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折口信夫 日本芸能の特殊性
ジェミニによる要約
田楽(でんがく)の歴史にちなんで、日本の芸能における重要な特徴をひとつお話しします。 田楽には「もどき」という役割がありました。この「もどき」という言葉は、現代の東京の里神楽でひょっとこが演じる「もどき面」などに広く残っています。実は、能のルーツをたどると、あらゆる場所にこの「もどき」の精神が顔を出しています。能の合間に演じられる「狂言」も、多くは本編に対する「もどき」の役割から発展したものです。 たとえば、能楽の中で最も古く、最も厳粛な儀式である「翁(おきな)」を考えてみましょう。 ここには「翁」と「三番叟(さんばそう)」という二人の人物が登場します。一見、白い面と黒い面を付け替えて違うことをしているように見えますが、その本質的な精神はほとんど同じです。 結局のところ、「翁が最初に出てきておこなった神聖な儀式を、後から出てきた三番叟が、もう一度繰り返しながら(少し形を変えて)解説している」のです。つまり、三番叟は翁の「もどき」なのです。 さらに言えば、その後に演じられる「脇能(神をたたえる能)」も、翁の儀式をその土地や演者に合わせて、より具体的かつ適切にアレンジして「繰り返したもの」です。 このように、「一度おこなわれた神聖なできごとを、少し形や解釈を変えてもう一度繰り返す(バリエーションを作る)」という性質の積み重ねによって、能の複雑な番組(五番能)は発展してきました。 なぜ、日本の文学や芸能はこのようなことをするのでしょうか? これは他国にも似た例があるかもしれませんが、日本の芸能の際立った傾向(特徴)を知るための重要なヒントになります。 この「全く同じことをもう一度繰り返す(複式)」という不思議な構造は、芸能だけでなく、日本で最も厳粛な宮中の祭りにも見られます。 たとえば、天皇が即位後におこなう最大の祭事「大嘗祭(だいじょうさい)」では、わざわざ「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」という二つの同じような宮殿を建てます。そして、それぞれの殿舎でほとんど同じ儀式を二度、繰り返しおこないます。 また、古代から神道の伝統を伝える「出雲国造(いずものくにのみやつこ)」の家系では、代替わりの際に天皇へ忠誠を誓う「神賀詞(かむよごと)」を奏上しますが、これもなぜか「1年目と2年目の二度にわたって」同じことをおこないます。 なぜ二度繰り返すのかという決定的な理由はまだ解明されていません。しかし、結果としてこれらはすべて、「一度おこなった神聖なできごとを、もう一度、複式(セット)でおこなう」という日本古来の文化的な癖(パターン)を示しているのです。
- - - - - - - - - - - - - - - - 100分de名著 折口信夫“古代研究” (3)「ほかひびとの芸能史」 - 動画配信
まれびとを模倣する行為「もどき」は日常性を超えた異世界性を帯びているが故に聖性をもち、その裏返しとして賤性をも合わせもつ。諸国を流浪する念仏踊りの聖や琵琶法師、門付け芸人らは、聖人的な側面をもちつつも「河原乞食」とも蔑称され疎外されてきた。こうした聖と賤が入り混じったダイナミズムこそが日本の芸能の特質なのだ。第三回では、現代の芸能文化や風俗にまで深く影響が及んでいる「聖と賤のダイナミズム」に迫る。
- - - - - - - - - - - - - - - - 筒井康隆 『熊の木本線』 | 脳の中の湖
ひょんなことから熊の木という部落のお通夜に参加した主人公は、うまい地酒をふるまれ、すっかり溶け込んでしまいます。 その席で繰り広げられる「熊の木節」。。。 なんじょれ熊の木 かんじょれ猪の木 ノッケ ノッタラカ ホッケ ホッタラカ トッケ トットットットットットッ♪ 部落の連中が、珍妙な踊りとともに、ちょっとずつ歌詞を変えて歌い回ると、男も女も笑い転げる。 (略) 実は、この歌を歌うと、この国に大変な不幸が起きるという、忌み歌だったのです。現に、過去に部落の者があやまって歌ったときには、いろんな事が起きたということ。 部落の者達は、歌を正確に歌わないように注意しながら、きわどく歌詞を変えて歌っているものだから、そのはらはら気分で、なおさらおかしかったと言うわけです。
