蕎麦アレルギーというのがあって、蕎麦粉で呼吸困難になったりする人がいる。
どのくらいの割合で蕎麦アレルギーの人がいるのかわからないが、軽度の人も含めれば、それなりに居そうな感覚がある。
部屋でお蕎麦をすすりながら蕎麦アレルギーの人のことを考える。
連日蕎麦を食べているから、蕎麦アレルギーの人をこの家に招くのは危険ではないか、と思い至る。
私の手の、指先に蕎麦粉がついているかも知れず、その手で何もかもを触っている。(一応洗ってはいるケド)
キッチンには蕎麦を茹でた鍋があり、その中の蕎麦成分を含んだお湯からは、モクモクと湯煙が上がっている。
蕎麦を食べた私がしゃべるだけで蕎麦成分を広げている可能性もあるし、
蕎麦をすするときに麺つゆがちょっぴりどこかへ飛んでいるかも、服とか。
今、蕎麦アレルギーの人とハグでもしたら、苦しめてしまうかも。
当然、蕎麦アレルギーの人にもそれぞれ程度があり、そんな程度では何も起きない人もいるだろう。一方で、蕎麦屋に一歩入ったら喉がイガイガするとか、そういう人もいるだろう。
蕎麦アレルギーの存在は知っているから気をつけられはする。でも、結局人それぞれだから怖い。部屋に呼ぶのは怖いし、蕎麦を食べた後にハグするのも怖い。
「差別的な忌避感」 につながってしまうのかも知れない。
友人に蕎麦アレルギーの人がいたら、その人に合わせて対処するだけである。
そもそも会う前には蕎麦を食べないとかするだろう。部屋に呼ぶ一週間前くらいからは、蕎麦禁するかも知れない。
でも、やっぱりよく知らない人の蕎麦アレルギーは怖い。すれ違うだけの人にそこまで気をつけられないかも知れない。仕事で会う人とか。
しかし、これが、蕎麦アレルギーじゃなかったらどうだろう?
アレルギーじゃなく、気を遣わなければならない症状を持つ人だったら?
なんらかの障害とか、あるいは妊婦さんとか、病気や、なんらかの事情のある人などだ。
「未知への恐怖」 と 「差別的な忌避感」 は、ずっとついてまわるだろう。
本来は、誰にも油断できない日々が、続いているのだ。ほとんど全員が警戒対象だ。
それが二極化したり、見えやすい、想像しやすい時には、「避けられるのも仕方がない(差別も多少は仕方がない)」 と言われてしまったりするのかもしれない。
だからこそ、もし蕎麦アレルギーの人と出会ったら、私は 「気をつける」 し、 「避けない」 でいたいと思う。
他のアレルギーや、他の様々な 「自分と違う症状のある人」 についても
だって全員だもん。全員違うに決まっている。皆蕎麦アレルギーの人と一緒だもん。
私とは違う。お互いに気をつけ合う。お互いに負担のないようにする。お互いに嫌い合わないようにする。
麺つゆを蕎麦湯で割り、お茶みたいに飲みながら思う。
私は 相手のやむを得ない事情 で 相手を決めつけたり 嫌悪したりしない。
そうして私の、もっと別な基準で好き嫌いを決めるのだ。雰囲気とかで勝手に決める。