2026年の桜🌸
h
art blog(derogatory)
No title available
Interview Vampire Daily
RMH
No title available
$LAYYYTER
Noah Kahan
The Stonewall Inn
KIROKAZE

❣ Chile in a Photography ❣

ellievsbear
The Bowery Presents

No title available

blake kathryn
untitled
Doug Jones
occasionally subtle

gracie abrams

bliss lane
seen from Vietnam
seen from United States

seen from Iceland
seen from United States
seen from United States
seen from United States

seen from United States

seen from Croatia
seen from United States

seen from United States

seen from Canada

seen from Türkiye
seen from United States

seen from Germany
seen from Germany
seen from United States
seen from United States
seen from Sweden

seen from United States
seen from United States
@eririchan
2026年の桜🌸
Depth recognizes depth and honors it. Surround yourself with those who expand you. Aleksandra Alba IG: tanzdreamer 🜍 ⟡ ⟢
Sukita Masayoshi 鋤田 正義
David Bowie on a train in Japan - 1980
クリスマスに、少し毒を。
毎年聴いているクリスマス・ソングというものがある。
THE BACK HORNの「羽根~夜空を越えて」
この楽曲に関してはメロディラインが決して奇を衒っていないのです。
健康的とされ、希望や愛を歌う健全なJ-POPとなんら違いのないようなメロディラインなのです。
ゆっくりとイルミネーションのあるクリスマスの夜道が浮かぶような情景で
ですが、突如怖い歌詞の一節が現れるのです。
コロナ禍の時、THE BACK HORNが過去のライブ映像を配信していましたがその一節をファンの皆が騒ぎ盛り上げるあの感じも思い出しながら。
クリぼっちという言葉もありますがそうじゃないのです。貴方と言う言葉が浮かぶ以上、きっと恋人同士。
でも愛も崩壊し、死の影が迫るあの歌詞
街はいつも通りクリスソングが流れ世の中が流れていく。
そんな曲を一通り聴いたら、血生臭く生きる力を見出していく「赤眼の路上」 が次曲で流れるのもまた良い。
Tumblrを始めてから12周年を迎えました 🥳
Marshmello - Shockwave
反省点を見いだせるかどうか
2019年にモデルデビューをした吉井添君がInstagramのstory機能から投稿した歌手のあの人の人格を重ねるような解釈をしたり外見の親子としての似た容姿を「遺伝子」と呪いのように言い続けないで欲しい事を伝えていた。以前、マネージャーが管理するようになるまで更新していたTwitterでも似たような事を投稿していた。
インスタライブを不定期に彼は配信しているのだけど、それに関しての事で不躾な質問が確かに多いと思っていた。
遺伝子がどうのこうのとも言われたりもあるけれど、お父さんとは会っているの?とかとにかく吉井さん(吉井和哉)絡みの質問が多いのだけど度が過ぎるとしつこいし、掲載雑誌やウェブのインタビューの時とはこれは違うんだよと思ってしまう。少なくとも自分は絶対そのような事を避けなくてはいけないなと思ってしまう。
また別物としてそれぞれ好きでいてくれませんか?というのも無理もなく、ただあまりの衝撃を感じたのも事実でそこは反省点として心の隅に置かないといけない。
最近、思うことだけど相手がやめて欲しいと表明していることに対して説教を交えて加害行為を正当化するようなコメントをするような人がびっくりするほど居るのが非常に嫌な世の中を見てしまった気分になる。
