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『動物化するポストモダン』のとある批判に対する検討‐「動ポモ論争」への手紙 その2
1. 『動物化するポストモダン』の誤読されやすいポイントの整理
【前回】
http://shohei19890308.tumblr.com/post/98632547983
京都SFフェスティバルイベント【東浩紀大論戦】
http://kyofes.kusfa.jp/cgi-bin/Kyo_fes/wiki.cgi?page=%B9%E7%BD%C9%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6
さて,前回は時間的な都合上書けなかった『動物化するポストモダン』の解釈上の論争のポイントとそれの妥当性について検討してみることにする。
特に,しんかい氏が挙げた下記の3つのポイントについて論じながら,見てみたい。
【しんかい氏の主張】
① 近代人のフィクション消費の説明が箇所によって矛盾している。
② データベース消費の説明が箇所によって矛盾している。
③ 萌え要素の説明が箇所によって矛盾している。[1]
まあ,③については,ぼくはある程度,前回答えたつもりだったのだが,反応を見る限り意図が伝わっていなかったようなので,補足から始める。そして,③についての解釈を理解することで,①,②の解釈も同様に理解出来ることだろう。
1.1 ③萌え要素の説明が箇所によって矛盾している・・・のか?(前回の補足)
ぼくのこの論点への答えを最初に述べておく。萌え要素の説明は,矛盾していない。
「萌え要素」は,67頁に初出であり,ちゃんと定義もされている。しんかい氏の主張するように「さりげなく」読者を誤読させるような「トリック」でも「グラデーション論法」でもなんでもない。しんかい氏の作者の意図の「悪意のある深読み」であり,テクストを順番に追っていけば,理解できるはずだということだった。それについては,ぼくは最初にコロンブス氏の意見に同意する形で主張していたはずだ。前回の主張を要約すれば,批判するのであれば,悪意のある深読みによって,印象操作をするのではなく,まずちゃんとテクストに向かい合うべきだというものであった。それは,あくまでも批評に対する形式的な批判であった。
一方で,解釈上の問題に関しては,前回にはあまり踏み込まなかった。(というより,後で書くと言っていたのであるが)
なるほど。確かに,一般的に言われる「キャラ萌え」と類似概念として「萌え要素」があるということは事実であり,それをしんかい氏の言うように「情報=非物語」≒「キャラ萌え」≒「萌え要素」と読むことが出来る。それについては,ぼくは否定していないし,もちろんその読み方は正しいと思う。
だが,それでも,ぼくは,矛盾はしていないと主張する。しかしそれには,前回も言ったように「物語」という概念についてどのように考えるのかということについてもう少し踏み込まなければならない。さらに逆に対義語の「非物語=情報」という概念を,『動物化するポストモダン』の中で,どのように扱っていたかということを,詳細に見ていく必要がある。
この部分はぼくも東浩紀の書き方が「誤読」を誘発させるような書き方をしていると思うし,少々ややこしい部分もあるので,少々字数を要するが,理解すれば,難しい話ではないはずだと思う。
1.2 『動物化するポストモダン』の物語の関連概念の整理
しんかい氏の主張にもあるように,本文中の中で使われている「物語」という用語には注意が必要である。東浩紀は,本文中の中で,いくつかの関連概念を織り交ぜながら論じている。簡単に整理してみよう。
【誤解されやすい関連概念の整理】
A) 大きな物語©リオタール
B) <大きな物語>©大塚英志
C) 虚構の【大きな物語】(大塚英志の修正版)©東浩紀
D) 「大きな非物語」 ©東浩紀
以上,4つが誤解をされやすい概念である。
まず,Aのリオタールの概念についてであるが,注19(179頁~180頁)にもあるように,本書の中では,リオタールの固有の概念というよりも,拡大解釈されてよく使用されている広い意味で,小さな物語,大きな物語を使っている。ここで言う大きな物語とは,下記のように説明される。
一八世紀末より二〇世紀半ばまで,近代国家では,成員をひとつにまとめあげるためのさまざまなシステムが整備され,その働きを前提として社会が運営されてきた。そのシステムはたとえば,思想的には人間や理性の理念として,政治的には国民国家や革命のイデオロギーとして,経済的には生産の優位として現れてきた。「大きな物語」とはそれらシステムの総称である。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 44]
