2018年の春分の日に、雪が舞った。寒さが身に堪える冬の日には、あれほど春が恋しかったはずなのに、厚い外套を着込んで街を歩く人々に紛れながら、内心、ほっとしている自分がいた。まだ、冬の中にいていいんだよ、と声をかけてもらったような気がした。もちろん、華やぐ春は大好きだ。だけど、わたしには、まだ新しい季節を受け入れる準備ができてない、そう思っていた。
本格的な新たな季節の訪れを前に、過ぎ行く季節がわたしにとって、何だったのか考えている。後悔のない冬だった。でも今日はまだ、気持ちがざわついている。季節は、わたしの気持ちなど気にも留めず、移っていく。
今年で最後の、3月13日。現代アーティスト 宮島達男さんの『Counter Void 』に足を運んだ。六本木ヒルズ 朝日テレビ前に設置された全長5メートルの光のパブリックアートである本作品は、それぞれ異なる速度で数字がカウントダウンする「生と死」をテーマにしたものだ。2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、アーティストの意向で消灯される。
しかし、震災の記憶が風化する中で「生」に向き合うきっかけを、と「3月11日14時46分から3日間のみ」再点灯させる「Relight Project」というアートプロジェクトが2016年に始まった。今年で3年目。友人たちがこのプロジェクトを続けてきたが、宮島さんと共に、本年を最後に再点灯を終了することを決めた。
消灯2時間前。作品の前で友人と宮島さんと話しながら、スピードは違えどカウントダウンを繰り返す数字たちを見ていた。どうして今年を最後にしようと決めたのか伺うと、「ひとつの時代が終わった、と最近、特に感じるようになった。(震災から)7年、が一区切りだ、と分かったんだよね。新しい時代に入っていかないと、いけないんだ。」と、宮島さんは話してくれた。あの時、産声をあげた赤ちゃんは、7年の月日を一生懸命生きて、もう小学1年生になるのだ。ひとつ段階を上がって学び始める頃だ。
ひとつの時代が、終わる。この時代はわたしにとって何だったのか、わたしはどんなスピードで命を刻めてきたか、作品の前で考えた。『Counter Void』はもう沈黙してしまったので、過ぎ行く時代に留まってもいいんだよ、とは言ってくれない。後悔のない時代だった、と思う。今もまだ、考え続けている。
矢内原美邦さん演出の「ミクニヤナイハラプロジェクト 曖昧な犬」を観劇した。アフタートークでの矢内原さんの言葉が、印象的だった。(特にメモしていたわけではないので、言い回しは異なるかもしれないが)
一体それが、最終的に自分にとって何であったか、何になったのか。言葉にしづらいけれど、大切だと感じるもの、必要だと感じるものは全て、「美しい」ものだ、と気づいた。
人間一人ひとりの生きるスピードやリズムは、微妙に異なっている。だから「すれ違い」が、関係が深まる前から怖くなる。不安になる。違う季節の中にいると、眼前に広がる景色も異なって、理解しあえるか自信がないから。人生が交わるという奇跡の前に「一体何になりそうか」が気になってしまう。合理性を求める時代が、そう人間に急かすから。だけど、違う景色を分かち合えるという、季節の喜びがそこにはあるはず。そして、時代はきっと変わり、合理的なことばかりが強くある時代は終わるはず。
それは一体わたしにとって何になるのか、その答えを事前に求めずに前に進むこと。そして、この日々は何だったのか、何になったのか、と振り返った時、胸を張って「美しいものだった」と答え続ける生き方を選ぶこと。その選択に、怖さも不安もない。矢内原さんの言葉が、響く理由は、これだった。
季節も時代も。わたしの気持ちなんてお構い無しだけど、きっと「気持ち」は「(生き方の)覚悟」で乗り越えていける、と思う。