知的障害という名称は、障害福祉の領域では認知度の高い名称の一つです。今後も、医療や福祉の現場で使われ続けると思いますが、一方で、知的障害という名称は、精神疾患の世界的な診断基準とされるアメリカ精神医学会のDSM-5では「知的能力障害/知的発達症(Intellectual Disability / Intellectual Developmental Disorder)」という名称に置き換えられました。
※DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)は、2013年5月に米国精神医学会から出版されました。なお、日本語版は翌年の2014年に出版されています。現在では、このDSM-5を改訂した最新版「DSM-5-TR(テキスト改訂版)」がアメリカで2022年3月に出版されており、その日本語版は2023年9月に発行されました。
そして、2027年に日本で適用予定とされている、世界保健機関(WHO)が発効する国際的な疾病分類であるICD-11においても「知的発達症(Disorders of Intellectual Development)」という表現が用いられる予定となっています。なお、前版にあたるICD-10では、精神遅滞(Mental Retardation)という名称でした。精神遅滞という言葉は、障害が精神機能全体に及ぶ印象を与える懸念があり、用語の変更が為されたという経緯がある、とされています。
ところで、発達障害者支援法という法律があります。これは、2004年12月10日に公布され、2005年4月1日に施行された法律で、その趣旨は次のように記されています。
発達障害の症状の発現後、できるだけ早期に発達支援を行うことが特に重要であることにかんがみ、発達障害を早期に発見し、発達支援を行うことに関する国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、学校教育における発達障害者への支援、発達障害者の就労の支援、発達障害者支援センターの指定等について定めることにより、発達障害者の自立及び社会参加に資するようにその生活全般にわたる支援を図り、もってその福祉の増進に寄与することを目的とするものであること。(法第1条関係)
※引用元
厚生労働省公式サイト
17文科初第16号
厚生労働省発障第0401008号
平成17年4月1日
発達障害者支援法の施行について
https://www.mhlw.go.jp/topics/2005/04/tp0412-1e.html
この法律を元に、現在に至るまでの発達障害者に対する様々な施策が実施されてきました。幼児期から学童期、青年期から成人期に至るまで、発達障害の早期発見プログラムや、学校における支援クラスや教育、卒業後の就職など、医療・福祉・教育など様々な領域に施策が存在していることは皆さんよくご承知のことと思います。
そして、発達障害者支援法が生まれるきっかけは、冒頭に記したところの国際疾病分類であるICDの第10版に発達障害が位置づけられたことに依ります。ICDとは、「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD:International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」のことで、WHO(世界保健機関)の勧告により、国際的に統一した基準で定められた「死因及び疾病の分類」です。現行のICD-10は約14,000項目より構成されます。そして、第11版のICD-11が2022年1月にWHOから発効されており、現在日本ではICD-11に準拠した「疾病、傷害及び死因の統計分類」の使用に向けて、告示改正のための準備・調整等が進められており、2027年の適用を目指して作業が進められています。
※ICDは、1900年(明治33年)に初めて国際会議で承認され、日本も同年より導入されました。以降、WHOにおいて約10年ごとに改訂が行われており、ICD-10は1990年にWHO総会において承認され、日本では1995年より適用されました。
ICD-11を日本で適用するに際して、ICDで定められている英語表記の病名・用語について、日本語訳の見直し・変更の作業が並行して行われています。病名や用語の変更自体は、身体疾患や精神疾患といった疾患の種別を問わず、社会情勢や時代背景の影響も受けながら、その時代ごとに様々に生じているものではあるのですが、例えば次のような指摘があります。
アメリカ精神医学会による「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 5th Edition:DSM-5)」(2013/2014)の翻訳にあたっても、病名や用語について「児童青年期の疾患では、病名に『障害』とつくことは、児童や親に大きな衝撃を与えるため、『障害』を『症』に変えること」などが提案され、検討されたことが記載されている。そして、発達障害は、「神経発達症群/神経発達障害群(Neurodevelopmental Disorders)と「症」と「障害」がdisorderの訳語として併記されている。
※引用元
奈良女子大学学術情報リポジトリ
黒川嘉子(2022).「発達障害」用語の揺れ幅について,奈良女子大学心理臨床研究,第9号,pp23-28
https://nara-wu.repo.nii.ac.jp/record/2001966/files/aa12714928v9pp23-28.pdf
この『障害』を『症』とする提案は、ICD-11の日本語版作成にあたっても為されており、次のように指摘されています。
長くdisorderは「障害」と訳されてきたが、これについては問題も多かった。まずはdisabilityもしばしば「障害」と訳されることによる混乱である。厳密には、WHOの作成する国際生活機能分類によれば、disabilityとは能力障害という概念であり、機能障害(impairment)、社会的不利(handicap)と併せて用いられる。例えば弱視という状態そのものはimpairmentであり、それにより文字を読むうえで生じる困難はdisabilityで、文字から情報を得られないために生じる社会的不利がhandicap、というように各々の概念は整理される。
本来であればdisabilityの訳語や使い方を見直し、または正確な意味の周知を試みるという選択肢もあったかもしれないが、「障害」という語がもつネガティブな響きから、ICD-11日本語版作成にあたり、病名に含まれる(learning disorder、panic disorderなど)disorderの訳語を「症」にしようという提案が日本精神神経学会から2018年6月に出された。
これに続き、同月にはパブリックコメントの募集が行われており、そこに寄せられた回答の内容は、disabilityとの訳し分けを評価する声、disorderが「症」「疾患」「障害」と何通りにも文脈により訳し分けられる複雑さや一貫性の欠如に対する指摘、「障害」ではない一対一対応が可能な語の代替案(「不全症」など)の提案など様々あった。
