今日は光を撮むの11周年記念です!!
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今日は光を撮むの11周年記念です!!
お知らせ
いろいろブログを増やしすぎた感があるので、今まで写真のみを載せてきた「撮む」にテキストと写真のブログを戻すことにした。
こちらでご覧いただいていた方には面倒をお掛けするのだけど、もしよければ新しいブログでもご贔屓願えれば、と思う。
こちらはアーカイブ的な意味で、そのまま残すが、新しく更新することはないと思う。
まずはお知らせまで。
海を撮る時の好ましい構図の一つ ( 笑 ) 初めて行った場所なのだけど、偶然通りかかって「ここは間違いないはず!」と勘を頼りに脇道に逸れて辿り着いた。 思いの外、釣りの人が多くてどうしたもんかと思ったけれど、まァ、細かく見なければ。 両側が畑じゃなく、何もない草むらなら尚よし。
新富士の近くへ商談に行ったので、帰りに富士山本宮浅間大社に行ってきた。 ここは全国に約 1300 社ある浅間神社の総本社であり、富士山を中心とした信仰の文化の構成資産として世界文化遺産になっている。
先週のブラタモリで放送されたばかりでもある。 折しも昨日初冠雪となった富士山は、山頂付近にちょこんと雪を頂いていた。
何となく出るタイミングを逸して、結局終日家にいた。 テレビを眺めたり、本を読んだり、昼寝したり。 ある意味では最高の休日の過ごし方だろう。 T シャツだけでは寒い。
歩道に停められていたバイクの荷台にいたテッド。 賑わう夜の街を眺めていた。
昨日はパーカーの下に、大事に着ている森山大道の T シャツを着ていたので、当然こういう写真を撮るのだ ( 笑 )
この連休はあちこちでお祭りが開催されるのだろう。 我が家は名古屋・大須で開催されている「大須大道町人祭」に。 まァ、ブレてるし、ピンも外しているのだけど、つくづく僕はこういう小さいカメラが性に合っている、と感じる。 久しぶりに写真を撮るのが楽しかった一日。
「駄カメラ写真グループ展リターンズ」の作品提出が来月末。 まだ何も撮れてない。 プロアマ混合、決まりは 3000 円以下の中古フィルムカメラを使うこと。 前回も思ったのだけど、普通に写真展をするよりもハードルが高い。 ちょっと背中に嫌な汗をかいている。
そんなわけで現実逃避をするために、隣の安城市にある「丈山苑」を訪れた。 先日訪れた京都・一乗寺の「詩仙堂」を作った石川丈山は安城の生まれであった。 晩年を京都で過ごしたのだが、生誕地である安城にも唐様庭園・回遊式池泉庭園・蓬莱庭園を組み合わせた庭園を再現したものである。 一番下の写真は「詩仙堂」のものだが、なかなか雰囲気があるのではないだろうか。
って、もうあんまりのんびり構えてもいられないか ... ( 汗 )
