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脚本家だか評論家だかの人が、生前の淀川長治さんに、一年で見た映画の本数自慢したら、淀長さんは「見た本数は問題ではない。何度も見返すべき作品というものがあって、それを見つけるために本数見る必要があるのだ」と説いたらしいのだけど、これは様々なジャンルの趣味に当てはまることだと思う
highlandさんのツイート (via over-sleep)
ハチに襲われると、ガンダムとかでモビルスーツに密着された戦艦の気分が良く分かる。 アニメ見てると、そんな雑魚モビルスーツさっさと叩き落せよwって思うけど。 実際は「うわっぁぁぁぁぁぁぁああっぁぁぁ、来るなあぁぁあっぁぁあぁぁ!!!」って感じになってるんだろうな。 小型、高機動で一撃の火力のあるモビルスーツって本当に怖いんだな。
モビルスーツに密着された戦艦の気分が良く分かる。:アルファルファモザイク (via kazukij) (via jinakanishi) 2009-09-02 (via gkojay) (via kashiyukalove) (via gkojax) (via rosarosa-over100notes) (via nwashy) (via nagamine7) (via tra249) (via juspan) (via tra249) (via flashno1) (via bucket) (via orehmi)
何か―――例えば「自転車」について調べるとしよう。わたしなら、辞書から意味を汲み、イメージされる分野を調べ始める。たとえば、「自転車の仕組み」や「自転車の歴史」といったテーマから始める。だが、読書猿さんは違う。調べたい「何か」について、図書館の十進分類表に放り込み、そこから照射しはじめるのだ。つまりこうだ。 自転車の総記(00) 自転車の哲学(10) 自転車の歴史(20) 自転車の社会科学(30) 自転車の自然科学(40) 自転車の技術・工学(50) 自転車の産業(60) 自転車の芸術・美術(70) 自転車の言語(80) 自転車の文学(90) 十進分類表は、いわば、知りたいことへの「知り方」を分類したものだ。言い換えるなら、人類の知を分類したものだから、そこには必ず自転車について知りたいことへの道筋が存在する。読書猿さんの頭の中に、この十進分類表が入っており、そこから抽象度を徐々に下げてゆく。 たとえば、文学(90)>英米文学(930)>小説(933)と行くと、きっとそこに「自転車」に言及した小説が見つかるだろう。あるいは、産業(60)>運輸・交通(680)>交通政策(681)と絞っていくと、間違いなく「自転車」に関する行政施策が見つかるだろう。重要なのは、数字の左に行くほど抽象度が上がり、右に行く抽象度が下がり具体性が増すところ。この抽象度を上げ下げを駆使することで、「自転車」を文学からも行政からも絵画からも調べることができる。 そして、図書館に行くと、この抽象度の並び順に並んでいるのだ。十進表の通りに並んでいるのは知っている。でないとどこで何を知ることができるか分からなくなるから。重要なのは、抽象度の並びで書棚が構成されているのだ。だから、実際に図書館の書棚で、左へ目を向けると、より抽象度の高い本が見つかり、右を見ると、より具体性のある本が出てくる。何年も図書館に通い、何度も見てはいたものの、これは気づかなかった。 読書猿さんの頭の中には、図書館があるという。十進分類を駆使して、抽象度の高いところから俯瞰したり、より詳しく知りたいときは拡大して具体的な目で見始める。頭の中の図書館で目星がついてから、やおら腰を上げてリアル図書館に行くという。やみくもにGoogleったり、図書館や書店に突撃するよりも、はるかに効率的・網羅的なり。いつでも図書館を召喚できるということは、いつでも知の巨人の肩に乗れることなのだ。
読書猿さんと対談した: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (via ninonbooks)
今日は同僚に、”リタイア直前におこるオッサン病”は「ヌードル(ソバ)を作り始める」と話したら、英国は「ガーデニングを始める」米国は「突然ハーレーに乗る」らしい(たぶん適当)。でも大笑いした。
ogaさんのツイート (via hutaba)
DSどう森を8年やり続けた次男に話を聞いてたんだけど末期には ・村内の住人の庭すべてを完璧にガーデニング管理 ・雑草が一本もない村 ・出ていこうとする村人をしつこく引き止め絶対に村から出さない という「花咲き誇る牢獄」みたいな地獄の楽園状態を数年続けたらしく、 誰か俺を止めてくれ、俺だってこんなことはしたくない、でもやめられないんだ助けてくれ!という煉獄の作業ゲーを最後に救ってくれたのがインフルエンザだったので「正直やめられたときはほっとした」と言ってた。 みんなの幸せのために、正しいことを守りたい。 そういうピュアな優しさがやがて教条主義化し 「正しくない」ものは許さない。 みたいなね。 そしてそれを行ってる側だって狂信者じゃなく、 それがおかしいことには気づいている。 どう森ってすばらしく教育的なゲームだわ。 DSどう森で、村人全員の幸せを願ってプレイを始めたはずの次男が、やがて冷徹な独裁者として絶対的な監視社会を構築したの、ロベスピエールやポル・ポトのミニマムな再現って感じで感慨深いものがある。 艦これデイリーの解体任務ですら胸を痛めたはずの駆け出し提督が、やがて艦娘の轟沈前提の出撃命令を冷徹に実行するようになる。みたいなね。いちいち考えるのはキツいんだよ。規範の内面化によって、誰もが簡単に残酷な独裁者になれるのさ。
山本ニュー(サイコファクトリーフリークスさんのツイート (via hutaba)
ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若 年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人た ちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた 外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわ かる。 ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。 「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗 きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」 隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかし くなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26 年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていた のだ。 性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影 響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前ま ではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。
裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 - 情報考学 Passion For The Future (via ssbt) (via gilthazami) (via uessai-text) (via harunoriyukamu) (via hexe) (via shinoddddd, shinoddddd) (via yasaiitame, yasaiitame) (via flashno1, flashno1) (via oldtimejapan, oldtimejapan) (via goodspeedalways, goodspeedalways) (via edieelee, edieelee) (via dotthx, dotthx) (via akira28-jp, akira28-jp) (via m164, m164) (via yellowblog, yellowblog) (via otsune, otsune) (via lovecake, lovecake)
https://twitter.com/hidekiccan/status/926986162387828736/photo/1
4歳と5歳のやんちゃな兄弟がベッドの上で楽しそうに跳びはねています。この家では、「ベッドの上では跳ねない」というルールがあるのですが、ママがふと気づくと、2人はベッドの上で跳びはねていました。 ここで2人に、行動を具体的に表現して、たったの一文で簡潔に注意しようとした場合、何と言えばよいでしょうか。 さあ、答えは決まりましたか? 私の答えは、「ベッドから降りて」とか「ベッドの上では座ってね」です。「○○してね」という簡潔な一文であればOKです。 ここで注意したいのが、答えの中に「ベッドから落ちると危ないでしょ。それにベッドは遊ぶ所じゃないし、ベッドが壊れたら困るでしょ。それにそのベッド、とっても高いんだから……」というちょっと長めの説明が付いた人です。 親はよかれと思って、子どもにも分かりやすいように説明を付けようとします。 ですが、思わず怒りから説明に力が入ってしまい、長~~~~い説明になってしまうと、子どもも話の途中で集中力が切れてそわそわしてしまい、「叱られてるのに、なんだその態度は!!」とさらに怒られることになったりします。 長い説明がつくと、何が言いたいのか子どもにとっては分かりにくくなってしまうのです。子どもとしては、「怒られていることだけが分かる」という状態になるわけです。 だから、簡潔に言う必要があります。説明はいいことですが、長いのは禁物です。 ぜひ、だまされたと思って簡潔に話してみてください。 「○○してね」、それだけです。
上手な注意「~しないで」は×、「~してね」は◎ | 伊藤徳馬の どならない子育て | 日経DUAL (via clione)
後輩がおっさん社員にキツイこと言われて泣いちゃったらしいんだけどパートさんやその子の上司が「私だって何回も死にたいって思ったよ」って慰めたら「死にたいんじゃないんです、殺したいんです!」って答えた話が最高にクールでロックで私は心が震えたしここがフェイスブックならいいね!しまくり
Twitter / yakigasimauma (via the-pica-has-lots-of-dreams)
スナックにいたおっさんが「ホスピタリティっていえば、俺の通ってるパチンコ屋は閉店時間になると蛍の光じゃなくて情熱大陸の曲をかけてくれるから、丸1日いても全く罪悪感が湧かないどころか、大負けしても誇らしい気分で家に帰れる。気が利いてる」という話をしてきて、人生の達人だと思った
元11才さんのツイート (via gkojax)
おもしろいと思うことを自分で見つけられない子は、いつまでも退屈しているしかない
未来のイノベーターはどう育つのか ― 子供の可能性を伸ばすもの・つぶすもの / トニー・ワグナー (via ebook-q)
卒業する学生さんが打ち上げの席で,面接で緊張しない秘訣を教えてくれた. 面接室のドアをノックする前に,小さく, 「ショートコント『面接』」 って言うんだって.たしかに効きそうだ!
