[ダニエル・バレンポイム + ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラ 第1夜]
大御所指揮者のダニエル・バレンボイムは、ベルリン国立歌劇場の総監督であるにもかかわらず、ザルツブルクには同オペラのシュターツカペレを持ってこない。毎年、パレスティナ、イスラエル、ヨーロッパの若者が共同で演奏するユースオケ、ウェスト・イースタン・ディヴァンを連れて二日の日程でさらっと演奏することが多い。ただし、2017年はこのあとウィーンフィルにもゲスト出演するし、マルタ・アルゲリッチとのデュオコンサートも計画されているので、ダニエル的には今年はさしずめ出血大サービスといったところだろう。
ウェスト・イースタンは昨年が飛び抜けてすぐれなかった。特に去年の一夜目、オール・モーツァルトのプログラムがほんとうに、若いオケのことを考えても、「来るべきではなかったかも」と思うレベルでひどかった。
だからと言って、今年は行かないという選択はあまりなかった。ベルリン国立歌劇場を含め、ダニエル・バレンボイムが世界中でやっていることがすべて面白いし、このユースオケは設立趣旨から考えても、ちょっとしばらく見守っておきたい部分もある。
ただ、期待していたかと聞かれれば、正直ノーである。
開演時間も遅くて、夜9時スタートということもあり、少しテンション低めで出かけてきた。
本日は、ウェスト・イースタンの1夜めで、プログラムは前半がリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』、後半にチャイコフスキー交響曲第5番である。
さて、ユースオケはわからない。若者のオケなので、それほど特有のカラーを決めていないこともあるし、それにメンバーがしょっちゅう交代するから、メインのパートが5人も入れ替われば、音の感じも変わってくるだろう。今年のウェスト・イースタン、とにかく音がいい。全体にバランスが取れて、てらいなく「美音」を出してくる。前半、ドン・キホーテの物語をなぞって、具象的な面の強いこの交響詩。風車の轟音とか、馬の蹄、水の滴りなどを真似た音が、素直にそれとして表現されているのがとても楽しい仕上がりだった。金管に青さはあるが、昨年のようにぶっ飛んで零れ落ちるようなことはなく、本当にすごくいい。
しかし、何せ圧巻はチャイコフスキーだった。
メロディーは大変に親しみやすいチャイコフスキーのシンフォニー。何も考えずにルーティンで弾いてしまうと、甘さとロマンティシズムだけが前面に出て退屈になる。こういう、バッグの中に一ヶ月入れっぱなしになってベタついた飴ちゃんみたいな演奏が巷に多すぎて、なのでこの分野はあまり好きになれなかった。しかし、先日のムーティの4番で、「これはちょっとそういうのとは違うかも」と思うようになり始めた。そして、今夜、バレンボイムで5番。なんと幸せな連続性だろう。こういうのがあるから、音楽祭では、自分の鑑賞経験にマジックが起きたりするわけだ。
思えばバレンボイムはチャイコフスキーが得意である。絶対に理解できないと思い込んでいたロシア語オペラ、『エフゲニー・オネーギン』も、ダニエルの指揮で脳天直撃されたものだ。甘美な旋律の背後に、ティンパニーや金管楽器で巧みな土俗性の背景のようなものを作っていくから、そこにはロシア音楽ならではの意趣のようなものが作り出されて、聴いていてドキドキする。特に有名な第5番だが、決して平凡には終わらせない。よく知られる冒頭の「運命動機」ほか、いくつかある主題をはっきりと繰り返しながら、メリハリをかなり強めにつけて、楽章が進むに合わせて微妙な進行感をつけていく。すべてがフィナーレに向けて綿密に計算され尽くしているような演奏である。
