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棺桶
Bitch,Don’t Kill My Vibe(散文 )
先日友達との付き合いでクラブに出向いた。
久しぶりに大きな音で聴く好きなジャンルの音楽は僕の気持ちを高揚させた。しかし、周りを見渡せば男女入り乱れて馬鹿騒ぎする者もいて、不純異性交遊が大嫌いな僕はできるだけその光景を見ないように努めた。
その時流れてきた曲が、表題のKendrick Lamar「Bitch,Don’t Kill My Vibe」だ。今の気分にこれほどマッチした曲は無いと、僕はまさにヒップホップよろしくDJに感謝した。DJをみるとストリート系のファッションに身を包んだチャラそうな若いやつだったので、お前がこの曲をかけるのかと、一瞬戸惑ったが、まあ曲に罪は無い。僕はしみじみとこの曲に耳を傾けながら首を小さく縦に振っていた。
偶然知り合いの女の子が僕の前を通りがかり、声をかけてきた。彼女もこんなところで、と驚いた様子だったが、挨拶も早々に僕は言った。
「今流れてる曲が僕の感情を表してるんだ。Bitch,Don’t Kill My Vibeだね」
彼女は満面の笑みで言う。「最高ですね!」
「うん!」僕は大きな声で返事をした。
彼女がフロアに紛れていく。その背中も見送らずに僕は口ずさんでいた。
Bitch,Don’t Kill My Vibe.
Bitch,Don’t Kill My Vibe.
......
2020/02/06
散文、書き物の楽しさを教えてくれた先生について
確か高校三年生の夏だった。現代文の授業で、「ぼくを探しに」という絵本を壇上で先生が読み聞かせた後、クラス全員に原稿用紙を2枚ずつ配り、なんでもいいから原稿用紙2枚の作文を書けと言った。絵本の感想、自分の思い出、主人公の気持ち、創作の物語、先生が挙げた例は本当にどんなテーマでもありだった。絵本の読み聞かせに何の意味があったのか分からないが、この授業は勉強の苦手な僕には面白かった。しかし勉強と同じぐらい僕の頭を悩ませた。日頃から問題を解くという授業や暗記科目は好きではなく、国語の授業が好きだった。ただその実、基本的に全ての科目で並以下だった僕には、現代文には苦手意識が無いといった程度で決して得意と言える科目でもなかった。現代文のテストとしての小論文などは、セオリーに則って順序立てて書いていくことで形にはなっている程度のものを書き上げることが出来ていたが、自由なテーマで書けと放り出されたら、途端に何を書いていいか分からなくなったのである。さらに当時から読書が好きだった自分にとっては、なぜか勝手にプレッシャーのようなものを感じて、創作などしたこともないのに何か良いものを書き上げなくてはならないと思い込んでしまったのだ。悩みに悩んだ末、その時の今の状況を一文で書き出してみた。確かこんな一文だったはずである。「一滴の汗が頰を伝って顎から落ちた。」何が面白いのか分からないが、その時の状況を書いただけで本当に意味はなかった。ここから自分は一体何を書こうとしているのかと、自問自答を繰り返していた。先生も先生でクラス内を回ってみんなが何を書いたか見ていくから質が悪い。迂闊に書き進めようものなら、先生が僕の机を覗き込んで何か言ってくるに違いない。そして僕は先生に読まれた時のことを想像すると何を書いても所謂”イタい奴”になる気がして、たった一文を捻り出しただけにも関わらず言い様のない強烈な恥ずかしさを覚えた。そのまま授業は終わりを迎えた。僕は原稿用紙残り19行と1枚を前にして文字通り頭を抱えていた。数日後の現代文の授業までに完成させねばならない厄介な宿題を持ち帰る。家に帰ってからも、とにかく何が書きたいのかを考えるのに時間が掛かった。手も付けずにいつまでも悩んで物事を進めないでいるのは、平生からの僕の悪い癖だ。
