日本史教師「はいっ最近ちょっと進みが遅れてしまったからね!今日は室町幕府45分で滅亡させますー!」
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日本史教師「はいっ最近ちょっと進みが遅れてしまったからね!今日は室町幕府45分で滅亡させますー!」
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女流棋士について 永世棋聖 米長邦雄 将棋の才能に男女差はありません。 私の弟子の中で一番才能があったのは林葉直子でした。 「女流棋士」ではなく男性と同じ「棋士」になる、それもタイトルをいくつも獲るような強豪棋士になるほどの才能でした。 しかし、そうはならなかった。 あるときから彼女の将棋に対する姿勢が変わってしまった。 難しい将棋の勉強をするよりも、女性としての魅力で「女流らしい仕事」をするほうが楽に儲かる、そう氣付いてしまったのです。 彼女は女流棋士として十分活躍しただろう、と言う人がいますが、それは違います。 「女流にしては」活躍した、それだけです。 羽生と比べて、佐藤と比べて、森内と比べて、あるいは他の男性強豪棋士と比べて、彼女は活躍したでしょうか。 将棋の研鑽を怠らなければ、彼らに並ぶほどの活躍をしていたのです。 私は師匠として残念で仕方ない。 彼女の才能を潰してしまったのは何か。 女性というだけで下に見て男性との競争をさせない構造上の問題でしょう。 私はこれを変えたい。 当然、抵抗はあります。 女流に競争なんて必要ない、今のままでいいんだ、今さら将棋の勉強なんてしたくない、と。 しかし、現在の女流棋士は男性棋士のように文化の担い手として尊敬されうる存在でしょうか。 女性としての価値を除いて、一人の将棋指しとして扱われているでしょうか。 未来の才能ある女性が、プロの名に恥じない意氣で将棋に取り組み、将棋コンパニオンとしての「女流棋士」ではなく「真の棋士」として活躍し、男性からも尊敬されるようにする。 そのために、私は将棋連盟会長としてこの仕事をやりとげなくてはならないのです。
ニュース速報+ / 【社会】将棋連盟、女子プロ将棋協会へ“絶縁状”…「今後一切の契約や交渉をしない」 (via pyorohiko)
今や西田敏行は大河ドラマの常連俳優 大河での西田敏行年表を作るとこういうことになるそうだ 1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる。 1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる 1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける 同年 西田敏行、上記にも関らす石田三成を関ヶ原に破る 1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる 1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る。 1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける。 1716 西田敏行、八代将軍になる 1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る。 1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す 1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃。 1860 西田敏行、会津藩の家老となる 1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる 1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる 1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
No.40802 西田敏行で見る日本の歴史 - コピペ運動会 (via mcsgsym)
「激おこぷんぷん丸」という言葉の流行でこれからの日本が不安で仕方なかったけど、よくよく考えたら昔から「合点承知の助」とか言ってるから大して日本変わってないわ。
Twitter / ma_ru_kin (via tkr)
談志は「芸を盗めという奴は芸を論理的に教えられない馬鹿」という趣旨のことを言ってるが、体罰ってつまりそういう事だと思う。
Twitter / noiehoie: 談志は「芸を盗めという奴は芸を論理的に教えられない馬 … (via wideangle)
