Today’s 11 years since the tsunami, Hamadori, Fukushima, Jul2021
< 【NHK】3/11 - The Tsunami: The First 3 Days >
< First set >
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Today’s 11 years since the tsunami, Hamadori, Fukushima, Jul2021
< 【NHK】3/11 - The Tsunami: The First 3 Days >
< First set >
2022年3月11日。11年前に、FREE FANZINE THE BONOBOSへ寄稿した文。あれから11年しか経っていないのか、11年も経ってしまったのか。
駐車場へ送る道の途中「日曜日の夜はいつも、世界の終りのように淋しいね」と私が言うと、君は半分に欠けた月を見上げながら「それだと毎週、世界の終わりが来るね」と言った。それから、私たちは泣きながら笑って、手を振って別れた。
その日の夕食は、いつもと同じに二人で話し合い「かにと豆腐の塩味あん」を作ることにした。二週間前に買ったオレンジページの「豆腐でごはん」をめくりながら決めた十四ページに載っているレシピ。三ページに後ろの「豆腐のキムチチゲ」とも迷ったのだけれど、家に紅ずわいかに缶があったのが決め手となった。うっすらと埃をかぶっていたそれは、昨年末に勤め先に送られてきたお歳暮を一缶だけ貰って来たものだ。今思うと、その日はその缶詰の蓋を開ける丁度良いタイミングだった。私はそれを逃さなかったことを嬉しく思う。
必要な材料を確認し、近所のスーパーマーケットへ出かけた。最初に絹ごし豆腐をカゴに入れる。豆腐の横に陳列してある厚揚もメニューに加えることにした。白ネギは青い部分が比較的短いものを選んだ。鶏ガラスープの素は希望のものが売り切れていたけれど、二人ともさほどこだわりがなかったので今後使われる機会が少ないことを考慮して容量の一番小さいものにした。今日は私の好きな惣菜のカニ風味サラダは買わないでおいた。三月半ばの外気温とスーパーマーケットの室温はあまり大差なく感じられた。きっと五度以上違うと思うが、どちらとも想像していたよりも寒いという印象は同じだ。
帰ってきてからまず、米を研ぎ炊飯器にしかけた。「かにと豆腐の塩味あん」は彼女が作ってくれた。豆腐をキッチンペーパーの上に置き、適当に選んだ小皿をその上にのせて水切りをした。白ネギと生姜はみじん切りにし、サラダ油で炒めた。その間、私は厚揚げを切り、薬味用の生姜を擦った。どちらが決めるともなく分担して料理するのはとても楽しかった。
彼女が選んでくれた一枚百九十八円する厚揚は噛めば噛むほど大豆の味が滲みでて、とても美味しかった。私が二日前に作った大根と揚げとわかめの味噌汁を彼女は美味しいと言って食べてくれた。かにと豆腐の塩味あんは「優しい味だね」と言いながら、二人とも少し物足りなくて醤油を落とした。
食器を洗い終わった後、換気扇の下で煙草を吸いながら、いつ向こうに発つのか、新しく調理器具は買ったのかなどと、今後のことを話した。
先週と同じようでいて、決定的に違う日曜日。
遠く離れた場所で起こった出来事は、私(たち)の目に見えない部分までも一変させた。
それでも私は、今夜もまたいつもと同じに米を炊き、味噌を溶く。ささやかなる抵抗と祈りを込めて。
私は自分が住んでいる土地がとても好きです。アパートはちょっと古くて台風が来ると雨漏りがしたりしますけれど、日当たりがよかったりベランダが広かったりと良いところがたくさんあって、とても気に入っています。大家さんも優しいです。近所のスーパーマーケットは深夜零時まで開いていて、仕事帰りに寄るのが楽しみのひとつです。店員さんはいいひとばかり。十分ほど歩くと一級河川が流れています。春にはその土手沿いに立派な桜が咲き、私はそこで毎年花見をします。政治に対してそれなりに興味があったのですが、今では殆どありません。昨年末あたりから興味が薄れきて、震災以降はその感が加速しています。「信用・信頼出来ないから」とは違う感じです。良くても悪くてもどちらでもいいのです。若かりし頃に憧れた無政府主義者に少し近づけたかもしれません。私は愛すべき土地に住み、愛すべき猫達と愛すべき家族と愛すべき隣人がいてくれたらそれでいいのです。最後に誰かの言葉をお借して終わりとします。「ありがとう、生きていたら、いつかまた何処かで」
東日本大震災から10年。毎年この時期になると、世界中から#TohokuEarthquake、#prayforjapanといったハッシュタグで、当時の思い出をつづった投稿や、被災した方々への追悼の意を表した投稿がSNSに届く。これらの投稿を通して、世界の人々の思いにふれる▽お悔みを伝える英語表現とは?▽感動!国際宇宙ステーションからのメッセージ▽再構成!Stray Kidsバンチャンのインタビュー
I realized again through the above TV program that how we have recovered so far is all thanks to the warm heart and supports from many people around the world. Although many of those who were affected severely then were still in need, we're hanging in there.
10年前、私は中学を卒業した。
記念すべき卒業式の日。
午前中に終わって、
お友達家族とご飯してた。
唯一残されてる写真
Googleフォトが残してくれてた
まだスマホのない時代のガラケーで撮った写真
家に戻ると愛猫が見つからなくて
外に逃げたのかと思って青ざめてたら
かすかに空いていた倉庫の隙間に隠れてた。
幸い私の家は何も壊れず、愛猫も無事
友達家族の家は水が止まったり、停電したりしてたので私の家に避難
内陸なので津波はなかったけど、原発という見えないものとの戦いはあった
風評被害もあって、上京してきた際に放射能で福島をばっちい扱いされたこともあった
ムカついた
けれども私はこの10年間本当に幸せだった
周りが見ても幸せだったと思う
ニュースで津波映像はほんとに悲惨なものだし幼い頃に家族を亡くして今を生きてる人がいる
それに比べて私はどうだ
甘い蜜を吸いすぎてる
みんなの分までしっかり人生を生きよう
そう改めて感じた10年後
被災地には住んでるけど、完全な被災者とは言えない私が新サイト投稿するか迷ったけれどやはり風化はさせてほしくない
そして中学生だったあの頃から今の私
10年で時代は変わる
10年経った今はコロナという見えないものと戦ってる
さらに変わっていくだろう
私もいい加減変わって
みんなの分もしっかり生きたと後世に伝えたい
#0311 * * 벌써 7년전... 다시 경험하고 싶지 않지만... 일본은 그립네~ * もう7年前のことか… * #20110311 #311 #일본 #대지진 #도쿄 #지진 #경험 #日本 #大地震 #東京 #地震 #유학 #직장인
2017.03.11 . #311 #PrayForJAPAN #PrayForTOHOKU #SmileForTOHOKU #SearchFor311 #OneForAll #AllForJAPAN #neverforget #20110311 #20170311 #201103111446 #6years #Yahoo #ig_JAPAN #igersjp #team_jp_ #icu_japan #JAPAN #3月11日 #日本 #東北 #がんばろう #がんばれ東北 #がんばれ日本 #ひとりはみんなのために #みんなは日本のために #検索は応援になる #復興支援 #東北復興支援
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#tyo_mag #トーキョーマガジン アレから11年かぁ、、、☆ #311 #20110311 https://www.instagram.com/p/Ca9S7iLLiC8/?utm_medium=tumblr