結局僕は自室の勉強机に向き合い最初の一文を乱暴に消した。目の前には少し皺の寄った白紙の原稿用紙残り20行と1枚があった。そこから中学三年の夏に友達と川遊びに言った時の思い出を書いた。なぜそのテーマを書くに至ったのかは覚えていないが、自分の気持ちを吐露していく形だったので、文章は意外にもスラスラと書けた。次の現代文の授業で僕はこれを創作として提出した。思い出を創作として提出してズルをしようとしたのではない。これは自分にとってさして重要な思い出でもなかったが、書き出してみると中学生当時の僕の感情は陰気で、若干の被害妄想が入ったかなりネガティブなものだったので、そのような自分の過去を知られるのが嫌だったのである。だからと言って高校生の僕が陽気な生徒だったのかと問われれば、全くそんなことはない。ただ中学生の頃よりは自分を隠して人に馴染むのが少しだけ上手くなっていたのだ。とにかく当時の僕は、これを自分の思い出として提出しようものなら、友達やクラスメイトに茶化されて恥をかくのではないかと不安になっていた。
現代文の授業当日、僕は不思議と作文を完成させた高揚感のようなものを抱えていた。初めて書き上げた作品とも言えるような作文は、もちろん恥ずかしさもあったが、人に見てもらいどんな反応がされるのかというほんの少しの期待があった。書いた作文はランダムに数人のクラスメイトに読まれ感想をもらい、さらに感想が書かれたプリントは先生が回収していく。当然だが作文も回収されていった。僕の作文に書かれた感想は呆気ないものだった。一人の男子生徒からもらった感想には、「ひと夏の思い出だったんですね。」この一言だけが書いてあった。きっと面倒臭がりでふざけた奴だったのだろう。しかしこれに僕は落胆するよりも安心した。僕の心配をよそにクラスメイトたちはこの一連の授業がただのかったるいものと思っている節もみられ、僕の作文を誰も真面目に読みはしなかった。そのことがわかった時、僕はすぐに気楽になった。しかし先生だけは違った。結果から言えば先生は僕の作文を心から褒めてくれたのだ。
後日職員室で先生に会った時、先生は僕に言った。「作文すごいよかった。勝手にコンクールとか応募しようかと思っちゃった。」感情の表現がリアルで、文章も読みやすくて、とかなんとか色々と褒め立てていた。「なのに感想がみんな適当で少し寂しかった。みんなには良さがわからなかったみたい。」とも言っていた。僕は素直に嬉しかった。人から褒められた記憶がほとんどないので、自分が認められたような気がして何か安堵に近い気持ちが芽生えた。これで現代文の成績が良くなる、なんて思っての安堵ではない。作文の内容が内容だけに、先生が僕のネガティブな気持ちを理解し、それすらも肯定してくれている気がしたのである。勿論、これは授業の一環としての作文。正しい文章が書けているのか、限られた文字数の中で伝えられるのか、などの生徒それぞれの国語力を見るための作文であることには間違いなかった。そして先生は僕の作文を褒めてくれた。しかしそれは、よく書けているね、文章がうまいね、などの評価基準に当てはめた発言ではなかったはずだ。先生の「すごいよかった」は、先生としてではなく、一読者としての賞賛であるように聞こえた。
不安を抱えて提出した作文は先生のおかげで僕の自信作になった。確か卒業文集に収録されていたはずなので、また実家に帰った際にでも読み返してみようと思う。17歳の自分が書いた作文は幼稚で、変に背伸びした、とても読めるようなものではないような気もするが、好きな先生が褒めてくれた作文は今でもきっと誇らしく思えるはずだ。そしてもし気が乗れば、いつかその作文を公開したい。当時の稚拙な文章は直したい箇所がいくつもあるだろう。しかし僕は原文のままで公開するつもりだ。捻くれた大人が手直しした作文は、先生が褒めてくれた作文とは違うものになってしまう気がするから。
2020/01/28
Mamba Monday
R.I.P.