つまり,言い換えれば,「社会」を構築する上での価値規範のシステムが,Aの大きな物語である。逆に小さな物語とは,個々人や小規模の集団の中だけで機能する独自の価値規範のことであると言える。
では,次に大塚英志のBの用語について見てみよう。この<小さな物語><大きな物語>については,先ほどのリオタールのAの概念を拡張させた概念として用いられていると言っていいだろう。東は下記のように大塚英志の概念を要約する。
大塚はここで,「小さな物語」という言葉を,特定の作品のなかにある特定の物語を意味するものとして用いている。対して「大きな物語」とは,そのような物語を支えているが,しかし物語の表面には現れない「設定」や「世界観」を意味する。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 50]
東はこうした大塚のB<大きな物語>について,ポストモダンの世界像を表していると一定の評価を与えつつも,さらに一つ修正を加えると言う。(54頁~56頁を参照のこと)それが,Cの概念の©東浩紀の【大きな物語】である。それは端的に言えば,「大きな物語の捏造」,つまり,現実とは別の虚構を従来のリオタール的なAの大きな物語の替わりに,サブカルチャーの想像力によって「代補」する。つまり, (虚構の)大きな物語の捏造があったというのである。ここが,理解できれば,最初の問いの①近代人のフィクション消費の説明が箇所によって矛盾しているは,この部分を読み飛ばしているということで理解出来るだろう。[2]
東浩紀は,大塚英志について,ポストモダン的な時代の変化には敏感であったが,しかし,その全面的な変化を捉えることは出来なかったと考える。ポストモダン化の進行によって,Dの大きな(虚構の)物語すらも必要としないオタクが登場してきたと言うのだ。
東によれば,こうしたオタクは,ポストモダンの2層構造つまり,作品というシミュラークル[3]が宿る表層と設定というデータベースが宿る深層を明確に区別し,「解離的」に消費をするという。どういうことか。
『ガンダム』と『エヴァ』の対比の箇所で,東はこのように論じる。
『ガンダム』のファンは,一つのガンダム世界,つまり,先ほど整理したCの(虚構の)大きな物語を必要としていた。一方で,『エヴァ』のファンは,Cの全体の(虚構の)大きな物語には,あまり興味を示さず,二次創作的な過剰な読み込みやキャラ萌えの対象としていた。そして,『エヴァ』自体も,オリジナルの作品自体が,非常にシミュラークル的な作品として,製作されている点についても論じる。そして,大塚英志の「大きな物語」(C)と対比させ,「大きな非物語」(D)と名付けるのである。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 62]
1.3 情報の2つの意味‐解離的な消費について
少々回り道になったが,議論を戻そう。東は,先ほどの62頁の「大きな非物語」の定義の箇所のあとに,このように続ける。
『エヴァンゲリオン』の消費者の多くは,完成したアニメを作品として鑑賞する(従来型の消費)のでも,『ガンダム』のようにその背後に隠された世界観を消費する(物語消費)のでもなく,最初から情報=非物語だけを必要としていたのだ。(下線部は強調のため) [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 62]
あくまでもぼく個人の経験だが,ここの下線部の「情報=非物語」だけという強調部に関して,引っかかりがあるという人をよく見かける。だが,ここで言う「情報=非物語」というのは,二重化されていると理解されなければならない。どういうことか。
東は,以降の文章の中で,この情報=非物語の類似概念の「萌え要素」についてこのように定義する。
消費者の萌えを効率よく刺激するために発達したこれらの記号を,本書では,以下「萌え要素」と呼ぶことにしよう。萌え要素のほとんどはグラフィカルなものだが、ほかにも、特定の口癖、設定、物語の類型的な展開、あるいはフィギュアの特定の曲線など、ジャンルに応じてさまざまなものが萌え要素になっている。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 67]
東浩紀のここで言う物語の類型的な展開という用語については,前回指摘したように,清涼院流水の箇所で,詳しく論じられる。東浩紀の中では,ある種オタク文化に表れる典型的なあらゆるパターンが,「萌え要素」という扱いになっているのだ。物語も結局のところ,分解していけば,「萌え要素」≒情報の組み合わせにしか過ぎないということだ。
