2022.1.28
左耳が聞こえなくなった。正確には聞こえが悪くなった。左側から話しかけられているのに気が付けなくなって、アレとなった。左側にいる人にはいつも以上に注意を払わなければならなくなった。身体には心臓が左側によってるから、左隣は心理的に安心した人を側に置きやすいんだって。右側の人は無意識に警戒してるとか。そんなことどうでもいいね。昔から音痴で、音の構造がよくわからなくて、クラシックピアノを小学生から高校生まで習っていたけれど、最後まで上手くはなれなかったな。ピアノのおかげで楽譜は読めるようになったし、理論はそれなりに身についた。理恵先生元気かな。ピアノは好きだったよ。楽語記号覚えるの楽しかった。ritardando=だんだん遅く、がお気に入り。酔ってるみたいになれたから。耳の聞こえないベートーベンが一番好きだったし。荘厳で重くて、律儀な音の重なりが好きだったよ。ベートーベンのソナタを弾いている時は、すこし心が軽くなった。ショパンはキラキラしてて苦手だった。嫉妬。難しい曲も多かったのもあるけど。ハノンの練習が嫌いだったし、僕には才能がないって諦めちゃったな。中学も吹奏楽部を選んで、それも運動がそんなに得意ではなくて、というかフィジカルで競争するというのがとても苦手で怖かったから、運動部という選択肢はなかった。田舎の小さな学校だったし、選択できるほど部活は多くなかったし。少しだけ派手だったし、男の部員、当時は誰もいなかったからどうせ人と違うならって入ったな。結局音楽は金がかかるって才能のなさを隠すようにそれを言い訳にして諦めた。音楽のことを純粋に好きな人たちが羨ましかった。声がいいねって褒めてくれる人がいるけれど、声の良さなんてわからないよ。左耳が聞こえなくなって、聞き耳ばかり立てて、聞こえないふりをしてた人生と少し切り離せるのかな。できたことができなくなるショックと引き換えに、もしかしたら少し穏やかになれるのかもしれない。心に平穏が。そういえば父親も耳が悪かった気がした。聞こえなければ気にしなくていいものね。身体は心を守ろうとしているのかもしれない。別に悲愴感の中で生きたいわけでもないし、治らないならそれでいい。それと付き合っていくだけ。悲愴ソナタも別に暗いばかりじゃないもの。あの曲の中に感じた一筋の光みたいな美しさ、それがあれば十分なんだよ。あの曲は一つの情熱の形。