- - - - - - - - - - - - - - - - フェイクとかヘテロフォニーとか
文学批評 「三島由紀夫『春の雪』――不可能な恋」 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
唐の世の元暁(がんぎょう)という男が野宿をして、夜中に目をさまし、ひどく咽喉(のど)が渇いていたので、かたわらの穴の中の水を掬(むす)んで飲んだ。 こんなに清らかで、冷たくて、甘(うま)い水はなかった。朝になって目がさめ、それが髑髏(どくろ)の中に溜(たま)った水だったので、元暁は吐(もど)してしまった。 しかしそこで彼が悟ったことは、心が生ずれば則(すなわ)ち種々の法を生じ、心を滅すれば則ち髑髏不二になり、という真理だった。 《しかし俺に興味があったのは、悟ったあとの元暁が、ふたたび同じ水を、心から清く美味しく飲むことができただろうか、ということだ。純潔もそうだね。そう思わないか? 相手の女がどんな莫連だろうと、純潔な青年は純潔な恋を味わうことができる。だが、女をとんだあばずれと知ったのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いていただけだと知ったのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味わうことができるだろうか? できたら、すばらしいと思わんかね?》 ここには、のちに影を落とす、聡子の純潔というテーマが先取りされていて、おそらくは洞院宮治典(とういんのみやはるのり)殿下への純潔にとどまらず、二重の裏切りとなる清顕へのそれも隠微な疑いの蕾を秘している。
元暁(がんぎょう617 - 686)は新羅の華厳宗の僧侶 https://w.wiki/SEWD
“村上春樹の妻が「なぜあなたは(夫と違って)何も表現しないのか」と問われて、「自分の人生をまっとうする以上の自己表現はない」と返したという話、とてもよい。”
— Xユーザーの西山里緒@Rio Nishiyamaさん
“芸能界で仕事始めたばかりの乙葉が普通の写真撮影だと思ってたら実は水着撮影だったので「聞いてない」と抵抗したら、事務所の人に「うるさい!この業界で水着にならなくていいのは松たか子だけなんだよ!」って言われた逸話、業界の色んな事情が含まれてて好き。”
— 野瀬大樹さんはTwitterを使っています
1.安全とは危険を考えること 2.そもそも安全は存在しない。本来存在するのは危険である。 3.安全な状態とは。危険を除去または制御し、その対策機能が維持されている特殊な状態である。
(「そもそも安全は存在しない」安全について書かれた張り紙にとても納得できる - Spotlight (スポットライト)から)
unbenannt by pyoko_fc
“「桁感(けたかん)」 大学時代、機械工学の専攻だったんですが、設計の先生から「いいか、物事の桁だけは間違えるなよ。数字は多少ずれててても大事にはならんが、桁を間違えてると、大事故になるぞ」と口酸っぱく言われていたのを覚えています。 それがきっかけで、物理的なものもそうでないものを、見たり聞いたりするするときに「桁感(けたかん)」を覚えたり推理するクセがつきました。こは何かしら頭の中でクイックな推論をするときに、かなり役に立っている気がします。”
— Xユーザーの田川欣哉 / Takramさん
Illustrations for magazine “3分クッキング2022”
Monthly release
I draw a picture of the season and a picture of the special feature of the month.
““推し"を"贔屓(ひいき)“と書いている人を見かけて、そうだ、そういう良い日本語があったじゃないか、と、ここ数年ほど感じ続けてきた違和感の正体が判明してすっきりした”
— Xユーザーのsabakichiさん
“「おや、お出かけですか?」という問いに、「いや、野暮用で…」と答えることがある。こうした場合、重ねて「野暮用って?」などと聞くのはそれこそ野暮である。”
— 野暮 - Wikipedia