季報 2025秋
特集「エッセイについての小説」
文学フリマ東京41(2025/11/23) | 南1-2ホール | O-09
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季報 2025秋
特集「エッセイについての小説」
文学フリマ東京41(2025/11/23) | 南1-2ホール | O-09
よだつ
すべての恐ろしいことどもは、ぼくらの頭の中に棲んでいる――身の毛もよだつ、異彩の《毛》ホラー短編アンソロジー!
文学フリマ東京37(2023/11/11) | き-35
ジャンル
《毛》ホラーアンソロジー
ばちゃん、……ちゃぶりと微かに湯が動く。とまた得ならず艶な、しかし冷たい、そして、におやかな、霧に白粉を包んだような、人膚の気がすッと肩に絡わって、頸を撫でた。
泉鏡花 眉かくしの霊
ね群アドベントカレンダー2022
本企画について
文芸同人・ねじれ双角錐群によるアドベントカレンダー企画として、12月1日から25日まで、群員が毎日一つずつ何らかの記事を公開する。
既刊紹介記事の再掲から、書き下ろしの掌編小説やエッセイまで、多様な内容をお届けする予定だ。ぜひお楽しみいただきたい。
本記事は、企画まとめ記事として、随時以下のカレンダー表を更新していく。
カレンダー
日付 担当 記事 12/1 敷島梧桐 (本記事) 12/2 笹幡みなみ 掌編小説「名刺代わりの私の過去」 12/3 Garanhead 掌編小説「自分で作る! ジルバクテリア水晶オブジェクト 取扱説明書」 12/4 - 既刊紹介『望郷』 12/5 小林貫 ブログ「ローグライクで遊びましょう・2022冬」 12/6 cydonianbanana 掌編小説「虜囚図」 12/7 - 既刊紹介『廻廊』 12/8 murashit ブログ「すずめの戸締まり」 12/9 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ①~」 12/10 - 既刊紹介『アンソロポエジー』 12/11 笹幡みなみ ブログ「アニメ『ヤマノススメ Next Summit』各話エンディング考察」 12/12 Garanhead 掌編小説「新宿、午前五時、始発、各駅停車伊勢原行」 12/13 - 既刊紹介『心射方位図の赤道で待ってる』 12/14 小林貫 掌編小説「同期処理」 12/15 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ②~」 12/16 - 既刊紹介『来たるべき因習』 12/17 石井僚一 一行小説集「ことばの中にだけあなたがいた」 12/18 murashit 掌編小説「乗降場」 12/19 - 既刊紹介『無花果の断面』 12/20 cydonianbanana ブログ「LOTY 2022」 12/21 Garanhead 短編小説「四季の帯紐」 12/22 - 既刊紹介『故障かなと思ったら』 12/23 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ③~」 12/24 小林貫 デモ音源「100nenmae - Good writing(demo ver.)」 12/25 敷島梧桐 アドベントカレンダー2022終結に寄せて
第1回ねじれ双角錐群歌会
群員にて歌会を実施しました。参加者の短歌を公開します。 各歌に対する評は、今後公開するかもしれませんし、公開しないかもしれません。
「ああ、御免なさい。堪忍して……映すと狐になりますから。」
泉鏡花 小春の狐
六、この遺書は直ちに焼棄せよ。
芥川龍之介 遺書
先ず何よりも先に、閣下は私の正気だと云う事を御信じ下さい。
芥川龍之介 二つの手紙
わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然る可きだ。 わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。 夢うつつの中に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
魯迅 故郷
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
文部省 あたらしい憲法のはなし
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
宮沢賢治 ポラーノの広場
先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶店へ案内した。学生のすくない大阪には、本格的の喫茶店がなく、珍らしい土産話と思つたからである。果して知人は珍らしがり、次のやうな感想を述べた。先程から観察して居ると、僅か一杯の紅茶を飲んで、半時間もぼんやり坐つてる人が沢山居る。一体彼等は何を考へてゐるのだらうと。一分間の閑も惜しく、タイムイズマネーで忙がしく市中を馳け廻つてる大阪人が、かうした東京の喫茶店風景を見て、いかにも閑人の寄り集りのやうに思ひ、むしろ不可思議に思ふのは当然である。私もさう言はれて、初めて喫茶店の客が「何を考へて居るのだらう」と考へて見た。おそらく彼等は、何も考へては居ないのだらう。