東は,後半部に入るところで,ウェルメイドな物語に引きつけられる欲求の次元と,データベースそのものに向けられる欲望を峻別して論じている。ウェルメイドな物語というのは,先ほど述べた「萌え要素」≒情報の組み合わせのことである。一方でデータベースというシステムそのものへの欲望とが解離的に存在しているというのである。
では,エヴァについての箇所で,東浩紀が,「情報=非物語」だけを必要としていたと言う時,どういうことを意図していたのか。オタクは,データベースのシステムだけを,欲望していたのだろうか。
それについてはこのように読めば良い。つまり,ここで言う「情報=非物語」は,①小さな物語=「萌え要素≒情報=非物語の組み合わせ,集合体」への欲求と②「大きな非物語」というデータベース(情報の束)そのものへの欲望の2つが解離的存在しているということを指していたのだ。[4]つまり,この「情報=非物語」は,表層のシミュラークルと深層のデータベースの次元で,二重の意味で用いられている。
これを理解すれば,『エヴァ』の箇所とノベルゲームの箇所は全く矛盾なく読めるのである。[5]よって,③萌え要素の説明が箇所によって矛盾しているという論点は,棄却される。
合わせて,データベース消費という概念が,箇所によって違っているという②の問いも同様に棄却される。 この問い自体は,情報という概念が二重の意味で用いられていると読解すれば,問題はないのである。
2. まとめ
以上のように,動物化するポストモダンの解釈上の誤解について,特にしんかい氏の論点から見てきた。①~③のしんかい氏の批判は全て,棄却されたと言えるだろう。しかし,しんかい氏のこの実証主義的な批判については,ある程度,妥当性があると思われる。
東の議論は二重にまちがっています。第一に、オタクは物語性や作家性を比較的重視する人々です。第二に、もしオタクがそれらを無視するようになったとしても、そうした消費は他のジャンルではもともとありふれていますから、ポストモダン化や「動物化」の証拠にはなりません。いくら話をこじつけても、これほど現実離れした議論の筋を通すには限界があります。そのため東は、随所に噴出する矛盾を、グラデーション論法などのトリックを駆使して隠蔽する必要があったのです。 [しんかい36(山川賢一), 東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編 2014]
確かに,「おたく」には物語性や作家性を重視する人々がいることは事実である。だが,それは,東のように,物語を細分化してしまえば,萌え要素=情報の集合体でしかないのだという主張との神学論争になってしまいかねないので,前回私は,それについては避けたし,今回についても,同様である。結局のところ,それは物語に対する態度の違いとしか言えない。
そして,第二の批判,もともと,このような消費はありふれたものであったと言う主張については,一定の妥当性を認める。ただし,そのような主張はどんな議論も結局古くから言われてきたことの現代版の言い換え,読み替えに過ぎないといいことに他ならない。逆に言えば,古い用語や本を新しい言葉で読み替え更新していく行為こそを,批評と呼ぶのだろう。[6]それを東浩紀は,『存在論的,郵便的』の中で「古名の戦略」という用語で論じていたのではなかっただろうか。
では,また時間があれば, 3『動物化するポストモダン』の問題点について論じてみたい。[7]
3. 文献目録
Columbus20. 2014年8月16日. https://note.mu/columbus20/n/nce14a10a29fa [アクセス日: 2014年9月26日].
しんかい36(山川賢一). 2014年9月22日. https://twitter.com/shinkai35/status/514254686350630912 [アクセス日: 2014年10月3日].
—. “東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編.” https://note.mu/shinkai35. 2014年8月13日. https://note.mu/shinkai35/n/n01e8e2ccebaa [アクセス日: 2014年9月26日].
東浩紀. 『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』. 河出書房, 2011.
—. 『存在論的、郵便的−−ジャック・デリダについて』. 新潮社, 1998.
—. 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』. 講談社, 2001.