ネットニュースや掲示板のコメントを見ると、そう言っても吉井和哉の息子として話題になったのは事実でしょ?のような感じの(もっと酷いのもあるけどあえて反芻させるように書くのも違うと思うので書かないけど)
いや、それは事実としてもいちいち彼ら親子の関係性を問うコメントの無礼さを正当化するのも違うだろう。また答えない自由・拒否する事実もあるのは確かだろう。
二次元のイメージのような幻想を抱いたところで口を開けば生身の人間であることは一般人でも確かなのだから。
コメントを投げかけた人から見る反省点を少し考えてしまったのである。
「時」という名の空気・そしてTHE YELLOW MONKEYと小沢健二
CDがよく売れた時代の90年代だとか流行りの楽曲が多く誕生した黄金期とかよく言うけど、音楽というのは常に時代に反映して作られるものが必ずあって、私はオザケンをふと聴きたくなっては聴く度に感じた事をオザケンファンに告げた言葉は「オザケンは酸化しない存在」と言った。酸化しないと言う言い分に納得を何故かしていたけど、時代に反映した故か「時の流れ」という空気に触れ続けたかのようにもう今聴くと違うなぁとかもう聴けないかもと思うアレンジの楽曲に出会うことがある。不思議とオザケンにはそれを感じないのである。渋谷系の王子と言われたことを知り、意識するかしないかを関係なく。
また、THE YELLOW MONKEYにも同じような感覚を抱いている。彼らを熟成とかワインのようと例えている音楽ライターが居たけどワインは空気に触れて途中で酸化してしまったらきっとお酢のように飲めなくなってしまう。ならば、現在の活動をヴィンテージだとか熟成ワインならかつてのバンド時代はワインを仕込んだ所なのかはよく分からないが、黄金期にちなんでオザケンもTHE YELLOW MONKEYも過酷な楽曲制作時間を割いてきたとは思うけど流行りのアレンジとかに過剰に乗らなかったような側面故なのか鮮度とはまた違った輪郭を保った存在なのである(自分にとって)
吉井さんの自伝はデビュー時の結婚や当時明るみに出なかった子供の話やらに気を取られがちになるけれど、楽曲制作背景の事をしっかりと語られてきてヒット作をどう作っていこうか悩む姿も記されているがちょうど渋谷系台頭の存在を意識する姿には少し驚いた。
俺は渋谷系だ!エレクトロニカだ!とかちょっと無理があるだろという事を考える姿はちょっと滑稽さと切実さが組み込まれている。当時知り合ったであろうオシャレ女子とはって思うのでtofubeatsの「STAKEHOLDER」冒頭のMVシーンでも一発お見舞いされてようやくシティポップとエレクトロなり成り立つだろう。だから無理があるぞ。なーんて思いながら聴く「Love Communication」はいつでも妙なテンションだ。雨宮まみさんはどうやら「熱帯夜」のMVに度肝を抜かれたそうだ。
そんな2曲が収録されている「smile」は特別な存在のアルバムになりそうだ。
強いて言うなら産業廃棄物という批判や割られたディスクが送られてくるとか古参エロゲメーカーのヒロインにショック受けて暴走したオタクかよというエピソードだけが当時ならではの熱量だなといったところで。
ロックの純度が高いバンドサウンドはいつ聴いても酸化しない。ずっと聴いていられる。
ずっと?
この先の見えない世の中で
ずっとなんて言葉が出てしまっていた。
いつ死ぬかわからないと散々思ってきたのにも関わらず。
酸化しない存在の音楽は私に“矛盾という名の希望 ”を与えているのだ。
【 読書感想】失われた愛を求めて 吉井和哉 自伝
※2007年12月25日初版(ロッキング・オン)
ミュージシャン吉井和哉の自伝を読んだ。厳密には再読である。(初めて読んだ年からかなりの月日が流れての感想でもある。)
この本を読もうと思ったきっかけは2009年~2011年付近にTHE YELLOW MONKEYを改めてふと聴きたくなり、聴き始めたりしながら少しずつソロとなった吉井さんの姿をメディアで見る時に、バンド時代にはない姿が印象に残ったからだ。
当時のバンド時代には無い光景があって、それは吉井さんよりも下の年代のバンド達とライブイベントでセッションしたりそのバンド達がトリビュートアルバムに参加してたりで、その参加しているアーティスト達の中には自分が通ってきた重要な存在のTHE BACK HORNやMUCCに9mm Parabellum Bullet、吉井さんと年代が近い奥田民生やラッパーとして評価しているKREVAや志村正彦在籍時のフジファブリックと馴染みのあるラインナップがずらりと並んでいてこれだけ自分が通った音楽遍歴に影響を与えたんだとか、改めてみるとやっぱりカッコイイなぁって思ったり、そのカッコイイの形にも色々あるけれど中でも年上男性的なカッコ良さみたいなのを自分の中で抱いてたりしたんだなーと、そしてすっかり音楽業界の先輩的立ち位置となった吉井和哉像を振り返るのにこの本は読んでみたいと思ったのがきっかけのひとつだ。