日本時間 2020/01/27
久しぶりに小説を読もうと思ったきっかけ(散文)
30歳を目前にして好きな女が出来た。ある時僕が共通の友人と出かけている時、たまたま時間が合ったので彼女とカフェで合流した。鞄の中を整理していた彼女が一冊の本をカウンターに置いた。タイトルも作者も忘れてしまったのだが(確か川端康成だったかもしれない)、それが長編小説で純文学だったのでとても好感が持てた。何様だと思われるかもしれないが、批判を恐れずに言うならば、そこで出て来た本が伊坂幸太郎や東野圭吾などの本好きでない人でも誰もが知っている作家(もちろん僕もこの作家らは面白いと思うし好きだ)や、芸人やアイドルが書いた話題性だけの小説(もちろん中には面白いものもあることは承知している)であったら、僕は気にも留めず黙っていただろう。だが彼女はその時、確かに純文学の長編小説をカウンターに置いたのだ。そもそも僕が平生つるむ仲間たちは本を読まない奴ばかりで、小説の話など全くしない。それで良いと思っていたし、僕自身、読書という趣味を人と共有するものではないと思っている節がある。しかしその中でたまたま好きになった女が小説を読むことが発覚し、僕は内心で小躍りしていた。共通の話題が出来るし、何よりこの会話が弾めばもっと仲良くなれる、もっと自分のことを知ってもらえると思ったのだ。「僕もよく小説読むよ。」ここ1、2年は年間数冊読む程度だったのだが、僕は見栄を張って話しかけた。
後日会話の中で、僕の好きな小説を読みたいと彼女が言うので、僕はすぐに自宅の本棚にあった重松清の「ナイフ」を彼女にあげた。それは自宅近くの、見た目だけは古書店風で、成人向け雑誌なども取り扱う小さな古本屋のワゴンにあり、80円で購入した物だった。「ナイフ」自体は高校を卒業したばかりの頃に古本で購入して読んだのだが、本好きの知人にお勧めしてあげたり、引っ越したタイミングで手放したりと、合計4回程購入し直していた。思い返せば人にあげたのは今回で2回目だった。僕はそれほど「ナイフ」と言う小説が好きだった。どれも古本でたまたま見つけた時に購入しているだけなので、果たしてそこまで情熱があるのかと言われたら自分の中でも疑問だが。補足すると、「ナイフ」は短編集なので僕は取り分けその中でも小説のタイトルに冠されている『ナイフ』と言う章が好きだった(内容に関しては割愛する)。ともあれ僕は彼女に「ナイフ」の『ナイフ』を勧めた。この時僕は、彼女に『ナイフ』を読んでほしいと思ったこと自体が、彼女の事が好きだという証明のようなものであると気づいた。僕が「ナイフ」を読んでから今日に至るまで、一番影響を受けた小説は『ナイフ』だった。しかし人に「ナイフ」を勧めた事は今回でたったの2回目。今まで何度もお勧めの小説や、好きな小説を聞かれても、「ナイフ」と答えた事は滅多に無かった。元来僕は人に対して自分の本当に好きな小説や漫画、音楽などを打ち明ける事が少なかった。それらは自分を、または自分の人間性を、形成するのに大きく影響している事から、自分が見透かされるのではないか、大袈裟に言えば、裏で馬鹿にされてしまうのではないかと邪推してしまうのだ。それこそ僕は、知人にお勧めの本などを聞かれた際には、一般受けのいい伊坂幸太郎の名前をすぐに出していた。
余談だが、前に勤めていた会社で、原稿用紙2枚分の読書感想文を書くという宿題が出された。本は何でもいいと言われたのだが、日頃から小説しか読んでいない僕にとっては、小説を読む以外に選択肢も無く、また、社会的なテーマが書き易いとも考えた上で、読み慣れた「ナイフ」に関して感想文を書くことに決めた。しかしここでも平生から本当の自分を隠して生活していた僕の悪い癖が発揮されてしまい、「ナイフ」の『ナイフ』に関しての感想文を書く事には拒否反応が出てしまったのだ。せめてもの抵抗として、「ナイフ」の別の章に焦点を当てて感想文を書き上げた。それが下記である。当時からiPhoneを使用しており、メモのアプリにその時の感想文が未だに保存されていたので貼り付けておく。
