https://toyokeizai.net/articles/-/349598?display=b
以前、発達障害はAB型(9%)より多いと聞いた時、結構な衝撃を受けた。AB型としては。それに男性の色覚異常(私)より多い。どっちで見ても私の方がマイノリティ。
私の感覚値では男性の3割近くは発達障害だろうと思う。小学校の頃からそう感じていたが、知能のブログを書くまで発達障害という言葉を聞いたことがなかったので漠然として捉えていた。
会社の場合面接でワカルだろうと思うんが、雇ったからには責任もって付き合うしかない。ただ、採用した人と実際に現場で接する人は通常異なるので、付き合うコスト(*X)に見合った成果を上げないといつかは関係が破綻する。
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(*X)例えば私の色覚異常に周囲を付き合わせると、色覚異常でもわかりやすいカラーユニバーサルデザインに対応する等のコストがかかる。或いは毎回色を尋ねられるといった手間=他人の時給の一部が私の世話に割かれる=すなわちコストがかかる。私がソレ以上の利益を生み出していれば周りは私と付き合う価値があり、それ以下であればいつかはお荷物になる。
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(A):だからIQで潜在的能力を示そうとする人が多いのかもしれない(オンラインIQ業界(?)の特徴)。とりあえず潜在的スペック提示で、能力を発揮するまで時間が稼げる(?)。
が、IQとは相手に負担を受け入れさせるための交渉材料とはならない。(ウェクスラー成人知能検査は)「常識的なことが誰よりも早くできる」ことの証明だから、本来は一般的な業務における生産性の高さ(手際の良さ)を裏付けるものであり、数値を示さなくても周囲は見て実感するもの。
(B):だからウェクスラー等の既存の知能検査ではない何かのテストの結果をIQってことにしたいのかもしれない。すなわちルール変更。
(A)と(B)の「だから」がもたらす世間(いわゆる常識的な仕事と生活をしている人達)の反応とは「IQ高くても意味ないよね」であり、そもそも発達障害を抱える人達が発達障害の判定に使われる知能指数という言葉の領域で競おうとすること自体余計に不利なはずなんだが。
私から見た印象を例えるなら、短距離走が苦手だから、短距離走を障害物競走にし、更に速さを競うのを止めようとルール変更しようとしている感じ。
それでも「高IQ」の称号を欲しがるヒトが多いということは、それこそがIQという言葉のブランド力なのかもしれないが。
と、知能のブログを書いて約5年ずっと思い続けている。
そういったところからも人々の心理が学べるし、日本で見聞きする「ギフテッド」というサウンドの成分(笑)が余りにも私の感覚と異なり、この先どうなっていくのかなと少しだけ興味がある。
話は戻って、男女平等(雇用・賃金均等)が実現すれば成人同士の扶養・被扶養者の関係がほぼなくなるように(そのうち「世帯主」という考え方もなくなるだろう)、縦社会が崩壊し雇用(≒管理・監督)という考え方がなくなって、皆が自分と機械だけで仕事するようになれば必然的に「同僚」「上司」という存在がなくなって発達障害と世間の問題は解決するかもしれない。
要は付き合いがなくなり実力勝負になれば、お互いが定型発達か発達障害かを意識する必要もない。
ただそうなると、配慮・謙遜もいらなくなるので、私が言う神の祝福系ギフテッドは存分にブーストされるだろうなと思う一方で、日本で見聞きするギフテッドが“生きやすい”(そんな表現があるかどうか不明)時代になるかというとそうは感じない。
期待される落しどころがイマイチわからないまま約5年経った。
→天才(または秀才)にとって生き辛い世の中なのか。