幼少期から始まって語り始めるけどそこには自分が生きた世代とかを分かりやすくインタビュー形式で語っているものでソニーマガジンズの「14歳」シリーズと少し似ていてあれは吉井さんがソロで活動する時に在籍したEMIからデビューしたART-SCHOOLの木下理樹(Vo/gt)の青春期を知りたくて読んだのがきっかけだったけどこちらのインタビューはもっと量が膨大なのは言うまでもない。そしてインタビューアーは渋谷陽一(ロッキング・オン)とこれまた何かの縁なのか?と思いながら読み進めてやはり最初に読んだ時にも感じた事だけど、もっとカッコつけても様になったはずだよね?と言った感じだ。ルックスも良く他のメディアでも多少スカした態度とっててもカッコ良さは損なわれないんじゃない?なんて思ったりもしたけどそうじゃないんだよなーそういう事をしない人なんだ。って思う箇所がいくつもあって、なんかそういう所がいいなぁと思ったり。
東京の北区出身で旅芸人の父親を持つというエピソードも蜜色の手紙にも書いてあったけど、その時は読んだことが無かったから初めて知って6歳の時に死別、母親の故郷の静岡で過ごす日々が記されているけどここで東京で過ごした子が静岡はちょっと馴染みにくいよなーとか思いながら普段からふと自分もずっと同じ土地にいるわけじゃなくて引越しを経験している事や吉井さんがおばあちゃん子だった事を読み進めていくうちに知って自分があまり思い出さない記憶が蘇ってきたり昔住んでいた場所に行くのは墓参りみたいなものとは上手いこと言うなぁと感心したり自分も極たまに行くことがあるなぁと考えてそんな感覚でこれからも足を運んでみるかと思ったり。静岡だけあってちびまる子ちゃんにでてきたたまご麺のエピソードとかもあったり
そして想像もしなかった元デブエピソードから上京、そして結婚と初耳エピソードが次から次へ(ベタだけど、えー?結婚してたの?ですよ。ほんと)
ドラムはやりたくないから痩せたとか母親へこの人はさげまん!と不穏な感覚を抱き置き手紙をして家出同然の上京、ベースのヒーセ(廣瀬洋一)との出会い、前身バンドをそれぞれ経てバンドを結成するにあたって最初に加入したメンバーと親密になり最後に入ったメンバーで安定するというジンクスをなぞる様なエピソードに、
渋谷La.mamaでライブデビューを果たす時にはオーケン(大槻ケンヂ)なら武勇伝にでもしそうな遊び人と化す有り様の中の恋愛観なんかを垣間見たりして自分の音楽とかを理解してくれる女の子がいいとかそんな事を話していて分からなくもないかなー?なんて考えたり。吉井さんがボーカリストへなっていく過程から語られる恋愛観に妙な熱さを感じてしまったり。それは彼らのファンでもあった雨宮まみさんの連載コラム「穴の底でお待ちしています」(書籍は「まじめに生きるって損ですか?」ポット出版)にも記載していた、完璧な妻として毎日生きてるのに愛されないと言う女性にたいしての回答で、“ 「弱さ」や「正しくなさ」を受け入れて、共有できる関係も、いいものではないでしょうか。ひとつの可能性として、そうしたことを少しだけ考えてみてください。「正しいから必ずしも愛されるわけではない」は、「正しくなくても、弱くても、愛される資格はある」と同義です。”
と書いてある事がものすごく印象的で、Twitterでも正論大喜利大会みたいですよねと、彼女は言うわけです。私自身も感じていて例えば、“ 自分を好きにならないと人を愛せない”だとか“ パートナーにするなら精神的に安定した人がいい”なんて発言をした人が炎上したり、“ 自己評価が低い人は他人を傷付ける”なんて発言を見て傷ついた人を見たり、“ 自己肯定感”を持とうとかもうそんなことばっかりじゃないかと食傷気味になってしまったりで、そんな中で吉井さんが出会う女の子達はそんな世間が見る正しさとかとかそんなものからは一線を置いて惹かれあったんだなとか、後のデビュー前に渋谷La.mamaでライブをする際に衣装を縫ってくれている人と結婚する出会いにしても。心が多少不安定な女の子達がいてもただ好きだったらとシンプルな感じで接しているようにも感じてそこがなんだか好きだなと。もちろん痛々しいエピソードも沢山あるんだけど。