[1] https://twitter.com/shinkai35/status/514254686350630912
[2] この点については,コロンブス氏としんかい氏が既に論じており,詳細は, 下記参照のこと。東浩紀『動物化するポストモダン』-「近代的消費」をめぐる議論
[3] シミュラークルとは,ジャン・ボードリヤールの概念であるが,本書の中では,東は詳細には触れず,本物と偽物の区別が存在しない「中間形態」という意味で使用している。詳しくは,『象徴交換と死』『シミュラークルとシミュレーション』を参照のこと。
[4] 正確には, データとは「客観的な事実を数値や文字、図形、画像、音声などで表した資料」であり,客観的事実=カントで言う物自体と言い換えることが出来る。一方、情報(インフォメーション)とは「ある目的のために役立つデータ、あるいはデータを基に加工された資料」であり,意味を持つデータが情報なのである。だが,この文脈では情報≒データとして意味を読んでも問題ないだろう。
[5] また,東浩紀は,ドラマという用語も使っているが,こちらについては,脚本のような意味合いで使っていると思われる。
[6] しんかい氏に対して言えることは,少なくとも,批判する上では,データベース消費的に東浩紀の発言や著作に,自分の怨念を読み込むのではなく,著者の意図を読み解いた上で,なおかつCの修正版の物語消費的に,ある程度まとまった虚構を捏造するレベルの批判をしていただきたい。データベース消費を批判するしんかい氏が,東浩紀をデータベース消費的にしか消費できていないことこそが,しんかい氏が奇妙なテクストを書くように至った原因なのだと分析する。
[7] あくまでも余談レベルだが,前半部のオタク輸入説というものを実証主義的に否定するといったことは,特に意味がない揚げ足取りに思われる。また,ガンダムを古いものとして,エヴァを新しいものとして語るのは,確かに少し無理があったように思われる。(『ターンAガンダム』以降のガンダム作品を見よ)ただしそれも今になってから言えることなのである。エヴァ自体が,物語消費とデータベースの過渡期の作品であったのだから。それらの実証主義的な批判について,全てぼく個人はどうでもいいと思う。
『動物化するポストモダン』のとある批判に対する検討‐「動ポモ論争」への手紙
いわゆる「動ポモ論争」について,盛り上がりの一助にでもなればと思い,書いてみる。
まず一連の論争に関する感想から。
ぼくは,Columbus20氏と親しい。だがそれ云々を抜きにして,しんかい氏の批判は不当だと思う。(何故かは下記で説明する)。
そして,Columbus20氏の文章は,コンスタティブな文章としてはかなりずるいものだった。(本人は明らかに作為的にそのような文章を書いたと思う)
まあ,パフォーマティブに成功しているので,やはり,身内ながらさすがというしかない。(明らかに意図的である)
別に場外乱闘めいたことも多々あったのは,だいたい検索して追っていたが,それらについては,字数上やめておく。
Columbus20氏の文章の結論自体は,同意する。しんかい氏は,自身の「怨念」によって正確にテクストを読めていない。だが,だからといって,しんかい氏の主張の一つである下記については同意である。(それについては,多分Columbus20氏も同意するだろう)
一見平易な文章で書かれているにもかかわらず、『動ポモ』には難解な面があり、論者により解釈が一致しないことにあります。 [しんかい36(山川賢一) 2014]
さらに言えば,しんかい氏の言うように,『動物化するポストモダン』自体が抱える根本的な問題点についてもっと指摘されるべきだろうと思うし,アップデートはさらに必要だろう。[1]
では,感想は以上にして,「動ポモ論争」は,下記の通りにされなければならないとかんがえる。
しんかい氏の批判の妥当性の検討
『動物化するポストモダン』の誤読されやすいポイントの整理。
『動物化するポストモダン』の問題点
2と3については,今回は割愛して別の機会に書くとする。
1. しんかい氏の批判の妥当性の検討
さて,では始めることにする。
可能であれば,用意して頂きたいのだが,スマホやタブレット用のKindleアプリで,『動物化するポストモダン』を買っていただけば,以下はより分かり良いだろうと思う。
ではしんかい氏の主な批判は,下記の通りであると言えるだろう。
A) 「萌え要素」の定義が箇所によって違うため「データベース消費」という概念は矛盾している
A) 「萌え要素」の定義が箇所によって違うため「データベース消費」という概念は矛盾している・・・のか。
では,批判について見てみよう。
しんかい氏は,エヴァの箇所では,オタクは,原作のストーリーを無視し,後半のノベルゲームの箇所ではオタクは,原作のストーリーに没入するという矛盾を指摘する。(その批判の妥当性については,別途検討する)
その鍵は,「萌え要素」の定義が,変遷しているためであるという。しんかい氏によれば,萌え要素は,当初は,非物語=情報というものだったはずなのに,あとづけで,「物語の類型的な展開」もその中に含めてしまうことで,上述の矛盾を矛盾に感じさせない「トリック」を成立させているのだという。ではこの主張はどこまで妥当性があるのか。