今年もムラカミハルキはノーベル文学賞を取れなかったと聞く。 というか、何でこんなに毎年候補だ何だと騒ぎ立てるのだろう。 ムラカミハルキがノーベル文学賞を取ると、何かいいことでもあるのだろうか。 もう何だか子供の成績がいいからと自慢したがる親御さんのようだと思う。 ムラカミハルキが好きな人は、ムラカミハルキがノーベル文学賞を取ろうがどうしようが好きなのだと思うし、ましてやそれが作風に影響するタイプだとも思えない。 だいたい「ノーベル文学賞」ってのはいったい何なのだろう。 最初はそんなつもりじゃなく発明した ( ま、それを言い出せば原爆だって同じだ ) ダイナマイトが戦争利用され、それで思いきり儲けちゃったアルフレッド・ノーベルが「死の商人」なんて言われたのがショックで「ワシが死んだら財産は人類のために貢献した人を分配してくれろ」と罪滅ぼしのつもりで遺言を残したのがノーベル賞の始まり。 文学賞はノーベルが文学にも高い関心があり、他国の文学作品を翻訳することを趣味にしていたことから、遺言の中で「理想的な方向性の ( in an ideal direction )」文学を表彰の対象に含めた ( 出展:wikipedia ) としている。 日本人では川端康成と大江健三郎が受賞しているが、この「理想的な方向性」とは何だろう。 かつては三島由紀夫や谷崎潤一郎も候補に上がったのだと聞く。 この 4 人とムラカミハルキに同質な「理想的な方向性」があるのだろうか。 僕にはさっぱり分からないし、例えば本屋で本を選ぶ基準にはならない。
あえて「ムラカミハルキ」と書いているのは、高校生の頃夢中で読んだ「村上春樹」とは違う作家だと思うからである。 これは僕自身の問題で、僕が変容した結果の乖離かも知れない。 それでも僕の中で「ムラカミハルキ」は「村上春樹」ではない。 僕の中で「村上春樹」は鼠三部作で終わった。 「それ以上でもそれ以下でもない」 「やれやれ」 である。
蒲郡は風光明媚な土地であり昔からの観光地であるので、かなり使い果たしてしまった観光資源の残滓があちこちに点在する。 かなり遠くから見える弘法山頂に立つ子安弘法大師の像は、像自体は昭和の物だが、平安時代初期の大同年間 ( 806 年 - 810 年 )、弘法大師空海によって開かれたと伝えられる金剛寺のもので、こちらは近年ラバーズヒルという展望台が完成して、それなりに人も訪れるようだが、かつてこの弘法山からロープウェイで結ばれていた、この大秘苑あたりは、大秘苑閉鎖後は人影もなく昼なお不気味であった。
この大秘苑は B 級スポットとして人気のあったところで、詳細は動画を見ていただくとする。 閉鎖は 2014 年 9 月というから、その後 1 年が経過したことになる。 人寄り場に人がいなくなった跡は本当に薄気味悪い。 荒らされている様子はなかったが、こういったところは肝試しスポットとして不法侵入する輩が訪れたりするので、できれば再開を望みたいところである。
現像ムラの例。 ではない。 これは地縛霊の仕業なのだ ( 中岡俊哉 )
このような自販機も見かけなくなった。 今時はコンビニで買えるのである。 では購入時の、あの何とも言えない緊張感はどこに行くのか。 町内の薬局だと顔バレしているので、わざわざ隣町の薬局まで買いに行った、あの行動の原動力はどこに消えたというのか。 もしコンビニのレジにいるのがおっさんや兄ちゃんじゃなくて、妙齢のご婦人だったりした日には、購入者はどんな顔をするのか。 やっぱりヤンマガの下にこっそり忍ばせて精算したりするのか。 あるいはチョコレートとかの箱物のお菓子なんかと一緒に精算したりするのか。
というような話を妻としながらの散歩である。 初老の夫婦は、こういう話を散歩の途中でできるのである。
で、このラッパ状の花は何て言うの?