Twitter / maeda (via vivit-jc)
最初のレンガ職人のところまで戻ると、企業経営者は訊きました。 「あなたはレンガを積んでいると言いましたね?」 「私が積み木で遊んでいるようにでも見えるのかい? バカなことを訊かないでくれ」 「あなたが積み上げているレンガはやがて壁になり、大聖堂の一部になるはずですよね」 「ああ、まあ……。そう聞いているよ」 「だったら、あなたも仕事に目的意識と誇りを持つべきです!」 企業経営者は切々と論じました。 大聖堂に集まる人々のことを考えなさい、偉大なプロジェクトに参加できる喜びを噛み締めなさい、云々。 「――というわけで、目的意識を持って仕事をすれば、やがて大きなイノベーションを引き起こすことができるのです。あなたの積んだレンガの一つひとつが、人類の歴史を変えることに繋がっているんですよ」 レンガ職人はプッと吹き出しました。 肩を小刻みに震わせると、こらえきれずに爆笑しました。 「あーはっはっはっ! 何言ってんだこいつ」 「な、何がおかしいんですか」 「冗談だとすれば傑作だ」 「こっちは真面目に話しているんです」 「だとすりゃ、なおさら可笑しいね。レンガを積むことで人類の歴史が変わるだって? あんたはイノベーションの本質を分かっちゃいない。馬車を何台並べたって、機関車は産まれないぞ」 このセリフに、企業経営者はカチンときました。 「レンガ職人ごときが、私にイノベーションの本質を説くつもりですか? なんて生意気な――」 「まあ落ち着けよ」と、職人は相手を遮りました。「あんたの言葉は、何百年も昔の奴隷農場の経営者にそっくりだ。黒人奴隷に向かって講釈を垂れるといい。お前たちが育てているサトウキビはやがて上質な砂糖になり、ヨーロッパの人々を喜ばせる。誰かを幸福にできる尊い仕事だ……ってね」 「奴隷の話なんてしていません。私はただ、ツマラない仕事を少しでも――」 「美辞麗句で言い繕うのはやめろ。あんたがどう考えていようが、あんたのセリフには一つの機能しかない。労働者の『ヤル気』を奮い立たせて、安い賃金で働かせるという機能だ」 職人は肩をすくめました。 「もっとも、犬並みの知性しか持たないやつは、あんたのセリフに騙されるかもしれないね。……だが、あいにく私は人間だ」 「あなたには素直さが足りませんね。あなたのようなひねくれた人を、私の会社では絶対に雇いません」 「私だって、あんたみたいな経営者のもとで働くのはゴメンだよ。断言するが、あんたの会社では絶対にイノベーションは起こせない」 「なっ!?」 「12世紀末ごろ、ヨーロッパで風車が使われるようになった。これは、それまで人の手で行っていた製粉作業を機械で代替するものだった」 「……なんの話ですか?」 「18世紀半ばのイギリスで、世界で初めて蒸気機関が実用化された。これは、それまで人の手で行っていた鉱山の排水作業を、機械で代替するものだった」 「それがイノベーションに何の関係が――」 「18世紀まで、インドはキャラコ(※木綿の布)の輸出で儲けていた。ところが19世紀末までには、インドの織物産業は衰退し、布を輸入するようになっていた。なぜなら同じ時代、イギリスでは機械が布を織るようになったからだ。発明された自動織機の数々は、人間よりもはるかに安価で、正確に、大量の布を織ることができた」 「そんな昔の話をされても――」 「『進化論』で有名なチャールズ・ダーウィンは、実験データの集計を近所に住む数学教師に依頼していた。ダーウィンが数学をあまり得意ではなかったことに加えて、当時はExcelがなかったからだ。どんなに単純な統計データでも、人間の手で計算するよりほかなかった」 「……」 「じつは20世紀半ばまで、『計算手』という仕事があった。企業の経理から政府の軍事研究まで、あらゆる計算を人間の手で行っていたのさ。筆算やそろばんを駆使してね。ところがコンピューターの普及によって、この仕事はなくなった。かつては百人のチームで行っていた計算が、今ではスマホ一つで出来る」 「イノベーションの本質は技術の進歩だと言いたいんですか?」 「いいや。イノベーションを起こすのに、技術革新は必ずしも必要ではない。むしろ重要なのは、既存の技術をいかに応用するか――。いわゆる『コロンブスの卵』的な発想を持てるかどうかだ」 手にしたレンガを撫でながら、職人は続けました。 「たとえば蒸気機関の改良に成功したジェームズ・ワットは、熱力学や物理学の専門家ではなかった。測量機器の設計方法を学んだ程度だ。また、鉄道の父と呼ばれるジョージ・スティーヴンソンは、貧しい炭鉱街に生まれて、18歳までまともに読み書きができなかった。さらに、モールス信号を発明したサミュエル・モールスは、もともとは絵描きで、発明に関してはアマチュアだった。この時代に生まれた発明品のほとんどは、古代ギリシャのアルキメデスよりも多くの知識を必要としなかった……とまで言われている」 「えっと、つまり……?」 