“当時16万9千人もいたアヘン中毒患者の問題を日本がどう処理するか、世界各国も注目していた。 『わが国に伝播したらなんとする。吸引するものは厳罰に処すべし。輸入や販売を行なう者についても同様だ。従わないものは台湾から追い出せ。中国大陸に強制送還せよ。』 このような『厳禁説』がさかんに唱えられたが、後藤新平は、『これでは各地に反乱が起き、何千人の兵士や警官が犠牲になるかわからない』と反対して、『漸禁説』をとった。 『まず中毒にかかっているものだけに免許を与え、特許店舗でのみ吸引を認める。新たな吸引者は絶対に認めない。アヘンは政府の専売とし、その収入を台湾における各種衛生事業施設の資金に充当する。』 アヘンを政府の専売とするという破天荒なアイデアであったが、後藤新平の読み通り、大きな混乱もなしに、アヘン中毒患者は次第に漸減して、日本敗戦時には皆無となっていた。」 後藤新平 明治・大正時代の政治家。 台湾総督府民政長官。初代満鉄総裁。”
— 「アヘン戦争」の舞台裏 ~アヘン王サッスーンの暗躍~ (via nyama)
