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重松清著「ナイフ」を読んで
この小説は「いじめ」をテーマに書かれた短編集である。その中の一編、「ワニとハブとひょうたん池で」について感想を書く。
主人公の女子中学生ミキはある日学校に行くと、「あんた、今日からハブだから」と、突然クラスのいじめの標的にされる。その原因としてミキは自分が人気者だからだと想像する。誰をハブったら面白いか、と問答し、「あたしみたいなコを選ぶだろう」と考える。「理由とかがあると(中略)仕事みたいになっちゃうじゃん」、「理由とかはないほうがいい」、「その方がおもしろいよ」と。
思春期のいじめというものは得てしてそういうものなのだろう。中学生くらいになると行動範囲が広がり、親とではなく友達と過ごす時間が増えて、自分達だけで何でも出来るような気がしてくる。何の理由もなく仲間と一緒に標的のクラスメイトの学校生活を蹂躙することで、自分が人より優位に立てたり強くなれたような気がする。そんな快感を求めていじめは行われるのかもしれない。
ミキもそれを分かっていたと思う。いじめのことが両親に知られ、父親が憤慨したとき、ミキは「しょうがないよ、運が悪かっただけだから」と言った。いじめられる方も中学生ならば、既に一人前の人格がある。親が子供をどうやっても守るという気持ちは、まだ親になっていない私には深く理解することは出来ない。だがミキの気持ちは理解出来た。親に介入して欲しくない思うのは、見栄や意地、心配を掛けたくないというのもあるが、1番にはプライドだろう。親に悩みを相談したり、助けを請うたりすることも時にはある。しかし、本当に重要な事というのは、自分で、もしくは自分の中で解決したいものだと思う。
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余談なのでここで読書感想文を公開したことに大した意味はないのだが、当時22歳の僕が、本当の自分を隠して、『ナイフ』の感想文を書かなかった事がこれで確認できる。プライドなどと似つかわしくない言葉を持ち出して、本当の自分を隠す事が格好悪いことではないと、それを正当化しようと必死だったのかもしれない。そしてそれは今も相変わらずで、若いからとか、世間を知らないからと言う常套句で説明できない程に、この歳になっても僕は依然として捻くれ者だった。
しかし殊彼女に対しては僕の悪癖が発揮されず、「あなたの好きな本が読みたい」などと言われて、僕は真先に「ナイフ」の『ナイフ』を思い浮かべたのだった。改めて考えれば、本当の自分を知って欲しいが為に至った選択ではあったが、同時に彼女の前では素直でいたいと言う思いがあったのかも知れない。そして自然と素直でいられているような気がした。
この散文はタイトルに帰結することなくここで終えるが、以上の筆致から汲み取ってもらえたら幸いである。
2020/01/25
ME
銀河鉄道
カムパネルラ
スタイルをとおす。
プライドとスタイル
ベイキン
2017年に読んだ本
Head Niggas In Charge
俺みたいにストリートのヒップホップが好きな奴は世界中みんなMobb Deepに憧れた Return of the macは何百回も聴いた
Burn、Stuck on you、Keep It Thoro、PVに出てくるProdigyの顔つきや立ち振る舞いを真似した
死んでしまったのがとても残念だ
散文「膿汁の流れ」
