善と悪のパラダイムシフト
次元を超え生まれたパラドックスは変異を起こした蜘蛛のようにヒーロー映画にシン化をもたらした。
ヒーローが悪者を殺すという正義の鉄槌に人間性を繕った大傑作。身分や信用をフォロワーで換算するようになったこのホワイト社会に新たな道を示した。ヒーローのあるべき姿を見せつつ人間としての弱さを簡潔に完結させ作品にセカンドチャンスを与え無事伝説となったJon WattsそしてAvi Arad。
映画にならなかったら生まれなかったこの作品を映画で見れる幸せに映画館で溺れろ

ellievsbear
2025 on Tumblr: Trends That Defined the Year
★
official daine visual archive

bliss lane

Kiana Khansmith
occasionally subtle
Mike Driver

blake kathryn
almost home

Jimmy Eat World

PR's Tumblrdome
macklin celebrini has autism
Game of Thrones Daily
d e v o n
cherry valley forever
tumblr dot com
Cosimo Galluzzi
untitled
KIROKAZE
seen from Australia
seen from United States
seen from United Kingdom
seen from Mexico

seen from Canada
seen from Armenia
seen from Iraq
seen from Poland
seen from United States

seen from United States
seen from Iraq
seen from Brazil
seen from Colombia
seen from Vietnam
seen from United Kingdom

