トーキョーニューエイジ -Tokyo New Age-
Fashion designer, based in Tokyo and a winner for this year’s ITS(International Talent Support).
She majored in literature at the University.
Now she is a student at Tokyo University Of The Arts(Tokyo Geijutsu Daigaku).
check out her works : http://youtu.be/YM-glvTFlso
日本の前衛的ファッションにはしばしば文学的解釈が必要とされてきた。
言うまでもなく現代の我々がファッションという言葉から想起するのは西洋文化にはじまるものである。「いとおかし」の感性は独自に生み出された領域にのみ通用する。モードの外側にいた日本人がその内側に入るには、作品に注釈を添えて、そのめくるめく新世界の中央にいる人種の顔色を伺う必要があったことは間違いない。
しかし近年、我が国にとっては明治以降の近代化とともに外発的に発展していったはずのファッションカルチャーは次第にサブカルチャーというポジションを超えてメインカルチャーの領域へと伸し上がろうとしている。つまりファッションはもはや異文化からの借り物ではない。それは日本の寿司が海外で勝手にカルフォルニアロールへと進化を遂げ、そして昨今日本のデパ地下にずらりと陳列し、世のOLのランチにとって欠かせない存在となっているのと同じぐらい革命的だ。
その日渋谷ヒカリエでは東京ファッションウィークに合わせ、Mikio Sakabe坂部三樹郎氏とWrittenafterwards山縣良和氏が手がける若手デザイナーによるインスタレーションが「東京ニューエイジ」と題して行われていた。
4人のデザイナーによる合同展示会であったが、真っ先に彼女のブースへ向かう。超多人種なモデル陣の背後には切立つ山脈の写真が貼られたパネル。ブースの中央に置かれた盆栽。なるほどこれが彼女のいうところの「幕の内弁当的」インスタレーションである。*毎日新聞記事参照
カオスというよりはむしろ整然とちりばめられた違和感は「かわいい」への探究心を刺激する。
「かわいい」という言葉が内包している意味は広い。しかしその根底にあるのは未熟なものを愛でる気持ち、すなわち不安定なバランス感を保つものを儚げで愛おしいと感じることである。元来、日本人は儚さの中に美を求めてきたわけだが、その独自に育まれてきた感情が世界に浸透したのだということに、やはり彼女のグランプリ受賞は大いなる意味を持つ。
彼女の2015s/sコレクションがショー形式で発表された。会場は渋谷パルコ前の広場である。道行く人が足を止めると会場スタッフが「立ち止まらないでください」とじゃあ何のための屋外イベントだと言いたくなるような、矛盾した注意を呼びかけるのは、渋谷109前のイベントスペースで見かける光景によく似ている。
ショーがすでに始まっているなか人ごみに揉まれていると、通りすがりの社会人男性2人組に何のイベントかと尋ねられた。この日、たまたまショッピングの帰り道か、はたまた飲み仲間と一杯ひっかけるために偶然パルコ前を通った人たちは、期せずしてこの東京から始まる新時代の幕開けを目撃していたのだ。
最後のルックに登場するモデルのチャームの持ち方がFENDIの2014fallでのカーラ-デルヴィーニュの姿とすこし被る。もしこれが意図的なパロディーだったら、とハイファッションに対するアンチテーゼを勝手に期待してしまうのである。
その意味ではブロックチェックのレギンスとブラのセットアップも、もしかしたら数シーズン前のLouis Vuitton(今となっては懐かしさすら感じるが、マークジェイコブス節が炸裂していたデザインだった)のパロディーなのではないかと妄想は膨らむばかりだ。
このカルフォルニアロール的革命を起こし始めている彼らは、巷で話題のノームコアなるトレンドの真逆を行っていることは間違いない。
「肩肘張らない」どころか肩も肘も怒らせて、中指を突き立て、ついでに舌まで出して、彼らは叫んでいる、のかもしれない。少なくとも私はそうあって欲しいと願う。