マルチチュードの目的論は奇跡(テウルジー)である。つまりマルチチュードの目的論は、テクノロジーや生産を自分自身の歓びや自分自身の力の増大に向けて方向づける可能性のうちにある。マルチチュードは、みずからを政治的主体として構成するために必要な手段を、自分自身の歴史の外部、現在における自分自身の生産力の外部に探し回る必要はないのである。
帝国(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート)p492
以文社(2003)

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@kiji1ka
マルチチュードの目的論は奇跡(テウルジー)である。つまりマルチチュードの目的論は、テクノロジーや生産を自分自身の歓びや自分自身の力の増大に向けて方向づける可能性のうちにある。マルチチュードは、みずからを政治的主体として構成するために必要な手段を、自分自身の歴史の外部、現在における自分自身の生産力の外部に探し回る必要はないのである。
帝国(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート)p492
以文社(2003)
ところでミラン・クンデラを信じれば、ジャンルとしての小説には固有の知恵があり、その知恵は個々の小説家よりもすこしばかり聡明である。そしてこの「小説の知恵」に耳を傾けず、みずからの小説よりも聡明たらんとする小説家がいるとすれば、その小説家は職業を変えるべきだという。この説に従えば、デュマ・フィスは『椿姫』を書いているあいだは、「小説の知恵」に耳を傾けていた。だが、その後「問題小説」や「問題劇」を書くときには説教が多くなった。つまり自分の小説(もしくは演劇)の知恵には耳を貸さず、ただ「説教」の手段にすぎない作品よりもじぶんが聡明であることを誇示しようと願った。それが、たとえば彼より三歳年上の正真正銘の小説家フロベールなどの芸術との根本的な違いだったのかもしれない。
光文社古典新訳文庫「椿姫」p477解説:西永良成より
兄貴は俺の夢を返してくれただけじゃない。図らずも、上手な夢の見方も教えてくれたんだ。自分のほしいものを手に入れるのに、恐れ知らずである必要はない。ただ、自分が抱える恐怖をまっすぐに見つめることが必要である……そうすればその恐怖を鼻で笑ってやることができるんだ、と兄貴は教えてくれたんだ。
荒野のホームズ、西へ行く(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)p321
「君にはわかっていると思う。たとえば、きみがやっているゲームだ。朝早くトランペットを吹いて灰色の空に三色旗を掲げる。共和国万歳。一九一六年の復活祭を忘れるな。だが、きみにききたい。窮極的には、きみがゲームを統御しているのか、それともゲームのとりこになっているのではないか? やめたかったらやめることができるのか、それとも、いつまでも同じことを続けて行かざるをえないのか? 弾をくらってどぶに横たわる日まで、トレンチコートに軽機関銃、おれの命はアイルランドのもの、を続けなければならないのか?」 デヴリンがかすれた声でいった、「おれはそうじゃない」 「ところが、おれはそうなのだ――
「鷲は舞い降りた」(ジャック・ヒギンズ/ハヤカワNV文庫)p466:シュタイナーとデヴリンの会話
京極「都合よすぎる、こんなのあるはずないから作っただろうと指摘をされることもたまにありまして。でも、そういうのに限って本当だったりするんですよ。だけど、弁解するのもカッコ悪いなと思って黙ってるんですが。『鉄鼠の檻』で空海が書いた「禪宗秘法記」という本を出したのですが、これ散逸してはいるんですがホントにあったものなんですよ。空海が持ち込んだ禅の本なんてあるわけないから、これはきっと『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ著)に対するオマージュで作ったに違いない、なんて書いている人がいたりして。違うんだけどなぁ、悲しいなあと。
妖怪大談義(講談社)p81 「闘う陰陽師作家、嗤う妖怪作家」(夢枕獏と京極夏彦の対談)より
映画ライターの前田有一による最新映画批評です。
大塚 例えば書くという行為の啓蒙が、宮台さんのプログラムに入っていない気がするというさっきの問題ですよね。もちろん宮台さんの現場である大学の教育の中ではたくさんのレポートを書かせておられるのかもしれない。それに宮台さんのホームページを拝見すると宮台さんの書くものに対してレスポンスするような、そういった仕組みになってはいるけれども、何といったらいいか、宮台さんがネットに書かれた論文を受け止めて、それを、改めて他人に伝える言葉として表出しているかというと必ずしもそうじゃない印象がある。「書く」という問題を個別の受け手の中でもう少し意識化できないか、と感じます。 宮台 大塚さんね、僕は「ミヤダイ・ドット・コム」にアクセスしている人たちを相手にしているわけじゃなくて……。 大塚 当然、それはそれでいいです。 宮台 むしろ、いろんな編集者(の卵)やアカデミシャン(の卵)や映画関係者(の卵)に読んでいただくことが重要なんです。彼らは決して書き込まないでしょうけれど、「そうか、問題はそういうことなのか」というある種のアウェアネス(気づき)が、ほんの少しでも生じるようであればいいな、というふうに思ってやっているわけです。 その意味でいうと、大塚さんのおっしゃるような、コメントのクオリティの低さについては、以前から分かっていることだし、そもそもそういう子たちに向けて球を投げているつもりもないんです。 大塚 ただね、本当に宮台さんが啓蒙しなきゃいけないのは、この子たちではないんですか?
「愚民社会」(太田出版)p251~252
武王は力があり、力だめしを好んだ。それで力持ちの任鄙・烏獲・孟説などが、みな大官になった。王は孟説と重い鼎を挙げたため、脛骨を折って八月に死んだ。孟説を罪して一族を滅ぼした。
史記秦本記第五(ちくま学芸文庫p128)
同型とは言いながら「松島」と残りの「橋立」「厳島」は、主砲のすえつけ箇所に違いがあった。例の巨砲が、松島だけ後ろについているのだ。なぜかと言え ば、「三景艦」は最初は「四景艦」の計画だったらしい。つまり前方に主砲を積んだ艦と後方に積んだ艦がペアを組むわけだ。確かに二隻合わせれば8千5百ト ン、32.5cm砲2門で鎮遠級に匹敵するのだが、まるで合体超合金みたいな発想である。だったら最初から一隻にすればいいんじゃないか? なんで四隻目が建造されなかったかというと、やっぱりこの艦の設計思想が変なことに日本海軍が気づいたためである。 なにしろ最強の武器である32.5cm砲がデカすぎた(というか船体が小さすぎた)。横に向けると船体が傾いてしまうし、発射すると反動で艦首が回ってしまい。そのたびにいちいち舵を切り直さないと転覆しかねないのだ。 船体が小さいので弾丸の搭載数も少ないし、弾込めにも手間がかかる。巨砲が重量を食ったおかげで残りの武装は貧弱だし、装甲は紙みたいにペラペラなのだ。 そんなこんなで日本海軍は、国がのるかそるかという時に、国家財政が火の車だというのに、歴史に残る駄作を作ってしまったのである。よりによって三隻も!
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5908/3k/
溶ける魚といえば、私こそがその溶ける魚なのではないか、現に私は〈双魚宮〉の星の元に生まれているし、人間は自分の思考の中で溶けるものなのだ! シュルレアリスムの動物界と植物界は、おいそれと打ちあけられないものである
岩波文庫「シュルレアリスム宣言」p72
現に私は〈双魚宮〉の星の元に生まれているし、の一文が余計というか、自動筆記と安直な連想は紙一重ということがよく伝わってくる
可愛い
057 by (C.S. Drake)
可愛い