Gazioについて
夜のGazio。天井は暗い海面。黒い潮に白い波が立つ幾何学の海面。その海面を天と仰ぐ海の底に、暖かい金属質の光を放つアルミニウムのテーブルが静かに並んでいる。 このテーブルは、この幾何学の海の底に行き交う人の過ごす時間を記憶する。 どうやって? そう、劣化することによって。 万物流転の定めの下に、このテーブルの表面に張られたアルミニウムも、いつかその姿形を解消するだろう。 とは言え、人類が生き長らえる時間をはるかに超えて、摩滅したその微細な欠片、あるいは粒子は、この場所での記憶をその形態自体に記憶する。そのように世界はあなたを記憶している。 年を重ねるあなたが世界を、このテーブルが存在する空間を身体の物質的な変化として記憶するように
すべて異例のスタートだった。 東京ではなく、つくば。大通りに面しているとはいえ、「それ」は到底繁華とは言えぬ場所にある。 つくば。湿地にコンクリートを流し込んで急造されたこの町は、21世紀の今となっても夜は暗い。回転する開店セレモニーCycle-Zの五日間、つくばの暗闇に、人が列をなす。それはわずかな灯火を求めてやってきた巡礼の列にも似て。 そしてセレモニーの間、店長が一度も言葉を発しない。開店の上機嫌など微塵もなく、笑みが時々顔に浮かぶが、緊張がにじむ。 アマチュアであることの公言。メニューの変化をいとわない。ビーガン、ベジタリアン対応メニュー、発掘ビデオの公開、今敏展、カレーイベント、ミニライブ、文化祭、お料理イベント(覆面)、新譜発表会、ライブパブリックビューイング、新楽器スプートニク……ここは何屋だ? そういう問いは無意味である。 ここは、消費するためだけの商品や消費されるためだけのサービスを売る店ではないから。 しかし、この場所でも、金銭に媒介してもらってはいるけれど、今となっては珍しくなってしまった、何かが交換されているのである。 ここではいろいろなことを考える。 ここは「場」である。 ここは「街角」である。 ここは「土管がおかれた空き地」である。 ここは「路傍に張られた露店」である。 ここは「秘密基地」である。 ここは「どこかとどこかを結ぶ産道」である。 ここは、どこにもなりうる場、あなたがつくる場、である。 今日はイベントの日である。 異例の誕生から一年。 裏で煙草を吸っていたら、花のプリントがあしらわれた、素敵に明るいクリーム色のワンピースを着た、白い髪の、美しくお年を召した女の方が、北の方から歩いて来た。 私の所で進路を曲げ、その方は、Gazioの裏口へ向かう。そこには、看板があって、「本日はご予約の方のみの入店となっております」とかなんとか。 その方は、腰をかがめて、じいっと、その緑色の文字を見つめる。 そして、「ああ、そう!」と、曇天に晴れをもたらすような声で軽やかな感嘆の声をあげられた。 ふり向いた色白の顔に、ほがらかな紅が印象的だった。 そうして、そのお方は、南へと優雅に歩を進めたのである。 こういう場所って素敵じゃないか。 世界のあちらこちらで同時に見出された、素晴らしい音楽の更地、ニューウェイブ。そこには何を持ち込んでも良く、新しいなにものも生まれて良い。だとすれば、Gazioは「今・ここ」に、私たちのために用意された、素晴らしい更地ではないのか。 今、その、更地を準備なさった方がワイヤレスマイク片手に長い挨拶をされた。一言も発しなかったあの方が……「うるうる」というのは、すてきな言葉である。 さて。 幾何学の海の底。そこではアルミニウムのテーブルが、柔らかな光を放ちながら、あなたと水の循環を見守っている。そして全てを記録してゆく。それは劣化と呼ばれるかもしれない。 しかし、それは「次」のための変化である。 絶え間無く始まり続ける、未来のための循環。 循環にはおわりがない。
2014.05.25@GAZIO 2016.09.25@Air-Gazio