seen from Trinidad & Tobago

seen from United States
seen from United States

seen from Australia

seen from Portugal
@maru3gg
善と悪のパラダイムシフト
次元を超え生まれたパラドックスは変異を起こした蜘蛛のようにヒーロー映画にシン化をもたらした。
ヒーローが悪者を殺すという正義の鉄槌に人間性を繕った大傑作。身分や信用をフォロワーで換算するようになったこのホワイト社会に新たな道を示した。ヒーローのあるべき姿を見せつつ人間としての弱さを簡潔に完結させ作品にセカンドチャンスを与え無事伝説となったJon WattsそしてAvi Arad。
映画にならなかったら生まれなかったこの作品を映画で見れる幸せに映画館で溺れろ
歴史は物語る
その者の意味は根源に宿る。なぜ遺志は現代にまで受け継がれ、なぜ礼節が人を作るのか。組織の発足という妊娠から誕生までのような過程を描いたものではなく、出会いから恋愛までもを含むくらい壮大で一貫したThe King's Manの思想そのものを描いた贅沢な作品。
なぜ生まれ、どうして生きるのか
ひとつの個体として世に生まれた ただの考えられる生き物に過ぎない。 考えられるがゆえに意図せず意味を見出して 自らしがらみを作り生きる難易度を上げてゆく。
考えられることが人間の呪いなら 少しでも考える時間を減らすために寝。 限界を感じたら意識をあのときのひとつの個体に還して いつだって楽しみに向かって輪廻。
皆様に於かれましては折を見て 楽しむ為に生まれ、寝る為に生きて頂きたく存じます。
暗喩世界との共存で調和を目指す
The Matrix Resurrections オタク時代を風靡した作品群の"シン"化がここでも始まった。復活で目覚めるのはネオか、人類か、それとも。
この世に復活したのなら、この世のものとならなければならない。様々な価値観が行き交う現代にまさにUPDATEされた解釈や思想が詰め込まれた正統続編だ。これをカオスと呼ぶならば、現代はまさにカオスなのだろう。
理想と現実の迫間に垂れる糸はあるか
なぜ Dear Evan Hansen はミュージカルなのか。日常で普通の人が突然歌い出すということは無いがミュージカルでは気持ちを表現する手段として歌を用いることが許されている。この最大のフィクションを使う必要がこの映画にはあるからだ。
学校では友達を作るべきだろう。人が死んだ時は悲しむべきだろう。悲しみに暮れる人がいたら慰めるべきだろう。 そんな理想が実を結ばなかった時、人はバグでエラーを吐くコンピュータのように狂ってしまう。
理想に囚われたものが現実に戻るための糸に棘が無いとは限らない。 他人の死で繋がった縁はこの現代にまで続く"理想と現実で紡がれた糸が織りなすジレンマ"を超えてあるひとつの結末に終着し、その後ようやく初めて Evan Hansen の物語が始まる――
第四の壁に没頭した時代の象徴
Ryan Reynoldsが画面の向こうから話しかけてきたらそれは自分に向かって話しかけているという錯覚をうまく演出に採用し見事に作品へ落とし込んだ「Free Guy」。第四の壁を超え物語の登場人物が話しかけてくるという演出はその時代にしっかりと生きている人以外には伝わりにくいがその男は今回我々の認識という"第五の壁"を破壊して登場人物が自分に話しかけてくるという虚構をも明らかにするいわゆるどんでん返しで見事に解き放たれまさしく自由の象徴となった。
キャズムの向こうに散ったオタク
オタクという概念はすでに20年前には死んでいたとされているがその実態についてあまり知られていない。しかし最近エヴァンゲリオンも終わり無事に多数派の側に回ることができたということで滞りなく役目を終えた。
もちろんアニメに関わらずオタクと呼ばれる種は様々な物事に存在したが、特段エヴァという作品は大変広い人種や世代に広がった唯一のコンテンツでありそれでいてオタクという種の終わりの始まりから終焉(本当の終わり)までをちょうどカバーされた作品群でアニメシリーズの終劇のみならずオタクという文化の閉会をも為したまさに軌跡で奇跡な奇蹟の作品と言っても過言ではない。
全肯定に希望は無い
基本的に自分というものは自分で考えたことしか信じられないし理解できない。そのため他人に教えられるという考えがない限り他人を信じられず他人を理解できない。世の中にある物事は様々な人の事情が複雑に絡み合って形成されているとしたら自分の見える範囲での理解はその物事全体の本質ではない。
しかし他人を理解できない人の解釈は最もわかりやすく支持を得やすい。なぜなら誰の意見も取り入れていないがために透明で混いじりっ気のないストレートなエゴであるからだ。その先急いだ序盤を迎えたばかりの結論は誰でも一度は頭に浮かんだ見覚えのある解釈がゆえに誰にでも刺さってしまう。
