[ダニエル・バレンボイム+ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団2日目]
一昨日から聴き続けているバレンボイムとウェスト・イースタン・ディヴァンも、本日が最終日。ソリストがアンネ・ゾフィー・ムターに変わり、プログラムは前半がアンドレ・プレヴィンとシベリウスのバイオリン協奏曲、後半がベートーヴェンの交響曲7番。ムターの演奏をとにかくたっぷり聴かせようという意図が伝わってくる。
アンドレ・プレヴィンは今年2月に89歳で逝去した、ドイツを代表する指揮者であり、ピアニスト、作曲家としても広く活躍した。短い期間だったがムターと婚姻関係にあり、バイオリン協奏曲は、婚約中に彼女に贈られた曲。副題が「アンネ・ゾフィー」で、全曲を通して、彼女が好きだったドイツの童謡、『私が小鳥だったら』が変奏されて顔を覗かせる。
昨年11月に音楽祭のプログラムが決定した時にはこの曲は予定されていなかったので、プレヴィンを追悼するために追加されたのは明らかだ。プレヴィンと共同の仕事も多かったバレンボイムはさることながら、おそらくはムターの意向も大きかったのだろう。プログラム冊子には、ムターがこのコンサートについして改めて寄せた長い追悼文が署名入りで掲載されていた。
今年の音楽祭は、いつになく、いまは亡き巨匠たちの影を強く感じさせられる場面が多かった。何より今年はカラヤン没後30年であり、ほぼ半世紀にわたってザルツブルク音楽祭の「帝王」として君臨してきたマエストロのメモワールがよく口にされるのは当然である。そして、交流のあったムーティやバレンボイムが例年と同じようにプログラムを賑わせるのは当然としても、カラヤンが発掘した若い才能として、当時、些かセンセーショナルなスポットライトを浴びせられたムターやクラリネットのザヒーネ・マイヤーの出演も、偶然に生まれたスケジュールとは思えない。本日の演奏会で、2曲の協奏曲を弾き終わったあと、ソリストアンコールとしてバッハのパルティータを演奏したムター。この曲をカラヤンに捧げるとして、改めてマエストロへのオマージュを想起させた。ムターの今年の音楽祭への登場は、ふたりの大音楽家への追悼という意味で捉えても、あながち間違いではないだろう。
45分を軽く超える長い前半、主役となったムターは自身の技巧と上手さを余すところなく披露した。ムターの素晴らしさのひとつは、音の美しさだろう。プレヴィンもシベリウスも難曲だが、どんなに難しいパッセージになっても、この美音が一糸も乱れないのは見事である。雑味のない美しい音は、とりわけ弱音でディミヌエンドする時など、細くかそけく、ただしその存在をしっかりと主張する、本当に不思議な音色を醸して聴き入った。
クラシック音楽界の圧倒的な女王的存在を二人もゲストに迎えて、連日3日、堂々の演奏会はさすがバレンボイムだと思う。アルゲリッチの日は後半が現代音楽のルトスワフスキだった。この管弦楽曲コンチェルトは各パートの実力をじっくり聴かせて面白くはあったが、いずれ、スターの演奏を好む観客の嗜好にはあまり訴えず、途中退席する人も多かった。その意味では、本日は、ベートーヴェンの7番で締めていて、プログラム構成としてはよく考えられていたと思う。7番はウェスト・イースタン・ディヴァンの奏者たちにとっても弾け飛ぶような達成の表現だったと思うが、ただ、毎年聴いていて、ここのオケはドイツ古典になると少々バラバラしたところが目立ってくる。細かいことをあげつらう気持ちはあまりなく、こういう特徴も、まあ、ウェスト・イースタン・ディヴァンのキャラクターとしてとらえておきたいと思う。










