ギャラリーに作品を発送したけどまだ未完のものも残ってるし、
10日後に始まる別の展覧会の作品もまだできてないし、
結構めちゃくちゃなんだけど、この数日の思考の流れを書き留めたい
(一旦アウトプットしておかないとずっと頭の中ぐるぐる回り続けて落ち着かない)
いつもの自分の作品よりかなり大きいサイズの布作品を作ろうとしていた。
それぞれの作品の仕上がりの長辺のサイズを決めてあったため、
ラフスケッチである程度の形、辺の長さ、角度などを出しておく必要があった。
正方形の対角線の長さとか直角三角形の斜辺の長さの求め方とか、すっかり忘れていた。
スケッチ上でどのような形をどのように組み合わせて決められたサイズにしていくか、
具体的な数値を出しながら形の大きさを決めていったことで、
私の中には自分がこれが良いと思える大きさの比率や色の組み合わせや質感の法則があるな、
なぜか突然「超ひも理論」をおさらいしようと思った。
作業がたてこむと、本を読む時間は全くない(というか、通年取れてない)ので、
Youtubeでそういった動画を流して勉強し直そうと思いつき、
超ひも理論についての様々な動画を流して作業していた。
超ひも理論が成立するためには、10次元ないしは11次元の宇宙が存在する前提が必要だという。
物理学者が想定する「超ひも」は、輪ゴムのような形をしていてたえず振動し続けているという。
ふと、「瞑想を続けているうちに、全ては振動であると感じた」という知り合いや
「滝行をしていたら、全ては粒子だとわかった」と話している知り合いの話が浮かんだ。
学者はまた、「超ひも」は10次元において「膜(ブレーン)」として存在するという。
曲面が複雑に入り組んだその形態のモデルをみてふと、
サイキックのゲリー・ボーネルが「時空間(主語が間違ってる気がするが)は毛糸の玉状に存在する」
と書いていたことを思い出し、そのイメージと似ていると思った。
スピリチュアルな感覚として語られる「全ては粒子」とか「時空間は毛糸の玉」とかの話は
科学の分野で語られる「超ひも」や「膜(ブレーン)」の話と同じことを言ってるのではないか?
ルドルフ・シュタイナーがどう言ってるか調べてみたい、と思ったので、関連の動画を探した。
シュタイナーに関係する動画を探していたら別の学問の動画が出てきた。
その学問は科学的知性と精神的知性を統合しようとしており、
シュタイナーの論説を絡めて量子物理学を語ってもいた。
シュタイナーの説と合わせると素粒子だと思われる」という。
仏教に関して検索してみると「仏教では、宇宙(時間と空間)のいたるところに
無数の仏が存在しているとしている。宇宙は仏で充満しており、自己の内にも、
宇宙空間のあらゆる場所に仏は連座していると説いている」と書いているひとがいた。
「つまり、量子力学とは、この世では見えない世界での話である。素粒子は魂であり、霊である」
別のあるひとは「愛は陽子(ようし)だ。(陽子が自己と他者をとり結ぶという意味)」
ところで量子物理学で行う計算は、虚数を使わなければ成り立たないらしい。
そういえば私はもともと数学が好きではなかったけど、
「存在しない数って何、どこの世界の話?」と思ったからだ。
だけど、あの時に考えを逆方向へ持っていけていたら、
きっと数学が楽しくなっていたんじゃないだろうかと思った。
「虚数」というのは「この物質世界・時空間・3次元世界の中で存在しない数」のことで、
つまりそれは、「見えない世界、4次元以上の次元の話」なのでは、と気づけていたら。
つまりそれは物質世界にいる人間からみると「死の世界」なんだけど、
なんの話をしてるのか、さっぱりわからなかったからだ。
宇宙の創生物語なのでは(神が素粒子なら)、しかも整合性がありそう、
そして、折りたためば見え方は無限と言っていいくらいに変化する。
やはり私の中の見えない世界、いわゆるたましいと、つながっているんじゃないかと思う。
わからないことが不安でアウトプットを阻害されることもあったし、
人にわかりやすくする努力が必要だろうか、と思ったときもある。
でも、超ひも理論から芋づる式にいろんなことを知ることができた今は、
とにかくインスピレーションが導いてくれるままに作り続けられればいいんだ、と思えるようになった。
振動する波に見えるものは、螺旋を描きながら回転しているのかもしれない。
折りたたまれた布の塊は、広げてみると、人間と同じ大きさがあるかもしれない。
(物質世界で)見えている形と、「本当のそれ」には違いがある。
死に対する考えかたも、うすらぼんやりという感じではなくなってきた。
それから、これはなんとなくだが、自分の最近作っている作品の、
形態に関する考え方の裏付けが少しだけできた気もする。
(という名称で呼んでいいのかどうかはわからないのだが、どういったものを指すか、なんとなく共通認識があるような気がする)
に共通するダサさ(すみません。。。)って、なんなんだろう。
ずっと不思議に思うことのひとつだったが、この流れで思い出した。
神の世界の美的感覚は物質世界の美的感覚では推し量れないということだろうか。