2013.8.25
넌 깜찍이야. 짜식. 제가 ㅇㅇ한 깜찍이. 여기서 주무시면 안 되거든요. 우리 팬사인회 하고 있어요.

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2013.8.25
넌 깜찍이야. 짜식. 제가 ㅇㅇ한 깜찍이. 여기서 주무시면 안 되거든요. 우리 팬사인회 하고 있어요.
2013.8.13
"정키키인가. 정키키라는 것을 요새 들었는데 엄마가 그 별명을 되게 좋아해가지고…"
여러분 저희 빅스에서는 택운이가 제일 귀엽죠. 이렇게 귀여운 척하는 애가 또 어딨다고. 헤이~ 카와이? 레오, 카와이~. 헤이? 헤이 레오? 카.와.이. 헤이? 맛있어요. 물? 그래요. 저희 빅스는 대표 카와이가 레오잖아요. 그렇죠? 에이, 거짓말하고 있어.
헤이 레오? 카와이? 헤이? (입술과 볼에 손가락을 대며) 카와잇! 꿍? 오늘 레오의 귀여운 모습을 많이 보게 되네요. 여러분. (팬: 좋아요.) 네, 저도 좋아요. (기침하는 레오) 저기요. 헤이 카와이? 오! 다이죠부데스까? 하잇.
2013.8.7
memo315
幸村真佐男展を見た.次々のプロジェクションされる画像を見続けた.どのくらい見たのかわからないけれど,見ているあいだに,いろいろいろと考えていたのだけれど,最終的には何を見ているのかわからなくなってしまった.膨大な量の画像を見続けて,それを撮影した幸村さんの時間とを結びつけて,そこに膨大な時間があるということもできるけれど,それだと簡単すぎる気もするし,第一,自分だってその膨大な時間を生きている.日常的に撮りためた300万枚の画像.これがどんなものかは想像できない.見続けていると,想像できない膨大な量ということがどうでもよくなり,「終わらない」という言葉ができきた.「終わらない」ということはどういうことなのだろうか,それもわからない.いつかは終わるだろうけれども,見ている限りでは終わらない.そんな感じではなく「無限」といったことを感じるみたいな.ネット上にある膨大な量の画像.それは多く人が日々あげているものであるが,幸村さんはひとりであげている.ただ,現在では幸村さんと同じくらい画像を撮り続けている人いるのではないかとも思う.そんな人がいるということは問題ではなく,ただただ膨大な回数シャッターを押して画像をつくり続けていることの意味を考える必要があるのか否か.ここにリアリティを感じるか否か.この辺りもう一度考えると「わからなさ」が少しはわかるかもしれない.
memo308
谷口暁彦の《無修正◯ロ画像.jpg(バイナリ)》には,タイトルに「画像」と書かれているのに「文字列」しかない.立派な額のなかに小さな字でびっちりと書かれた文字列がある.この作品を見る人は,もちろんそこに文字列を見るのだが,同時に「画像」を見る人もいるのではないだろうか.この文字列が画像を表示させるためのものであることを知っている人は,文字から「再生」される画像のことを想像するはずである.それがどんな画像であるかはタイトルにある「無修正◯ロ画像」が影響すると思われる.また,文字列が画像を「再生」させると知らない人も,そのタイトルと立派に額装された文字から,なにかしらの「絵画」を想像する人がいるであろう.文字列の機能を知っていようがいまいが,何かしらの「画像」を見る人の想像のなかに立ち上げる力を《無修正◯ロ画像.jpg(バイナリ)》は持っている.
この作品の興味深いところは想像にだけ画像が立ち上がるのではなく,文字列をバイナリエディタに実際に入力して「jpg」で保存すれば「画像」を見ることができるところにある.想像上の画像ではなく,実際にディスプレイに画像が表示される.「文字列=画像」というわけではなく「文字列→画像」ということで,文字列を適切に「再生」すれば,画像が表示される.私も画像を見ようと実際に購入した作品の文字列を入力しているが,まだ完璧に入力できていないどころか,最初の4行目で止まっている.意味をもたない文字列を一字一句間違わずに入力するというのはとても骨の折れる作業である.なので,まだまだ入力は終わらない.なので,額のなかの文字列は文字列でしかないのだが,それでも私はそこに画像を想像してしまう.もう「文字列=画像」となっているような感じもする.でも,文字列は文字列にすぎない.そこに画像を見るのは,その文字列が画像の「ソース」であるということと,そこにタイトルと額があるからである.分けがわからない状態になっている.