※引用元
日本精神神経学会:精神神経学雑誌
ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ総論①
松本ちひろ(2021).ICD-11「精神、行動、神経発達の疾患」構造と診断コード,精神神経学雑誌,vol.23,pp42-pp48
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1230010042.pdf
ある言語を別の言語に翻訳しようとする場合、翻訳前の言語の意味からズレが生じてしまうことがあります。また、ある言葉に対応する翻訳語がそもそも存在しない場合もあるでしょう。また、翻訳された言葉が当初とは意図しない受け取り方をされることもあります。言語の翻訳に際して必ずつきまとうこれらの問題は、ICDやDSMの日本語版を作るに際しても発生しており、次のような指摘があります。
ICDならびにDSMでは、個々の障害についてdisorderという表現が用いられている。そもそも、このdisorderという表現は精神疾患に特異な表現であり、身体疾患に関してはdiseaseやillness、必ずしも疾患でないものはconditionという語が用いられるのに対し、精神疾患では活動レベルや社会参加におけるdisabilityに相当する訳語はなく、従来は「~障害」と訳されてきたが、disabilityやhandicapとの混同を避け、同時に障害という表現がもちうる誤解・偏見を考慮して、症という訳語が用いられるようになっている。・・・(略)・・・ここには専門家のみならず当事者団体の意見も反映されながら、知的障害の実態により近づける形で用語が翻訳され、また、その用語の違いを適切に反映するべく訳語も考慮されてきたという経緯がある。病名・用語がよりわかりやすいもの、当事者の理解が得られやすいもの、疾患への認知度向上に役立つものをめざして多方面での入念な検討を経てきたものであることに留意したい。
※画像および記事引用元
日本精神神経学会:精神神経学雑誌
ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ各論⑰
小川しおり・岡田俊(2021).ICD-11における神経発達症群の診断について―知的発達症,発達性発話又は言語症群,発達性学習症など―,精神神経学雑,vol.24(10),pp732-pp739
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1240100732.pdf
冒頭の知的障害という名称に話を戻します。
冒頭に記したように、知的障害という名称は、DSM-5では「知的能力障害/知的発達症(Intellectual Disability / Intellectual Developmental Disorder)」という名称に置き換えられました。これに関して、次のような指摘があります。
DSM-5においては、多軸診断におけるⅡ軸ではなく、神経発達症の中の1つとして位置付けられたが、他の障害と異なりIntellectual Disabilitiesとしてdisabilityであることが明示されている。ここには医療的支援を要する疾患ではなく、福祉的支援を要する状態像であるという認識が含まれている。知的発達症の程度(軽度~最重度)の判定においても、IQの範囲ではなく、概念的領域(読み書き、金銭、時間、数の概念など)、社会的領域(対人スキル、社会的責任感、自尊心、純粋でだまされやすい、問題解決、規則や法の順守、被害に遭うことを避ける)、実用的領域(身辺処理、職業機能、健康管理、交通機関の利用、規則正しい生活、安全、金銭の使用、電話の使用)などのそれぞれで達成されるべき課題などを参考にして決定される。
※引用元
日本精神神経学会:精神神経学雑誌
ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ各論⑰
小川しおり・岡田俊(2021).ICD-11における神経発達症群の診断について―知的発達症,発達性発話又は言語症群,発達性学習症など―,精神神経学雑,vol.24(10),pp732-pp739
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1240100732.pdf
知的障害という場合、多くの人がIQとの関連でイメージすることが多いのではないかと思います。実際、行政においても「知的障害とは」という定義について言及する際、IQとの関連で捉えられてきたという経緯があります。名古屋市の場合は、前回の手帳に関するブログでも記したとおり、次のようなものです。
※前回のブログ投稿記事
手帳の話
https://room-n-blog.tumblr.com/post/797639588834410496/%E6%89%8B%E5%B8%B3%E3%81%AE%E8%A9%B1
第 3 審理員意見書の要旨
1 本件に係る法令等の規定について
(1) 愛護手帳は、「名古屋市愛護手帳交付要綱」(以下「要綱」という。)第 2 条の規定によれば、知能指数おおむね75以下の知的障害者であって、同条各号のいずれかに該当するものに交付するよう定められている。
(2) 愛護手帳に記載する障害の程度は、「愛護手帳交付事務の手引き(平成29年度)」(以下「手引き」という。)によれば、障害の程度に応じて重度のものから 1度、2度、3度及び4度に区分することとされている。
この障害の程度の具体的基準は手引きにおいて定められており、障害の程度の 1度は知能指数おおむね20以下の状態、2度は知能指数おおむね21~35の状態、3度は知能指数おおむね36~50の状態、 4度は知能指数おおむね51~75の状態であるとされている。
また、知的障害は以下の条件を満たしていることが必要であるとされている。
・発達期に障害があらわれ、それが持続していること
・知的機能が平均より低いこと
・日常生活に障害があり、援助を必要としていること
※引用元
名古屋市公式サイト
答申書
https://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000085/85281/toushin30-9.pdf
ICD-11では、知能指数という表現は表立っては登場していません。知的機能に関する行動指標による重症度分類では、「児童期早期(~6歳まで)」「児童・青年期(6~8歳)」「成人期(18歳以上)」それぞれにおいて到達・獲得している水準により、軽度~最重度の4段階に分けられています。知能指数という表現は避けられているものの、平均水準から標準偏差の何倍程度下回っているか(パーセンタイル)について言及されています。知的障害という名称の変更に加えて、知的障害の定義そのものがIQ重視の従来の捉え方から変化しているということが見て取れます。
長くなったので、また機会があれば記してみたいと思います。