まず,「萌え要素」とは何か。ここで,Kindleの検索に頼ることにしよう。目次以外で,「萌え要素」というワードが初出するのは,67頁の下記の東の定義である。
消費者の萌えを効率よく刺激するために発達したこれらの記号を,本書では,以下「萌え要素」と呼ぶことにしよう。萌え要素のほとんどはグラフィカルなものだが、ほかにも、特定の口癖、設定、物語の類型的な展開、あるいはフィギュアの特定の曲線など、ジャンルに応じてさまざまなものが萌え要素になっている。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 67]
しんかい氏の文章には,下記のように書かれている。
『エヴァ』について、東は、オタクが求めているのは「情報=非物語」だけだ、と述べていました。続く箇所で、東はこの「情報=非物語」を「萌え要素」と名付けます。そして「萌え要素」についてくわしく説明する段階で、さりげなく「物語の類型的な展開」をそのなかに含めてしまうのです。 (しんかい36(山川賢一) 2014)
東浩紀は,一般に言われる「キャラ萌え」については,67頁以前に言及はしていた。(初出35頁)
だが,「萌え要素」という東浩紀独自の用語については,エヴァについて論じていた時点では,論じていない。多分,しんかい氏の批判は,この一般的な「キャラ萌え」と東浩紀ワードの「萌え要素」を混同していたことから始まっている。つまり,誤読なのである。
しんかい氏の文章だけを追っていると,『動物化するポストモダン』の概説から始まっているため,萌え要素について先行で説明があるために,しんかい氏の文章自体の読者についても同様の誤読を招く要因になっているのだろう。
では,エヴァとノベルゲームのオタクの態度の矛盾についてはどうか。これについては,しんかい氏の言うとおり多少ややこしい部分がある。だがここで重要なのは,「エヴァとノベルゲームの<間>に何が書かれていたか。」ということなのである。
しんかい氏は,明らかにこの点を「読み飛ばしている」。
東浩紀は,<間>で,清涼院流水という稀有な作家について言及している。「ミステリの要素も萌え要素に」という節で,先ほどの物語の類型的な展開が萌え要素として消費されているかを論じている。(清涼院流水については,だいたい78頁から82頁を読めばいいだろう)
清涼院流水が,ミステリの萌え要素を自己言及的に用いているということを東浩紀が論じていることを,ノベルゲームに置き換えれば,特に論理的な飛躍はない。
まあ,それでも,しんかい氏の主張は,オタクは作家性や物語性を重視しているということであるというのであれば,それは,「物語性」という定義の神学論争になってしまいかねないので,あまり深くは言及しない。そこについては,他の研究を交えた別の議論が必要だろう。ただ,「ミリタリー」と「美少女」という萌え要素の組み合わせである「艦これ」をやっているオタクが,物語性を重視しているとはいえないだろう。[2]
以上が,簡単にしんかい氏の批判に対するぼくなりの読解である。
だが,誤解しないで欲しいのだが,『動物化するポストモダン』自体が完全に正しいというつもりはない。ぼく個人としては,いくつか(しかも決定的な誤り)があると思っている。それについては,別途時間があれば書いてみようと思う。
一つ,具体的な箇所だけ挙げておく。特に重要なのは下線部のところだ。あとは,『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』を読めば自ずと言いたいことが分かるはずだ。
しかし実際には,この20年間,その両者を区別なく扱う消費行動がますます力を強めている。かわりにそこで台頭してきたのが,いままで述べてきたように,キャラクターや設定や萌え要素のデータベースであり,このデータベースとの関係に基づいた別種の基準である。そこではコピーは,オリジナルとの距離ではなく,データベースとの距離で測られる。 [東浩紀, 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』 2001, 80]
では,時間があれば,続きを書こうと思う。特にしんかい氏と論争するつもりも時間もない。上にも書いたが,あくまでも盛り上がりの一助になればと思い書いたのであって,論争はColumbus20氏にお願いしたい。
文献目録
Columbus20. 2014年8月16日. https://note.mu/columbus20/n/nce14a10a29fa [アクセス日: 2014年9月26日].
しんかい36(山川賢一). “東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編.” https://note.mu/shinkai35. 2014年8月13日. https://note.mu/shinkai35/n/n01e8e2ccebaa [アクセス日: 2014年9月26日].
東浩紀. 『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』. 河出書房, 2011.
—. 『存在論的、郵便的−−ジャック・デリダについて』. 新潮社, 1998.
