream Team: Bud, Scotty, JackA, Roger, deep in mainland Mexico #mexpipe (at Puerto Escondido, Oaxaca)
Here we go, a great girl having great fun! Yessi is one of the few girls that dare to surf the crazy mexpipe, it looks so smooth, almost easy...but it is not, it is a lot of training, it is about having a lot of guts ;) it is about being in tune with the tide, the sea, nature and with yourself!
#surf #mexico #mexpipe #hangloose (en Frutas y Verduras (Cabañas y Camping))