[モーツァルト・マチネ、ラファエル・ピション]
今週末のモーツァルト・マチネを振るのは、カウンターテナー出身のラファエル・ピション。指揮者としての繊細なアプローチだけでなく、素晴らしいアイデアを通じて昨年も客席を魅了した。
今年のピションのモーツァルト・マチネは題して「モーツァルト三部作」。とはいっても、ダ・ポンテ三部作の名アリアをメドレーで、というような単純な企画ではないことは明らかだ。
ザルツブルクからウィーンに居を移したモーツァルトは、啓蒙君主ヨーゼフ2世の命を受けてジングシュピール『後宮からの誘拐』を作曲した。ハプスブルク帝国におけるドイツ語の公用化を目指したヨーゼフは、独自の「ドイツ語による演劇とオペラ」の理想を抱いていたのである。慈悲と寛容をテーマに、ドイツ語の台詞を多く含んだこの作品は、しかし、オペラ・ブッファが本格的な流行期を迎えつつあった当時のヨーロッパ音楽界のトレンドとは相容れないものだった。モーツァルトはこの『後宮』の後、こうした流行に添いつつ、なおかつ台詞やストーリーよりも音楽に重点を置くような作品の方向を模索したと言われている。1767年、11歳の時からすでに数多くのオペラを手がけていたモーツァルトが、80年代になって3つの作品を未完のまま投げ置いたことは、あるいはこうした模索と連関するのかもしれない。
本日のモーツァルト・マチネは、全体が、1.「狂おしき一日」2. 「恋人たちの学校」3. 「罰せられた放蕩者」の3つのパートに分かれていた。いうまでもなく、これらのタイトルはそれぞれ、『フィガロの結婚』、『コジ・ファン・トゥッテ』、『ドン・ジョヴァンニ』の副題である。それぞれのパートの冒頭に『騙された花婿』、『劇場支配人』、『タモス』の序曲・間奏曲が演奏され、その後にモーツァルトが1780年代、オペラのあり方を模索しながら手がけた「知られざるアリア」を巧みに構成して、3つのパートをそれぞれちょっとした「小歌劇」のように仕上げるという粋な試みだった。最初のパートは未完の『騙された花婿』を中心に、2番目は『コジ・ファン・トゥッテ』に関連する習作的アリアを、最後のパートでは『ドン・ジョヴァンニ』に通じる作品を並べて、その間に、同時代にオペラ・ブッファで人気を博したヴィセンテ・イ・ソレル、あるいはアントニオ・サリエリによるアリアや、モーツァルトがソレルのオペラの差し替え曲として手がけた作品も、さりげなく挟み込まれている。
歌うのは6人の歌手、クレール・ド・セヴィーニェ(s.)、ショバーン・スタッグ(s.)、レア・デサンドレ(ms.)、マウロ・ペーター(t.)、ヒュー・モンターニュ・レンダル(br.)、ロバート・グリーダウ(bs.)。これだけ実力派の歌手が揃うと、俄然、舞台は徐々にオペラ的な雰囲気を纏うようになる。もちろん、演奏されるアリアに相互の脈絡はないのだが、歌手たちはさりげなく目線や手の動きで恋情や嫉妬を巧みに暗示して、聴いているうちに、それぞれのパートがそれこそモーツァルト・オペラの真骨頂、ダ・ポンテ三部作のスピンアウト作品であるかのような錯覚にとらわれた。コロラトゥーラを得意とするセヴィーニェの歌唱がみごと。マウロ・ペーターも美しい声で、退屈なはずのモーツァルトのテノールアリアに聴き入らせた。そして、『ドン・ジョヴァンニ』のタイトルロールを得意とするというロバート・グリーダウは、歌と演技、どちらも素晴らしく、歌っているのは『ドン・ジョヴァンニ』のアリアではないのに、ドン・ジョヴァンニのキャラクターが浮かび上がるようだった。昨年の「モーツァルト・アカデミー」に引き続き、ピションのアイデアにしてやられたマチネであった。