見覚えのある理解がはっきりと言語化された時それは共感を呼ぶ。その解釈はかつて自分が感じたことのある解釈なのでそれを否定することは自分を否定することにつながる。自分の考えと重なるその解釈に疑問を持つことなく無意識に発信者を全肯定してしまう。そうして本質とはかけ離れた理解が支持を得て多数派となっていく。
一度結論が出てしてしまえば考えが固着するまでは早い。 その凝り固まった考えの支柱にあるのは受手による全肯定だ。
理解するのには難しい物事がある場合、文字が読めても意味が解るとは限らない。 意味が解っても事情の背景を察せるとは限らない。 背景を察せてもその関係性や因果を辿れるとは限らない。 つまり考えを巡らせ理解するには時間や労力がかかるため、全員が物事の一切にまで辿り着くことはできない。 そんな世界で頼られるのはわかりやすく甘い言葉をかける詐欺師のような存在で、途中で脱落していった人々はその理解した気になれるまやかしを求めてごまかされていく。
物事の本質に対しての理解で最もわかりやすいものがあったとしたら それは添加物によって形成された偽物の理解かもしれないという疑いを持つべきだろう。 味も食感も限りなくりんごに似た何かではなく、りんごそのものを食べるためにできるのは、それに寄り添い、それを助長する全肯定を辞めることだ。
信仰が持つ力
初詣からクリスマスまで様々な礼拝と宗教行事に身を包んだ信仰を持たない人々はそれらの教えを規範とすることなくカジュアルに消費する。
いいとこ取りをして自己流にアレンジできる力を売りに文化を形成したがゆえになにかを信じ抜くことができなくなった精神は宙に浮かんだ不安定な状態のまま足をつけるべき地面を探し続ける。
合理的なことを好む人々は常に不合理を避けたがるがやがてその不合理を受け入れなければならない時がくる。信仰はその不合理を受け入れる導入剤の役割を担っていた。
X.不安の托し方
- Side story -
せっかく覚えた不安は活用してこそ身につく。活用すれば自分だけではなくまわりにも影響を与えるため露骨に主張すると強い拒絶反応で人間関係が崩れるだろう。不安を拡散させるインフルエンサーになることはとても重要だが日常に不安を忍ばせるという意識(コツ)がなによりも重要になる。
物語が面白いのは主人公が苦悩するからだが人は苦悩が嫌いだ。しかし迷ったときに不安な方向を選択することで人生を主人公として生きることができる。
不安な道を進むとき1人では行き詰まることもある。その時に不安を乗り越えられる強い味方が自分のまわりにいることがとても重要だ。日頃から不安を共有していれば不安を不安と思わず、挑戦という向上心に変えられる強い心をもった仲間が残るだろう。
困った時に助けてくれる友は自然に発生しない。他人へ不安を托すという感情の共有が友情を育む。これは不安を思い通りにできたとき人生をも自由に操ることができると信じ託すためのコツを記した不安取扱説明書。
0.不安の覚え方
Remember the neasiness
心臓病や事故、自殺などの様々な異常によって人は突然死ぬ。常にいつ死ぬかわからない緊張状態にさらされながらもなぜ人は安心するのか。 対極にある不安に目を向けてみると人間は生物であり動物なので脅威と対峙したとき生存のためストレスを感じ不安で恐怖したり身体が反応したりするもので不安は生命維持に必要不可欠な感情である。 安心はそんな日常的な不安から開放されたときに起こる一時的な感情で人間はそのような瞬間に心を落ち着け身体を休め来たるべき不安に備える。
しかし様々な情報が高度に共有され不安を事前に察知できるようになったためわざわざリスクをとって不安を覚える必要がなくなった現代では安心することが当たり前となり今までよりいっそう不安を受け入れられなくなっていった。そうして生きるために活用していた不安は忘れられ次第に安心するための道具に成り下がった。
日常生活に支障が出るレベルの不安な感情は治療を推奨されるが、日常生活に支障が出るレベルの安心について皆は無関心で、その中毒性や依存性についてあまり意識されずあればあるだけ良いとされてきた。あまりに安心に身を委ねた結果、本来あるべき不安を忘れてしまったにもかかわらずより安心するため今まで以上に不安を見つけることに執着してしまう。
常に現実では昔と変わらず人間が生きていて人間が生きている限り死という不安を意識して生きるだろう。そうした基本的に変わらない部分が人間にあるということはどんなに世の中が便利になっても忘れてはいけない基本的な不安は必ず存在する。