全体にすごくいいのだが、中盤まで聞いてきて、なにしろやはり金管が昨年とは随分違うのだ。安定化があるし、第一ホルンなどは、弱音で奏でるソロも本当に美しかった。そして…。ダニエル、どこに隠していたんですか、こんなティンパニー奏者?? 笑。もう、めちゃくちゃいいじゃないですか、このティンパニー。この人、チャイコフスキーに入る時、ダニエルが登壇する前から、バチを両手に持って、ゴリラの人形のようにバンバン連打するポーズをしていたので、「ほー、やる気かいな」と、ちょっとだけ注目していた。が、力強くありつつ、弱打ちのとき時とのメリハリもいいし、何せリズム感がいい。四楽章のクライマックスに向けて、ボンボンボンボン、と引っ張っていく部分など、もうその音が地の底から響いてくるような迫力である。どうやらダニエルもこの奏者が気に入っていると見えて、ティンパニーにキューを出すたびに、指揮棒で斜め上を貫くように、「突撃〜!!」といわんばかりのポーズであった。…やっぱりティンパニーは大事なパートである。その証拠に、いいオケには、必ずと言っていいほど優れたティンパニー奏者が控えている。
そして、何より、ダニエル・バレンボイムのカリスマ性もやはりすごいのだ。今回もいろいろな指揮者との出会いがあったが、指揮姿がこれほどまでに華やかで、ビジュアルに訴えてくる芸術家も、そんなにざらにはないと思う。ダニエルは姿勢が良くて、まず立ち方が美しい。そこに、腕関節をほぼ360度フルに使って、バンバンダイナミックに指示を出していく。そこに生まれる音楽が素晴らしいだけではなく、やっぱり、振っていて、その指揮を見ているだけで聴衆がその人の作りたい音楽を容易にイメージできるのは素晴らしいことだと思う。
ともすれば、オケの若者よりもエネルギッシュなバレンボイム、振り終わって舞台を下がる時に、指揮台に階段がついているのに気付き、それを見て彼の年齢を改めて思った。そういえば彼もそろそろ75歳になるわけだ。
チャイコフスキーの5番のラストで、一度小休止が入ってからクライマックスなのだが、この、そんなに長くない休止で、客席の一部から猛烈な拍手がわいたのはもう意味不明。フライングブラヴォー狙いなのか、それとも単に早く家に帰りたいのか。…やっぱり本当は客層が悪いのか、ザルツブルク音楽祭。
上から見下ろす席は最高だ。オケの全パートがキレイに見えるし、そして、何より、計画されたアンコールがある場合、奏者が譜面台に小さな楽譜をはらっとはさみ直したりするので、それがバレバレなのも楽しい。バレンポイム、お客さんを散々焦らしておいて、「しょうがないな」という表情で、滑り出すようなスムーズな弱音で、シベリウスの「ワルツ・トリステ」を奏で出す。オケも大アプローズを受けて気持ちが高揚しているので、ここからは奇跡の実力である。本当に美しい。弦パートの繊細さは、あそこやここの名門オケと比べても遜色ないくらい。本当に素晴らしいアンコール演奏で、客席はまたまた盛り上がる。ダニエル、何度もコールされて、まるでかぶりつきのお客さん一人一人にアイコンタクトするかの雰囲気で舞台すれすれを歩いてくる。…と思ったら!! 客席がまだ、わーっとなっている間に、ヒョイっと指揮台に立ったかと思うと、トランペットの華やかなファンファーレがブラヴォーの叫びを引きちぎった。アンコール2曲めは、『エフゲニー・オネーギン』のポロネーズだ。もう見事としか言いようがない演奏だった。何より、こういうサプライズ、そして、客席からの歓声を押し返すような突っ込み方。やはり、ドイツで確実に何番めかに入る名門歌劇場の音楽監督としての指揮者の貫禄を感じてしまったのは私だけだろうか。…シラー劇場に長いこと仮住まいしていたベルリン国立歌劇場。もうじきようやく改修工事が終わると聞いている。あの風格ある歴史的な劇場で、いつかまたダニエルのタクトにお目にかかりたいものだ。