東神奈川の地元感が好き。
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東神奈川の地元感が好き。
Picture of a Day
図書館でたまたま手にした奈良原一高の「人間の土地」を見て写真家になろうと急に思い立った私、それまで写真なんて壁に貼ってあるペラペラの広告くらいにしか思ってなかった私はカメラを手にしたのはいいものの、何を撮って良いのやらいきなり途方に暮れるわけであります。
夏の日、そんなわけで「写真を撮る」という行為より先に「写真家になる」という目標を立ててしまった私は一本目のフィルムで自分が何を撮って良いのかわから相当苦心したのを今でも覚えています。これもその一本目の1枚。
確か横浜駅北口出てすぐだったと思いますが、何を撮りたかったのか今にはなっては知るすべもありません。
Canon ⅣSb セレナー50/1.8
社会派と呼ばれる言葉は我々の世代だとほぼ使わない。その代わりにフォトジャーナリストというのであろうか。昭和30年代の写真雑誌をめくってみるとアマチュアからプロの方までそのいわゆる「社会派」が一定数いて、なかなか秀逸なモノクロの作品が多くめにつく。
ユージン・スミスや桑原史成が撮った水俣病だけでなく、その地区の小さな社会問題をテーマにしたり皆思い思いの写真を撮っていた。ダムに沈む村を撮ろうとコニカC35で記録していた老婆とて、写真を撮るという行為以前に、この眼の前の現状をどうにか記録して残さねばならぬという使命感があったのだろう。それはジャーナリズムなどではなく、己れの意識下から突き動かされる衝動というにふさわしいものだったのではないかと想像される。
それは究極的には数年後、数十年後の未来の為に主観性を無視しマックス・シュティルナーの如く記録に徹する作業である。それらは高度成長とともに変化する日本社会においてはしごく当然の行動ともとれる。言い換えればそれだけ身近に社会問題が手に取れる形で存在していたのだ。それも「危険」とかかれた黒い箱が普通の路地にどうどうと置かれているような感じなのだ。
現代社会、この日本においてその箱はまず危険というシールが剥がされ、普通の箱と見分けがつかないようにシーリングされてしまった。そしてちょっと路地裏の湿った地面を少し掘ってその中に埋められてしまったのである。社会問題はこうして身近にありながら、共存していることすら我々に認識されることなく存在するようになった。
いま、フォトジャーナリズムにのっとって撮影しようとするのであれば、まず箱を掘り起こさないといけない。ゆえに写真のスキルよりも、どこにその箱が埋められたのか察知する能力が必要不可欠となっている。フォトジャーナリズム単体で存在できなくなったのだ。
本当は「山谷」という言葉は使いたくない、というのが本音である。そこは自分が知る限りドヤ街としての山谷は非常に薄れ、否応なく形を変えつつ、かつての山谷はそこにはもはや存在しないからだ。
諸問題が全てなくなったというわけではない。ただ、山谷が特別視される以上に、どこにいても垣間見れるありふれた問題になってしまったというべきか。
築地市場 通称2側裏通路氷販前
よくあるターレーのつっかえ これはマシな方ですが、ここから喧嘩になるケース多々 ちなみに一番右側のターレーにかいてある屋号読めますか?
正解は「カネニンベンイシザワ」と読みます。
三浦
築地市場0301
新市場では発砲スチロールの使用制限があるため姿を消すかもしれないが、これを拾うことを生業にしている人もいる。店としても新しいものを買うより安いということで重宝されているようだ。 発砲集積所から必要な形のだけをもっていくので「カラス」とも呼ばれている。