と言つて疲労を休める為に、休息してゐるといふわけでもない。つまり彼等は、綺麗な小娘や善い音楽を背景にして、都会生活の気分や閑散を楽しんでるのだ。これが即ち文化の余裕といふものであり、昔の日本の江戸や、今の仏蘭西の巴里などで、この種の閑人倶楽部が市中の至る所に設備されてるのは、文化が長い伝統によつて、余裕性を多分にもつてる証左である。武林無想庵氏の話によると、この余裕性をもたない都市は、世界で紐育と東京だけださうだが、それでもまだ喫茶店があるだけ、東京の方が大阪よりましかも知れない。ニイチエの説によると、絶えず働くと言ふことは、賤しく俗悪の趣味であり、人に文化的情操のない証左であるが、今の日本のやうな新開国では、絶えず働くことが強要され、到底閑散の気分などは楽しめない。巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐるなんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極のことである。昔の江戸時代の日本人は、理髪店で浮世話や将棋をしながら、殆んど丸一日を暮して居た。文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、生活がのんびりとして暮しよくなる。それが即ち「太平の世」といふものである。今の日本は、太平の世を去る事あまりに遠い。昔の江戸時代には帰らないでも、せめて巴里かロンドン位の程度にまで、余裕のある閑散の生活環境を作りたい。
萩原朔太郎 喫茶店にて
山道の行きつめた崖を曲つた時に、ふと私の前に歩いて行く、二個の明るいパラソルを見た。たしかに姉妹であるところの、美しく若い娘であつた。私は何の理由もなく、急に足がすくむやうな羞しさと、一人で居るきまりの悪さを感じたので、歩調を早めながら、わざと彼等の方を見ないやうにし、特別にまた肩を怒らして追ひぬけた。どんな私の様子からも、彼等に対して無関心で居ることを装はうとして、無理な努力から固くなつて居た。そのくせ内心では、かうした人気のない山道で、美しい娘等と道づれになり、一口でも言葉を交せられることの悦びを心に感じ、空想の有り得べき幸福の中でもぢもぢしながら。
萩原朔太郎 夏帽子
何処やらに沢山の人があらそひて 鬮(くじ)引くごとし われも引きたし
石川啄木 一握の砂
私が「ツール・ダルジャン」を訪ねたのは、画家の荻須高徳氏夫妻、それに小説家大岡昇平氏といっしょの時であった。見渡したところ、フランス人よりも外国人の方が多いようだった。こちらは旅先のことでもあるし、高いと言ったって、一羽とって皆で分けて食べればいいというつもりで入って行くと、タキシードを着用に及んだボーイが、銀盆の上で丸裸の鴨をジュージューやってスープを取っている。 早速、ボーイが私たちのところへ持って来た鴨は、半熟にボイルしてあり、二十四万三千七百六十七番という由緒を示す番号札が添えてあった。ボーイは見せるだけ見せると、番号札を残して鴨を持ち去った。 私は案内の者に、 「あんなことをしていちゃあ美味く食えない。食ったところで肉のカスを食うみたいなもので、カスに美味い汁をかけているに過ぎない。ほかの客のはあれでよかろうが、こちらは丸ごと持ってこいと言ってくれ」 と頼んだが、案内人の荻須氏の言葉を聞いたボーイはただ笑っているだけで、ボーイ長に伝える気振りもない。重ねて、 「料理屋で、身銭を切って食べるのになんの遠慮がいるものか。こちらがお客だ。もっと堂々と言ってくれ給え」 そこで、私は生まれて初めてのお芝居をやった。案内人を通じて、 「このお客は日本の東京近郊に住んでいて、家の前に大きな池があり、その池に大中小の鴨を何千羽も飼っている。音に聞えた鴨の研究家で、鴨の食い方、鴨の料理にやかましい人だ。特に研究家としては有名だが『自分ではあの焼き方が気に入らぬ』と言っている」 と、通訳してもらった。 上手に言えたかどうだか分らないが、ともかく、存外素直に持って来た。果せるかな、半熟でちょうどうまい具合に処理してあった。 これでよし。私はポケットに用意していた播州竜野の薄口醤油と粉わさびを取り出し、コップの水でわさびを溶き、卓上の酢でねった。私の調理法がどうやら関心を買ったらしく、タキシードに威儀を正したボーイたちがテーブルの前に黒山のように並んで、成り行きいかにと見つめていた。敢えてうぬぼれるわけではないが、かかる格式を重んじる店で、こんな仕方で調理したのは前代未聞のことであろう。並んでいるボーイ連中の関心も当然のこととうなずかれる。
北大路魯山人 すき焼きと鴨料理――洋食雑感――
芥川龍之介を論ずるのは僕にとつて困難であります。それは彼が僕の中に深く根を下ろしてゐるからであります。彼を冷靜に見るためには僕自身をも冷靜に見なければなりません。自分自身を冷靜に見ること――それは他のいかなるものを冷靜に見ることよりも困難であります。しかし、それと同時に、あらゆる文學上の批評の價値は、いかにその批評家が自分自身を冷靜に見ることが出來たか、と云ふ度合によつて測られるのであります。批評と云ふものが、他人の作品を通しての自分自身の表現であります以上は。
堀辰雄 芥川龍之介論
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
室生犀星 抒情小曲集より小景異情その二