江戸初期には、トイレは厠と言って川の上に架かっていたが、その後この厠を禁止した。その目的は、ごみと同じように川をよごさないためと、排泄物を下肥(しもごえ)として溜めておいて、周辺農村に配分するためである。 農民が直接とりにきた時代もあったが下肥システムが完備すると、雇われた人たちが汲み取りにきた。下肥問屋があり、排泄物は問屋を介在する商品であった。 問屋に雇われた人たちが長屋まで排泄物を取りにきて、屋敷や長屋には問屋からお金あるいは野菜などが支払われた。また長屋には大家がいるので、一軒一軒の個人に支払われるのではなく、大家に対して料金が支払われた。 江戸には参勤交代のための非常に多くの屋敷があった。各屋敷には担当の農村が決まっていて、排泄物が配分された。受け取った各農村では排泄物を醗酵させて、肥料にした。当時としては大変貴重な肥料であった。 下肥問屋の仕事はさらに発達し、下肥を桶にためて、船で周辺農村に運んだ。 下肥は貴重な肥料であったので、値上がりが激しかった。時には、下肥の値上がりの反対運動がおきた。このように当時の江戸では、排泄物は決して邪魔なものではなく、非常に重要な価値のあるものだった。
環境公開講座2003.9.9 江戸の日本 (via otsune)
井戸の茶碗 師匠雲助から習いました。 もともとやりたい噺ではなかったんです。きれいすぎるし、それほどいい噺でもないと思っていました。きっかけは噺を指定した仕事を引き受けたものでした。やっているうちにいろいろ思いつきました。 人間くささを出したいと思ったんです。たとえば、千代田は一本筋の通った武士ですが、単なる父親でもあるはずでしょう。娘だってやっぱり一人の娘ですから、いい男がいればホッとするだろうし…。でも、一番やりたかったのは、屑屋の台詞で高木をうろたえさせる場面ですね。 武士らしさという点からいえば、ご批判もあるかもしれませんが、もともとフィクションですし、みんながみんな同じような形でやっていても面白くないと…。 「芸は動かせ」と言いますね。これからまだ動くと思いますが、今の私の「井戸茶」はこういう形だということなんです。
CD「桃月庵白酒1」の解説より。
静岡の寿司屋さんのサイト。
刺身はいつ頃から常食されたか、日本酒の謎など興味深い記事を出典や古川柳をまじえて紹介。
「切る」の忌み言葉から「指身」、江戸時代の酒の値段など興味深い。
エロといえば江戸期の艶本の高級なものだと、「空押し」といって凹ませた版木に刷り上がった絵を強く押し付ける方法で、胸やお尻の女性の体の盛り上がりまで再現したそうで。おっぱいマウスパットの発想は江戸期に既にあったw
Twitter / @1059kanri (via mug-g)
なんと
(via interglacial)
応用とは違うけど、実は紙の透かしも薄くする透かしと厚くする透かしがある。
(via suzumaru)
二つ目のとき、いわれましたよ。 「四角い座布団の中に、何か落ちてるんだぞ。あのなかで考えろ。 二つ目で上手い、下手だ、なんていうやつはいないんだ。おもしろいやつだなぁ、おかしなやつだなと印象づけるようなことを覚えてくるんだよ」 師匠から細かく、こうしろよ、ああしろよとか教えてもらうわけじゃなくて、座布団の中にあるよ見つけてこいよといわれて、こう演ってみよう、ああ演ってみようかと自分で考えて、自分のものにしたわけです。 あるとき、『火焔太鼓』を演ったら、評論家が、 「お前さん、志ん生の演り方とずいぶん違うじゃないか」 って小言をいわれたことがありました。 こっちはいいたいですよ。師匠のものを聞きたいのなら、師匠の録音を聞いてなよ。師匠に近寄りがたいとおもうから、変えているのに、なにがいけないんだ! 評論家や、落研の学生が本を読んだり見たりして、誰それはこういったとかいろいろいうけれども、早い話、落語はどう演ってもいい。どんな落語でもいいけれども、この落語は自分が考えて作った落語だと思い込むこと。 そう思い込んで、思い切って、おかみさんはこうだ、旦那はこうだ、悲しいときの声はこうだ、うれしいときの表情はこうだ、というようなことを、自分で作った落語だから自分で肉付けする。 教わったものをそのまま、すーっとしゃべるようなことは、私は絶対しないですね。
圓菊が師匠志ん生から学んだこと。
古今亭圓菊「落語家円菊 背中の志ん生―師匠と歩いた二十年」(うなぎ書房)
歴史ブームの時に、風俗嬢が静御前や北条政子みたいに歴史上の人物 の格好と設定でプレイをしてくれるという風俗店があった。電話で「卑弥呼とかも可能ですか?」って聞いたら、しばらく待たされた後に「卑弥呼!可能で す!」と言われた。その電話のやり取りだけで満足したので行かなかった。
Twitter / @tsumekiriman (via mcsgsym)
www
師匠(志ん生)を負ぶってるころに、 「洋服を一着、買いたいとおもって、いま、 お金を貯めているんです」 っておかあさん(圓菊師は志ん生夫人をおかあさんと呼ぶ)にいったら、 「買ってきな」 って、すっとお金をくれたこともありますし、結婚するときもお祝いだといって、炊飯器と冷蔵庫をって女房にお金をくれました。で、 「結婚して何年になる?」 「二年です」 「どうして子どもをつくらないだい?」 「食えないから」 「そうじゃないよ、お前。子どもは自分の食い扶持は必ず持って生まれるから、ちゃんと食えるから、どんどん作るもんだよ」 って、お母さんにいわれたから作ったんです。それから本当にどんどん運が開けてきたような気がします。
圓菊が語る志ん生夫人りんさん
古今亭円菊「背中の志ん生」 (うなぎ書房)より
かっこ( )内は引用者補足。