仮にすべての文字列を間違えなく入力できて,そこから画像を「再生」できたとしよう.その画像は文字列に対してどのような存在なのだろうか.画像が文字列でもあることは,データの見え方を変えることができるコンピュータでは当たり前のことである.だが,それはコンピュータ上での話であって,《無修正◯ロ画像.jpg(バイナリ)》では文字列がプリントアウトされている.それゆえにコンピュータから離れてしまっている.この文字列はアプリをかえて立ち上げると画像になるとか,コピペしてできるとか,そんなことを一切受け付けない.それは額装された文字列としてただそこにある.横にコンピュータを置いても何も変わらない.そこにあるとされる画像を「再生」するには,そこにある文字列をコンピュータに打ち込むしかない.それであったら,もうこれはこれでひとつの《無修正◯ロ画像.jpg(バイナリ)》としてその文字列を楽しむべきものではないだろうか.いや,文字列を見ながら微かに想像される画像を楽しむべきなのではないだろうか.
谷口には《夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる》という作品がある.それは「壁掛け時計を12時間撮影,その映像に映る時計の時刻が,現在の時刻と同じになるように動画を再生する作品」である.モノとしての壁掛け時計と映像としての壁掛け時計がぴったり同期していると,どちらも「時刻を示す」という時計の機能を果たすことになる.この言い方はすこしおかしいかもしれない.モノとしての時計は常に「時刻を示す」を示しているのだから,モノとしての時計と同期することで,映像の時計だけが「時刻を示す」という機能を与えられたのだ.しかし,そうだろうか.ふたつの時計を見るとき,そのふたつが同じ時間を示しているからこそ,その時刻があっていると瞬時に分かるのではないだろうか.少しズレていたら,時刻を知ることにちょっとした遅延が生じる.2つの時計を見て,片方がモノで片方が映像,ということは,映像は過去の時計である可能性が高いから,モノの時計が今の時刻を指しているだろうとなるだろう.いや,モノとしての時計は電池が切れてかかっているのかもしれない,だとすると映像の時計の方があっているのではない,いやいやもう両方とも間違っている可能性が大きいから,自分の腕時計や携帯で時刻を確認するかもしれない.
《夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる》と《無修正◯ロ画像.jpg(バイナリ)》はどこか構造が似ている気がする.モノとしての時計と額装された文字列はともに,映像としての時計や文字列から想像もしくは「再生」されるであろう画像に対しての「ソース」として機能している.「オリジナル」というわけでなく「ソース」である.映像の時計が時計ととして機能するのは,その横に「ソース」となったモノの時計があるからであり,文字列が「ソース」となってそこからそれに対応した画像や,対応はしていないが想像でこしらえた画像が生まれる.しかし,この「ソース」というのは決まったものではなくて,モノの時計に対して映像の時計が「ソース」にあるときもあるし,「再生」された画像が文字列の「ソース」となることもある.「ソース」という言葉で示したいのは,そこから複数の関係性が生じるということであるから,そのどれが唯一正しいということはなく,関係のなかで「ソース」が移っていくのである.
memo305
夏休み,すこし時間があくととても憂鬱になる.自分が何をやっているのか,それが次にどうつながるのか,まったくわからずに憂鬱になっていた.もう本当に,ちょっとでも時間があくと憂鬱になっていた.そんなとき,『仕事や人生や未来について考えるときにアーティストが語ること』に書かれいてたエキソニモのことばを読んで,とても心が晴れたというか,なんか元気がでた.価値を見出して提示すること,先が見えていたら面白くなくて,先が見えていないからこその現在とのヒリヒリとした接触とももに生じるリアリティ.エキソニモには作品から多くのことを考えさせてもらっていて,リアリティを共有していると思わせてもらっていますが,その考え方でもとても多くのことをもらったような気がします.時代のリアリティを提示していけるようにがんばる次第です!
memo304
ロサ・メンクマンはグリッチを心象にするけれども,同時に画像ファイルを可視化している.不可視な領域をどこにつくるのか,これがひとつの問題になっているのかもしない.でも,不可視な領域なんていらない.オリジナルなんていらない.そんな感じがいい.
memo301
お手伝い先の引越業務4日目.今日が最終日.もう疲れ果てていて,それで今日はとても暑いところの作業.気が滅入るが,終わりも見えてきているので,がんばるしかない.それしかない.