—. 『動物化するポストモダン‐‐オタクから見た日本社会』. 講談社, 2001.
[1] もちろん,アップデートはされ続けているわけだが。続編の『ゲーム的リアリズムの誕生』や関連書籍である宇野常寛『ゼロ年代の想像力』,濱野智史『アーキテクチャの生態系』,福嶋亮大『神話が考える』,千葉雅也『動きすぎてはいけない』,稲葉振一郎『モダンのクールダウン』などなど)
[2] だが,そういったものについても,物語性を重視するという人はいることは確かだ。どちらかと言えば,しんかい氏は,重視する人で,東浩紀自身はどうなのかは分からないが,ぼくはあまりしない。
「現在では、ツイッターなどのわずか一〇〇語足らずのつぶやきで、宗教間や宗派間の対立を煽ることだって可能なのである」。著者は、「これを自由の代償とみなすのか、それとも駆除の対象とするのかは、われわれ自由社会に住む者に突きつけられている深刻な問いかけでもある」と述べ、われわれにも問題を投げかけている。
早稲田大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ : 『サイバー・イスラーム-越境する公共圏』保坂修司(山川出版社)
―『おに禁』はタイトルのインパクトが非常に強いですよね。もちろんこの右手というのはオナニーをする際の手を指していると思うのですが、右手の使用禁止という点に対して左手派のユーザーから何か反応はありましたか? ちゃ:予想以上にありました(苦笑)。いまの若いユーザーは、右手でマウスやスマホを握って、左手を使うみたいなんです。でもゲームタイトルでは右手の使用を禁止しますとうたってはいるけれど、重要なのは右手そのものじゃなくて、怪我をして腕が使えないから看病してもらうってことです。左手派の方も思う存分、妹たちに看病してもらえばいいと思います。
(4ページ目)おっぱいは膨らみかけが一番! 萌え萌えの妹たちとキャッキャウフフな“性”活が送れる『お兄ちゃん、右手の使用を禁止します!』|おたぽる (via katoyuu)
エイプリルフールに嘘つくような正直者はいつも何かに騙されてる気がする
Twitter / penimama: エイプリルフールに嘘つくような正直者はいつも何かに騙 … (via yasunao) (via mcsgsym) (via yaruo) (via feel-so) (via tin25000) (via shortcutss) (via dumdumbullet) (via himatbshiz) (via kikuzu)
尾崎康弁護士(尾崎豊の実兄)がとある懇親会でスピーチ。 「えー、”15の夜”の”盗んだバイク”とは、実は私のバイクでございまして、”I love you”の”きしむベット”は、弟の部屋に実際にあったベットです」とのこと。
Twitter / mitsuba20000 (via katoyuu)
昨日見た なんかのアダルトデータ個人販売系サイトの注釈で ”※タイトルの高一女子とは「高知県に一度住んでいた女子」を指す当社の独自用語です” って書いてあるの見て死ぬほど笑った
暗示ェさんはTwitterを使っています
ああ、あった
"この映像は日本国が定める法令に則った形で撮影されており、違法行為は一切ありません。
本文中の「高1」ならびに映像内の「こういち」という表記、語句は「高等教育を1年以上受けた経験のある女子」の弊社オリジナルの呼称であり、年齢を表す意味では用いられておりません。”
https://twitter.com/stasis55/status/513908342268243968
昨日見た奴と文言がちょっと違う!
何パターンかあるのか!
https://twitter.com/stasis55/status/513908532886794241
※注、上記の表記「JK」、「JC」は、弊社オリジナルの呼称であり「JK=ジャパニーズ・かわいい子」「JC=ジャパニーズ・超かわいい子」の略になります。
https://twitter.com/stasis55/status/513908658355195904
文中の「中3」ならびに映像内の「ちゅうさん」という表記、語句は「中野区在住1年目の女子」の弊社オリジナルの呼称であり、年齢を表す意味では用いられておりません。
https://twitter.com/stasis55/status/513908839414898688
だめだ、パターンが色いろあるのに気付いてハラ痛い……
https://twitter.com/stasis55/status/513908981639553024
(via chptr22)
タイ人の友人が 「日本の女性は化粧に頼る。韓国の女性は手術に頼る。中国の女性はフォトショップに頼る。タイの女性は女性ですらなくて男性」と言っていて自国をオチにしていて不覚にも笑ってしまった。
Twitter / John615hkt (via shinoddddd)
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