「イノベーションの本質は、『手を抜くこと』なんだよ。持てる知識を総動員して、ツマラない仕事をできるだけ機械にやらせて、人間はラクをしようとすること。これがイノベーションのカギだ。レンガを積む仕事は、たしかに意味があるし大切なものかもしれない。だが、それを礼賛しているうちは、イノベーションは産まれない」 「あなたは、いったい――」 企業経営者は、職人の言葉にただただ困惑するばかりでした。 職人が手を放すと、レンガは重力制御でふわりと宙に浮かびました。 「私はとある研究施設の科学者でね、『レンガを積む人間の動作』を研究するために、こうやってレンガ職人の仕事に挑戦していたわけだ」 信じられない事態に、企業経営者は目を白黒させました。 相手はにやりと笑いました。 「言っただろう。どうして私がこんなツマラない仕事をせにゃならんのだと思う、ってね」 ザッ、ザッ、ザッ……。 気づくと、遠くのほうから何やら妙な音が近づいてきます。 「な、なぜ――」 企業経営者は絞り出すように言いました。 「――あなたは、なぜそんな研究を? 『レンガを積む人間の動作』を調べて、いったい何をするつもりですか?」 さも当然というふうに、相手は答えました。 「決まっているだろう。レンガを積む仕事を、機械にやらせるんだ」 ザッ、ザッ、ザッ……。 道の向こうから、無数のアンドロイドが近づいてきました。 寸分の狂いもなく整形されたレンガを手に、隊列を組んで歩いてきます。 ザッ、ザッ、ザッ……。 「ひっ」 企業経営者は小さく悲鳴を上げました。アンドロイドたちに睨みつけられたような気がしたからです。 眼球の代わりに取り付けられた、魂のないカメラで。
有名な「あの物語」の続き - デマこい! (via bochinohito)
自分の中で大事にしているのが、高校の美術教師が言っていた「センスって、イコール知識量なんですよ」という言葉。一見才能があって軽々やっているようでも、裏には相当の知識と経験がある、と。 これが頭にあるとセンスのある人を妬まなくなるし、「センスないから」が努力しない言い訳にならない。
https://twitter.com/Catfish_nama/status/807781188332961794 (via nanashino)
人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落としてしまいます。
真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。
無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられていますから、兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、だめです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことがありました。
ゼロを一つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバッグを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています。
http://ameblo.jp/hiroo117/より もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたらどうだろう。
やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。
もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在していることになる。
人は、寄り道をしたり、道草をくったり、どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を経験するからこそ、人としての味や深みが出る。
「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。
「無用の用」という老子の言葉がある。
一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たしているということ。
無駄のある人生も、時にいいものだ。
強制参加の飲み会でソフトドリンクを頼んだ私に無理に酒をつごうとする同僚。「酒、飲めるだろ!知ってんだぞ」 私「あいにく医者から止められてるので」 同僚「ちょっとくらいならいいだろ」「どこが悪いんだ?肝臓か?」 あまりしつこいので、 私「精神です」と言った。 みんな静まり返った…。
ナウちゃん(Born This Way)さんのツイート (via gkojax)