幼少期の話に戻るけど吉井さんには兄弟も居ないし父親も居ない、母親は父親の役もやらないといけない、愛情に飢えてしまう中でクリームシチューのCMにそんな家庭あるわけないじゃん!となってしまうところに知らず知らずに理想の家庭や“ 普通の家庭”とか実態のないものが世間には溢れているよなと改めて考えたりもしました。なんだよ。普通の家庭って。
吉井さんは長く音楽活動を続けるだけの才能を持っている人でありながら喪失感や喪失体験が垣間見えたりして6歳の時父親は26歳だったと語っていたけどそれぐらいの年齢の時にメジャーデビューを果たして結婚(鮎川さんとシーナ並に漫画?ドラマ?となる出会いだと思った)
と喪失体験から突き動かされていく姿にはゾクゾクとするものがあった。
自分を抑えてた部分が外見の変化と共にエゴが出てきたり時には嫌な奴になってしまってもギラギラとした表情と共に突き動かされていく姿は戸田恵梨香が演じた朝ドラこと連続テレビ小説「スカーレット」(2019年度後期NHK大阪制作)のヒロインである川原喜美子のようだと思った。スカーレットは成功と喪失の物語であり、スカーレットは緋色を意味する。赤く燃える炎を物語の中では象徴し続けた。時に脆くそれでも自分のやりたいことの為に突き進みギラギラとした表情で燃えたぎる炎の中に薪を放り込む姿と重ねて、え!マジで喜美子だわ…なんてあんまり多くの人が思わない事かもしれないけど私の中ではそんな感じだ。
またデビュー前のライブの客層や年齢層の話が出てきた時の言葉のチョイスがまた独特だなーと。
“ 年上の女の子”ってなんだかくるりの歌に出てきそうだなって思ったり。言い換えたら大人になってからもずっと良さを感じれる音楽を鳴らし続けているんだなと。流行とかブームに惑わされずに
そして吉井さんに対して本書を通じて思ったのが責任感の強さだ。
やるからには売れたい。売れないと妻子を養えないしと葛藤したり、113本という驚異的な本数のPUNCH DRUNKARDツアーを途中で辞めるわけにいかないという思いから完走したり、結婚の際も奥さんの元恋人がランチの女王(竹内結子主演ドラマ)にでてきた森田剛が演じたようなストーカー化したややこしい男から逃げてきた時も途中で投げ出す事はしないでこの子は助けなきゃと思ったり、子供の事は常に考え続ける姿には救いになったという読者の気持ちに納得した。
よく彼は人間臭いと評される事があるが、人間臭いというのはめちゃくちゃな行動を取ることよりも体裁や責任を取る行動の中にあると思う。
吉井さんはロックスターとしてカッコイイ姿でありたいと思いながらも父親の顔を持ち、奥さんと衝突しながらも愛し愛される姿も一つの愛の形がそこにあると思いました。
また本書に出てくる数々の洋楽アーティストの名前もすっかり幾らか分かるようになり(デビッド・ボウイ、ナインチ・ネイルズ、ルー・リードにカート・コバーンetc)吉井さんが獲得したかったロックファンに自分もなれたらいいなと改めて思いました。
B’zの「Crazy Rendezvous」(「IN THE LIFE」収録)の歌詞に出てくる“ マーヴィンゲイじゃないエアロのビッグサウンド”のマーヴィン・ゲイってこれか!と思ったり
終盤になり偶然なのか意図的なのか分からないけどバンド休止→山梨への引越し→解散→ソロへと行き詰まる描写からまたもや責任感との葛藤の日々、奥さんとの関係にヒリヒリとした気持ちにもなりながらも父親の顔を無くしてはいけないと、スカーレットのテーマにもなった繋いだ手を離さいでいれるかという感じになる中、バンドが東京ドーム公演を経て活動休止した年に4人目の子供で奥さんが欲しがっていた息子が誕生して吉井さんは自身が長男であり、跡取りのような存在と感じたことを息子に幾らか思うようになってその息子の年齢が6歳で本書は締めくくっている。それは吉井さんが父親との記憶を辿る歳でもある。息子と対峙して跡取りが出来たという感覚を持ち、初めてこの本を初めて読んだ時には想像もしなかった18歳でバンドをやる為に上京した吉井さんのように18歳でモデルという形で表現者となった息子・吉井添がデビューして知名度を高めていく様を。
2020/10/28