草薙の剣 - 呪術・呪物について語るスレまとめwiki - livedoor Wiki(ウィキ) http://wiki.livedoor.jp/spell_fetish/d/%C1%F0%C6%E5%A4%CE%B7%F5
荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、先の大戦末期に機密勅令によって全国の主だった寺社でルーズベルト米大統領調伏のための儀式修法が同時一斉に行われたんだよね。 その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。 熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、 天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、大宮司による機密御仕の主依とされたという。 草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも) が大学で同級でそいつから詳しく話を聞いたんだが、相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。 …で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。 これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、結果として神風だの本土決戦だのを本気で妄想する連中を増長させることになったのだけは確かだろう。 スレ違いは承知の上なんだけど(スマソ)リクエストが多かったので前回は敢えて伏せておいた部分について。 まず、草薙剣本体の材質について。 社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の『剣』の描写が残っているが、再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、あくまでも伝説があったが、六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。 つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、もとより剣としての実用に耐えぬ、あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。 そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。 社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。 喩えることのできるものがあるならば、国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでないことを示していたという。 (ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、自らの日記の中で、御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないか、との自説を記しているという。…なるほどね。) で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめそのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。 あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。 なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、存命中の方でその儀式に立ち会っていた数少ないお人だそうなので、当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、 との友人のことばでした。 …以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。
どう思われるだろう。 これについて熱田神宮の御神体である「草薙剣 ( 天叢雲剣 )」は臨界量に近いウランを含有している素材で出来ていて、この禰宜職が炭になったというのは、おそらく臨界ではなかったかと推理する説がある。 デーモン・コアでも知られるように、臨界質量を超えていなくても、ちょっとした衝撃で臨界となってしまうことがあるのだ。
草薙の剣 http://www.a-namo.com/ku_info/roman/kusanagi.htm
このご神体は、5尺(約1.5m )ばかりの木の箱に入っていて、木箱の中に石の箱があった。二つの箱の間には赤土がしっかり詰めてあった。さらに石の箱の中に樟の箱があって、その中にご神体が入っていた。そして石箱と樟の箱の間も同じように「赤土にてよくつつめり」となっていた。
臨界ギリギリのウランを含有している物質からできているからこその厳重さではないかというのだ。
文中に出てくる熱田神宮に近しい京大の同級生というのも特定ができるとしている。 名前を見たのだけど、結構スレスレの話なので、ここでは伏せておく。 それこそ信じる信じないはアナタ次第なのだけど、これを考えると、壇ノ浦の合戦で安徳天皇と海に沈んだと言われているのは、やはりコピーではなかったかと推測できる。
でもまァ、御神体は御神体であればいいのであって、その実際を知ることに大した意味はない。
寺の境内とか神社とかは遊び場。 どこの町内にもあるし、だいたいいつも住職さんとか禰宜さんとかがいて、親も安心だったのだろう。 もちろん野球とかはできなかったけれど、近所の友達と駄菓子屋に行った帰りには、だいたい神社の境内でメンコとかしていた。女の子たちはゴム跳び。 みんな知った顔ばかりで、まァ、一種のコミュニティだったと思う。
