すこしまえの話
現在、転職をして早何ヵ月か。
ただ前の仕事は好きだったし人間関係もよかったし、会社からの評価もわりかしよかったから、そこまでの不満をかかえてはいなかったけれど、転職を決意した。
昨年、親が倒れた。脳梗塞らしかった。手の痺れで病院にいってくれて、早期発見より少し遅いくらいだろうか、自分の足で入院しにいったくらいだった。ただ、親元を離れていたから連絡を受けたあと速攻帰らせてもらい、汽車に飛び乗った。いまは記憶にもないが、泣いていたかもしれない。
次の日、車イスに乗った親と面会して、言葉がでなかった。死ななくてよかったよ、とそれくらいだった。病院にいれば悪化しないと勝手に思っていたが、そうではないらしかった。ただこの状態で入院になっている時点でよかったのかもしれない。
そこから、毎週末、汽車で片道3時間弱を往復し、親の面倒をみていた。冬に倒れ、春には退院になった。
夏の終わり、また親が入院した。次はガンだった。咳が止まらないということと、血痰がでるというかとで、レントゲンをとったところ、肺が白くなっているから、大きな病院へ。度重なる検査を経て、肺がんと診断された。ステージ3B。いまだにどれくらい重いのかわからなかったけれど、診断を受ける際に一緒に聞いていたから、息が詰まったことは覚えている。
秋から入退院を繰り返して、抗がん剤と、放射線治療をおこない、三回目で改善がみられた。それが終わったのは冬だった。もうその頃には、平日は地方で仕事をし、週末は実家へ帰り、親の面倒をみたりする生活が定着していた。
僕の兄弟たちは薄情なのか、知らないけれども、死ぬかもしれないという現実を突きつけられてでさえも、看病をするという頭はなかったらしい。当時の僕より近くにすんでいたのにね。
僕の生活に限界がきたときがあった。車だと駐車場もなく、周辺に借りても高いから、汽車で帰ることがほとんどだった。冬ということもあり、僕のすむ地方からだと峠を越えなくてはならないし。
いつものように金曜日の夜、汽車に乗るのに駅へ向かう道、涙が止まらなくなった。何をしているんだ自分は、という思いと、このまま親は死んでしまうのかという恐怖と、自分自身の生活が蔑ろになっている現実を。僕はいつのまにかキャパオーバーになっていた。
転職を決めるのは早かった。転職サイトへ登録し、適当なエージェントと連絡してどこがいい、面接できる日が少ない、対策はどう、たぶん僕は本気ではやっていなかったが、いままでの仕事を話すと面接は通った。いままで頑張っていたんだなと少しだけ勇気が湧いた。
現在は親元の近くで、とはいえ一緒には暮らす勇気はなかったが、生活をしている。週末になれば、出掛けたり、ごはんをつくったり、下らない話をして…、本当に去年病気してたんか?っていうくらいには回復してくれたと思う。
僕の生活はどうだろうか?
新しい職場に新しい生活。人間関係も、職業も職種も新たにしてしまった。
どこだかの占い師は今年は大人しくしておけという運勢らしい。そんなの考えてられないよな。
ただ、僕はここで生活をして、親を見守り続けていくんだろうと思う。お世話になったから、迷惑をかけたから、足枷もかけたかもしれない。
これからは、損をしない生活を、生きていてよかったと思えるように、半世紀生きたあの人が新しい体験ができるように、手助けできるといいなと思う。











