2012 DONTO より
去年のイベントのパンフレットに書いた文章です。
瓦礫問題の意識が高まっていた時の物なので少し今の雰囲気と違いますが、最後のほうに良い事書けてると思ったのでシェアします。良かったら読んでみてください。
どういう意識を持ったイベントか
まず、ゴミですが、このイベントを創っている多くの物は元々『ゴミ』(そのヒトがいらないもの)
を集めて自分のホシイ物に変えた物ばかりです。それらは僕には全部魅力と可能性のある資源に見えました。
ステージも製材所のいらなくなったパレットで、ステージのゴザやみんなの座るゴザも畳屋さんのどんどん出るゴミ、
たき火の日を炊く薪も製材所の商品の切れ端、柵は邪魔になる竹を間伐して作ったもの。
世の中に『ゴミ』なんて簡単によべるものは無くて、すべてが見方しだいで、その人のココロの豊かさしだいで活用できる物が多くあると思います。
今問題になっている震災の後に出た瓦礫でさえも資源だと言うイメージ力豊かな人が居るそうです。その人は瓦礫で防波堤の山を作り植林して、長い期間をかけて人口の防波堤の山を育て町も人も守って行く考えを提唱していました。
宮脇 昭「いのちを守る300キロの森づくり」(ウェブで検索)
子供の子供のそのまた子供の、、と想いを巡らせて考えると、瓦礫の処理は本当に繊細なもんだいです。
すべては一度土にかえっていく運命、どんな生き物やモノも土に還って行く事は変えられない事実です。その循環のリズムを10年、20年という長い目を持って感じて生きて行くことを、これからの人たちは強いられていくように思えます。
地球温暖化、原発の事故、資本主義の崩壊、自然の摂理にそぐわない少数の人の利己心の為に、多くの人に植え付けて来た『イメージ』は音をたてて、いままさに崩れようとしています。今迄生活に確信犯的に埋め込まれていたその「イメージ」がなくなった時、大事なことはそれでも自分のケツは自分でふけているか?ふけるようになったら、手をけがして拭けない人のケツをふいてあげる愛と余裕があるか?になってくると思います。
自給自足はこれから生きて行く上で重要な「基本」になって行くと思います。自分から出た廃棄物はそれがこれからどうなって行くのか。それは想像を時間と場所を巡らせ考えると結局自分の所にもどってきます。
自給自足とは、すべては自分に返ってくるから出来る限りその循環を自分の目の届く範囲で行う努力の事だと思います。
自給自足は一人の人にとってジェットコースターよりエキサイティングで、美術館に行くみたいな芸術観賞の連続であり、最先端の化学実験より有意義なことなんじゃないかな。