“とはいえ最近思うのは 近ごろ耳にするJ-POPの歌詞は 日増しに直接的になっているなということ この現状を世の音楽評論家の皆さんや 音楽業界人の皆さんはこぞって 「わかりやすさの時代」だとか 「共感の時代」と呼んでいるけれど そういう簡単なことではなくて 現場でずっと歌詞を書き続けている 僕の意見としては 今の時代に音楽を聴く人は 音楽を娯楽や趣味ではなく 薬だと思っている人の方が多くて その効き目を強く求めている時代なんだ ということではないかなと思います 聴き手が傷心や挫折や失恋や失望や そういう普段の暮らしで生じた困難に よりよく「効く」薬を求めている ということではないかと思うのです でも音楽にお医者さんはいないから 誰かが症状に応じた適切な処方箋を 出してくれる訳ではないので 自分で「薬」を探さなければいけない そうなったとき、どうせお金を払うなら より強い薬を、効く薬を、となるのが 人の心理というもので、それゆえに 「会いたい」とか「一歩踏み出そう」とか 「自分を信じて」とか「勇気を」とか もはや表現における劇薬というか とにかく率直で単刀直入でわかりやすくて 身も蓋も侘び寂びもほとんどない 直接的な歌詞が重宝されるように なってくるのではとすこし思ったのです 音楽はいつの間にか くさかんむりがついて 音薬になってしまいました ということなのではないかと ただの風邪だろうが何でもかんでも すぐにタミフルを飲むような音楽ばかりの時代 でもただの風邪はただの風邪薬で治すのが 本当は心にも体にも健康的なことだと思うし もっと言えばプラシーボで治せたら 一番幸せなことなのかもしれないと思います そういう「まやかし」みたいな部分も 音楽ならではの魅力のひとつだと 僕は内心で思っているのですがどうでしょう”
— いしわたり淳治(ex.SUPERCAR)オフィシャルブログ・KIHON THE BASIC: くさかんむり (via mu-ko) (via railroad23) (via nobitzky) (via 4hey4hey) (via nemoi) (via rosarosa) (via gkojax) (via oosawatechnica) (via jinakanishi) (via wrigley) 2010-02-25 (via gkojay) (via yasunao-over100notes) (via yasunao-over100notes)
“こんだけ情報が氾濫してると知らないと損をする機会より知る事により踊らされて無駄なコスト払う機会のが多い”
— Twitter / @legnum (via rpm99)
未成年は何処にいる?
自分自身が聴く音楽の特徴として挙げてみたら歌詞の内容に未成年が主体になるものが少ない気がする。
例えば、メンバーにリーダー以外が全員未成年だった頃にCD制作を専門学校で作成したTHE BACK HORNの「何処へ行く」に大々的に出てくるかと言ったらそうでもなく、メンバー全員が成人した頃に発表された3rdアルバムである「イキルサイノウ」でようやく「ジョーカー」で未成年の主人公が登場したけど、その主人公は将来のやりたいことなんてないから夢は大学生と答えたり、自分の家庭環境を学芸会のように滑稽なものと捉え鬱屈し、しまいには自分より格下とみなす相手を見つけて傘で強く叩いてしまうという完全なる“ 加害者側の人間”に成り果ててしまう様子がひたすら描かれている。
そんな主人公に何かメッセージを残す大人は何処にも現れない。
優しい言葉も厳しい言葉も何一つかけられない。
残るのは鬱屈する主人公の姿だけ。
他にB’zを聴いていても未成年が主体的に出てこないと思っていて出てきたとして7枚目のオリジナルアルバムの「the 7th blues」で「未成年」と出てくるが、“ 大人たち”から線引きされて壁をまだ超えられない主人公の姿が強調されるだけで常に未成年のキッズたちに向けたメッセージなんてものは大々的には見当たらない気がする。
それに関して思うのは、よく昔から“ 世代”と呼ばれるものとか10代で出会った音楽を聴き続けるとか趣向形成とか言われがちだったりそれらを振り返る時に「〇〇は青春」とかよく言ったりするけど、別に青春真っ只中なものとか自分が聴いてる音楽の歌詞には殆ど出てこないと思っていたけど、それがむしろいいなとか思っている。
青春真っ只中のキッズ達へこんなメッセージを届けていますと言ったニュアンスの歌詞が立て続けに出来上がってしまう様子は最早、青春という鮮度が高く煌びやかなものではなく、空気に触れた途端に酸化して錆がこぼれ落ちるような“ 手垢まみれの説教”がそこには羅列されてしまうような気持ちにさせられるからだ。
tofubeats - Sousei 2012
(ドッキリでした〜!尾形春水|モーニング娘。‘15 12期オフィシャルブログ Powered by Amebaから)
鞘師里保 tofubeats 尾形春水
TOFUBEATS - Plastic Love (Mariya Takeuchi cover) (2019)