It’s been 11 years. All the kids I met there have grown enough to understand what has happened. Some hates volunteering people somehow. It’s quite difficult to understand it but I’ve gotta tell them something very important as a person went to rescue the refugees. この半年、やたら被災地出身の子達と顔をあわせる事が多かった。我々が被災地支援に行った時は子供だった子達がほとんどだが、大人もいた。 中でも石巻、相馬…といった出身者がいて、彼らは支援者や東京などから来る人達に違和感を持っていたと言う。 どちらも訪れたところであり、相馬に関しては縁もゆかりもない地元の人たちと連絡を取り合いながら支援物資を運ぶほど通ったので、話し込んでしまった。 10年前、帰国直後に起きた大災害。身一つだった自分は渡米中に凍結されていた銀行口座を諦めて、被災地支援のお金を入れてもらうだけの口座を作ることに。 なぜなら”赤十字”は”赤十字”が大事なわけで、100%募金なんかされないわけで、しかも使途はいつも不明。 アメリカで学んだ彼らの手法はどうしても納得がいかなかった。 で、結局物品と現金あわせて600万近くを集め、状況を逐一寄付者に報告しながら、現地に全て届けた。 SNSの力が有効に働いた時だった。福島に行け、というアイディアは”被災地支援もMD戦略を応用して考える”オヤジからだった。”皆ビビって行かないところへこそ行けるのが、悪ガキ”。 確かに恐れ知らずの男たちが集まって一緒に行ってくれたものだ。 死者の臭いが立ち込める廃墟の中、自衛隊や極道・土建・漁師などの自警団、諸々の地元の人々の疑うような視線を浴びつつ(我々の見た目も悪かったのだろう)、目的地まで突き進んで支援作業や解体作業に従事した…。 仲間も相当な思いをもって一緒に行ってくれた。 支援作業を行なっている最中に震度6の余震がきたり、土砂で常磐道が崩れてしまったり、極め付けは津波警報が再び発令されるようなサイレンが念の為に鳴らされたりする浜辺で寝泊まりした事もあった。 だが、我々より少し若い出身者の考え方は異なっていた。 『東京モンの、自己満の観光的な被災地支援は、メーワク!』 前述の二人にこういう実際の気持ちを聞いて…なんとも言えない気持ちになってしまった。 自分は福島での活動時期が早すぎたのか、なんだったのか、娘は甲状腺機能に異常を持って生まれることになったし、その娘を農業を通して治していく過程は、果てしない挑戦に感じたが、今や完治して元気に育ってくれている。 この話も理解しえぬガキどもに”メーワク”と言われて、言い返すに至ってしまった。 普段なら言わないのに。 しかも片方は、結婚式のアフターパーティ的な場で… 周囲には悪いなあと思いながら… しかし結婚当事者のひとことに救われたよ。 「被災地の出身者が被災地を”背負うような”社会であるということは、社会にこそ責任がある。」 この言葉は、本当にそうだなと思った。 俺は、あれから福島の出身者や、宮城、岩手、自分が行ったところの出身者と会えばこういう話になることもある。だけど、これまで以上に気をつけないと…いけないんだな。 センシティブなんだな、と思った。 あれから11年、日本はより一層悪い国になった。もはや国家の体裁を成していない。 これからを生きる子供達に自分らが何をどう伝えれるか… #311 #東日本大地震 #震災復興 #11年 #2011311 (女川町) https://www.instagram.com/p/Ca8F3wFB9Ho/?utm_medium=tumblr