今日は彼女が帰ってこない。友達と飲みに言ってカラオケに行くという。朝帰ると聞かされている。だから夜ご飯は自分で食べてね、と彼女は言った。同棲して半年以上が経つが、1人で晩御飯を食べるのは片手で数えられるほどしかなく、こと自分で晩御飯を用意して自分1人で食べるといった状況に関しては今日が初めてであると記憶している。数日前、このような寂しい夜を過ごさなければならぬと聞かされた時から僕の頭にはある小説が思い出されていた。西村賢太の私小説「廃疾かかえて」だ。主人公北町貫太の物語が三編収録されており、そのなかの最後の一編、「膿汁の流れ」が僕には酷く印象に残っていた。
この物語は北町貫太(というよりもこれは私小説なので、主人公は著者西村賢太本人である)の同棲中の彼女、秋恵が父方の祖母の入院の報せを受けるところから動き出す。下記は物語の概要である。
秋恵はお見舞いに行くため一時地元へと帰ることになった。秋恵が貫太と同棲して初めて家を開けることになったのだが、そこで何かあった時のためにと、秋恵が管理していた2人の生活費を預け入れている通帳のキャッシュカードを貫太に渡すのである。生活費のほとんどを秋恵のパートに頼っていた2人なのでその額は12、3万しかないが、6日間留守番するだけの貫太が持つにしてはかなりの額である。あくまでも何かあった時の為に渡すだけだからと、一日千円ぐらいを目安に使ってね、と秋恵が忠告する。秋恵が帰省した初日、出かける用事のあったついでに外で夕食を済ませた貫太。夜、電話口で、なにも支度してあげられなくてごめんねと謝る秋恵の心配もよそに、翌日の夕方、貫太は預かったキャッシュカードを使い三万を降ろし老舗の鰻屋へと入り込む。手料理よりも外で誂える食事の方が上手いと久しぶりに思い出したのである。ビールと鰻重を腹へ入れ、落語の寄席に行き、その後食堂風の居酒屋で飲み、そこでカップルを遠くから眺めた貫太は射精の希求が募ってしまう。次の日、貫太は秋恵のいない開放感から女子校風ヘルスへと向かい、抜く。欲求が堰を切って溢れた貫太はまた次の日、五万を降ろし歌舞伎町へ向かい計ニ店で射精、帰途には焼肉を堪能、家に帰るとここ数日同様秋恵からの留守番電話のメッセージが入っていた。つい先ほど吹き込まれた秋恵の怒った様子のメッセージを聴くが、翌日になると今日が秋恵の留守の最終日の予定であったため、最後の射精遊戯を楽しむ為、残りの五万を全額降ろした。昼過ぎに家を出、チャーシューメンを食い、映画を観、陽も暮れた頃、洋食屋でビール三杯にグラタンとレバーカツを食った。その足でストリップ劇場へと舞い込み嘲笑混じりの声援を送ってからヘルスに向かい、いよいよ貫太もこれで最後だと感慨深く方液を果たした。その時の女が穿いていたテカテカの金色のビキニがひどく気に入った。秋恵の留守六日目の朝、使い果たした十二万に関しては半ば開き直って帰りを待っていた。結果として秋恵の祖母は危篤となり、秋恵の帰宅は先延ばし、帰ってこれない秋恵に対して貫太は自分のことを棚に上げて激昂、その後帰らぬ人となった秋恵の祖母の葬式にも出向かず、秋恵の父からは人格を否定される。憔悴して帰ってきた秋恵にも愛想を尽かされて、帰宅早々険悪なムードだったが、貫太は今回は俺が悪かったと秋恵に叩頭して見せた(十二万を使い切ったことではなく、葬式に出向かなかったことに関してである)。貫太の頭にはあの女の金色ビキニが思い出されていて、どうにかして秋恵に穿いてもらう為、ご機嫌を回復させるのに必死だったのだ。
笑うしかないほどのクズである。金を使い込んだ挙句、葬式で帰ってこれない彼女に対して激怒とはもはや呆れを通り越して笑いが込み上げてくる。本番ありの風俗に行かない所や、秋恵に金色のビキニを履いて欲しいと思うあたり微妙に罪悪感の残る一途な小心者なのであろう。初老のおっさんのくせにみみっちい男だ。
僕は家で1人晩御飯を食べながら西村賢太のこのエピソードを思い出していた。憧憬と仲間意識に近い気持ちを抱いて。そして今日、僕は十二万を使い切る代わりに一人家を出てセッションズでロンTを買った。更に小さい男である。
2017/04/17