年をとると、どうしても「昔は良かった」的な書きようになって困る。 現実的に考えて、何十年も昔が現在よりもいいとは言えないだろう。 僕が子供のころはしょっちゅう光化学スモッグ警報なんてのが出てたし、駄菓子屋で売ってるお菓子は合成着色料の塊を食べているようなシロモノだった。
ただ、やっぱり人同士のつながりは、昔の方が多かった。 いいとか悪いとかではない。 今の生活を思うと仕事でする会話以外には、他人と会話することがほとんどない。 マンションだから余計かもしれないが、朝、家を出て近所のおばさんとかに挨拶をするとか、当たり前の、ごく普通の会話がない。 隣に住んでいる人の為人がわからないのは、実は本当に恐ろしいことなんじゃないかと思うのだ。
こうして境内に集まる人たちを見ていて、そんなことを考えていた。
熱田神宮である。 「尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭で歌われて以来、名古屋のシンボルは名古屋城になっているが、実は名古屋人の精神性はここに集結するのではないか、と思っている。 創建は景行天皇 43 年とされており、西暦に直すと 113 年になるが、正確にはわかっていない。 神話の時代の話なので、致し方ないのかも知れない。 三種の神器の一つである「草薙の剣」を祀っていることで知られる。
写真を説明すると、上から「本宮」「大楠」「清水社」「信長塀」、そして神宮の西側にある「誓願寺」である。 「本宮」については申し上げるまでもなく熱田さんにお参りするということは、ここを参るということである。 「大楠」は弘法大師お手植えとされる楠で白蛇が住むと言われている ( 実際、僕も一度見たことがある ) 「清水社」は平景清が目を患った際に、ここで目を清めたところ霊験あらたかであったことから目の神様として知られている。 ちなみに俗説ではあるが、この湧き水の真ん中にある石塔は楊貴妃の墓石 ( ! ) とも言われている。 これには
唐の第 6 代皇帝 ( 在位期間:712 年 ~ 756 年 ) である玄宗が日本を侵略しようとした。これを知った日本の神々は鳩首して対策を協議し、その結果熱田の大神が楊家に生まれて楊貴妃に変身することとなった。楊貴妃は首尾よく玄宗の心をとろかせて、日本侵攻を思いとどまらせた。しかし安禄山の乱が勃発し逃れる途中楊貴妃は殺された。楊貴妃はたちまち元の熱田大神に戻り、船に乗って尾州智多郡宇津美浦 ( うつみうら、現在の内海 ) に上陸、熱田神宮に帰還した。
という伝承が元になっていると思われる。 しかし石塔であれば加工の跡があるはずだが、この石はどう見ても自然石であるので、まァ、これは民間伝承の域は出ないのである。 「信長塀」は、その名の通り織田信長が桶狭間の戦い出陣の際、熱田神宮に願文を奏して大勝し、その御礼として奉納した瓦ぶきの塀である。
そして、正確には熱田神宮ではないのだけど、神宮の西側、国道 19 号を挟んだ場所にある「誓願寺」は、もしかしたらあまり周知ではないかも知れないが、源頼朝の生誕地である。 頼朝は 1147 年に源義朝の三男として現在の熱田区旗屋で生まれた。母は熱田大宮司の藤原季範の娘である。 日本史の中では、どちらかというとヒール役になっていることが多く、そのせいか、この地区でも郷土三英傑 ( 信長、秀吉、家康 ) ほど地元の英雄として取り上げられることがない。 その証拠に名古屋生まれ名古屋育ちの僕が、頼朝が名古屋で生まれた人であるのを知るのは、ずいぶん大人になってからである。 頼朝の父、義朝が死去したのも尾張の地 ( 知多の野間 )、頼朝が生まれたのも尾張の地という奇縁である。 鎌倉幕府を開いた源頼朝は尾張で生まれ,室町幕府を開いた足利尊氏は三河の守護の子として生を受けた。そして江戸幕府を開いた徳川家康は、岡崎城主の子。史上の三つの幕府はすべて愛知県と深いかかわりをもって創設されたことになる。
こうして見ると、我がホームタウンは歴史的な見所満載の場所になる。
この写真は、この女のコの表情に尽きるのである。 金魚すくいの子供達を撮影しようとは思っていたが、この瞬間に出会うのは想像もつかない偶然なのである。 写真はそこにいなければ撮れないものであって ( 遠隔操作とかは含めない ) 、カメラマンに必要な才能は、まず、そこにカメラを持っていることだろうと思っている。 そういう意味では、その意を得ている一枚なのかも知れない。
昨晩は現像しているのを忘れて晩ご飯作りにかかってしまったので 3 時間以上もタンクを放置してしまった。 それじゃ、コントラストが上がりまくって何とも仕様のないことになるのでは、と想像するが、豈図らんやご覧のとおりである。 もともと ISO100 のフィルムを ISO400 に増感しているので、多少荒れているのは当然として、思ったほど悲惨なことにはなっていない。 これが R09 の不思議なところで、100:1 の希釈率で静止現像を行うなら、本当に時間や温度にナーバスになる必要がない。
と、まァ、ここまでは良かったのだけど、さてフィルムをスキャンしようとなって、パソコンのスキャナードライバを立ち上げようとしたらエラーが出る。 嫌な予感。 前回は普通にスキャンできたので、それ以降パソコン周りで変わったことといえば、これはもう OS を El Capitan にしたことだけだ。 つまりドライバが OS に対応していない、ということ。 エプソンの HP でドライバのヴァージョンを確認しても、やはり 10.11 用のものはまだない。
そうなるとアプリのイメージキャプチャを使ってスキャナーを直接動かすのだけど、補正の類がほとんど使えないし、一つ一つをスキャンするしかないので時間も手間もめちゃくちゃかかる。 しかもプレビュー画像が小さいので思ったようにスキャンできずイライラが募る。 何とか早く対応していただきたいと、エプソンさんには切にお願いする。
って、せっかくいい写真だと思うのに、こういう時に限って写真の話をしないんだよな ( 笑 )