沼地を描いてきて、よかったと思う日々。
白鷺を美しく描くためには、まず白鷺そのものの形とデッサン、特徴を捉えるために単体を描く、正しい形が手癖になるほど。
ただ、形を描けても存在感を描くためには、白鷺だけを描けても中々表現できない。
黒い沼地にたたずむ白鷺、そこまで描けて初めて見る人がスッと白鷺の美しさを感じてくれるものになる。
そのためには誰も見てくれない、誰も気づかない、けれど確かに描かねばいけないのは黒い沼地。
納得いくまで沼地を描く、様々な沼地を描く、沼地ばかりを描く日もある。
あいつ沼地ばっかり描いて、と言われる期間もある。
意味が解らないと言われる期間もある。
でも自分の目は沼地を見ていても、心はそこに白鷺を見る、白鷺を追う。
納得いく沼地を表現出来た時、そこにずっと追ってきた白鷺を置く。
長い時間僕を見続けてきた人は、この日の為の沼地だったかと気づく、その瞬間の絵だけを見た人は、なんて美しい白鷺だと思う。そこまで至る期間、長い沈黙にも似た誰からも見向きもされない期間もある、だから、大事なことは自分の中の白鷺を見失わない事。
目先の評価に恐れおののき、白鷺の為の沼地を花畑にしてはいけない。
描きたい白鷺は決してそこに降り立たない。
人が描けないと諦めていたら自分の見たい人馬は描けなかったし
馬が描けないと諦めていたら自分の見たい人馬にはならなかった。
僕が学生時代、人間が描けず、逃げるように動物ばかり(描けていたわけでもない)描いていたことや、男性が描けないと言う理由で女性ばかり描いていた事を知る人なんか全然いない。
昔の自分に堂々と今の絵を見せて、嫉妬させられる所にやっと来た(笑)