安心がある限り不安はなくならない。 だったら不安を"覚えて"自分の大切な身体の一部であると認知することで取り払うことなく愛おしい存在へと変えてしまえばいい。これは安心するため不安に固執して生きるのではなく、基本的な不安を受け入れてその後のあるべき安心に目を向けるための不安入門講座である。
愛してその醜を忘る
人はそもそも醜く欲深く傲慢だ。 そのなかでも人に行う愛ある行動に着目することで自分の愛のレパートリーを増やすことができる。人を知ることは愛を知ることにつながり、相手の愛を知ることは自分が与えられる愛も増え、愛の技量を増やすと愛せる人も増える。
愛を理解することは変化する人と時代を追う上でとても重要だが、人は愛を完全には理解できない。なぜなら愛は人を理解するくらい果てしなく終わりのない問題で死ぬまで向かい合う必要がある。それでも歩み寄らなければ時代とともに変質する愛は認識できない。
愛してその醜を忘る。人の悪いところを多く目にしてしまうのは正しさを意識して生きている証しで、その相手に向けた正しさはより厳しい正しさを返すだろう。この正しさの応酬は人にとってまさに自滅の道であり呪いでもある。意識を愛に変えたとき、人の醜さは見えなくなるどころかそれさえも愛おしく見えてくるだろう。
相手や社会が愛おしく見えた時、ふりかえれば愛おしい自分がそこにいるかもしれない。
愛を知るには人を知るしかない
愛を語るなんてクサイと思われがちだが言葉にしないだけで実際様々なものに愛は宿っている。日常で意識しないことは忘れるし一度忘れたら思い出すのに時間がかかる。それは愛も同じ。 人の意識をすべて理解するなんて無理な話であり、出来るとおもったら傲慢な話だ。それは愛も同じ。 だが理解しようと歩み寄ることはできる。人を知らなければ人のことはわからない。それは愛も同じ。 それが愛だと知らなければ愛だと気づけない。
つまりどれだけの愛に気付けるかで自分がいつどこでどのように愛されたかが解る。ゆえに愛を知るには人を知るしかない。
どれだけの愛に気付けるか
「相手に伝わらなければ意味がない」という教えがある。現代では会話において回りくどい話し方をせず伝わりやすくするための教訓として語られる。 一方で「無知は罪」とソクラテスからの発言を引用抜粋して語られる場合もある。現代では知らないからといって罪が許されることはないというような意味合いで多く使われる。 どちらも誰かに責任を被せるこの意識をわざわざ使ってコミュニケーションを必要以上に追い込む必要はあるだろうか。
例えば、自分は愛されないと嘆く人がいる。相手のせいにしたり、自分のせいにしたり、社会のせいにしたりと様々な答えにたどり着くが、これが誰のせいでもなければみんなが幸せになれるのではないだろうか。
人と人が理解し合うには会話を通して気持ちを伝達する必要がある。しかし会話というのは普通にするだけでもすれ違う脆弱な伝達手段なので言葉の責任を取らせることよりお互いが歩み寄ってコミュニケーションすることの方が本来は必要である。訳の分からない話は解るまで聞くか、聞きなれないことは自分で調べて知識をつけるなどの自主的な動きは相手を理解したいという愛ゆえの行動でより相手のことを知ることができる。
人が愛で動くなら相手を知ると見えてくる愛もある。 相手が自分に対してどんな愛を与えてくれてるかを知るために人は行動しなければならない。相手のために愛をもって愛の探求を行うことで未知の愛と出会う。そうやって愛についての知識を蓄えると、あのとき愛されていないと感じ嘆いた時を思い出し本当はたくさんの愛に満たされていたと気付く日が来るかもしれない。
慎み尽くし果てた個性
いよいよ社会が政治化してしまい個人や芸術が大衆に媚びる事でしか評価されない時代になってしまいました。
不安が後押しして刺激の強いコンテンツは平均化され絞りかすのような思想しか受け入れられなくなった彼らは正義感という名の安定剤を大量摂取してアイデンティティを均すという行為で見事に個性を殺し好奇心を持つ者が居心地の悪い環境をいよいよ完成させた。
これはもはやネガティブなメッセージではなくそういう時代になったという歴史の1ページで人間はこの枯れきった大地でどのような個性が育めるのか。
「物事をわかりやすくひとことで言うとなんだろう。」と思った結果が愛だった。人が何か行動を起こす要因となるものはすべて愛だよねという割と普通で最も単純な話。
人間を理解するのも誤解するのもおこがましい
個人個人が違う生き物として思いやれれば円滑な関係を築けるかもしれないという性善説か個人を信用するなんてもってのほかで人は過ちを犯すし犯して当然なのでそれを予期するべきという性悪説のどちらも人間を理解しようとするものだが勝手に理解した気になったり誤解した気になったりして気持ちを落ち着けるのはおこがましいという意識をどこかにずっと持っておきたい